第108話 真夏の荒野

 遠くで雷が鳴っている。

 昼の間は遠くにあった夏特有の入道雲が、夕方が迫る頃には黒雲となって近付いてきた。


「こりゃひと雨くるかもな。とっととお宝を頂戴ちょうだいしてズラかろうぜ。ブリジット」


 ベラはそう言うと空を見上げた。

 場所は大陸南西部の荒野。

 ブリジットひきいるダニアの集団が、つい先ほどこの場所を通った隊商を襲撃したばかりだった。

 近くには隊商を守っていた傭兵ようへいたちの死体が転がっている。

 ブリジットはベラの言葉を受けてうなづくが、目の前に残された馬車隊から物資を運び出す部下たちの姿を見てまゆを潜める。


「妙だな。隊商の規模の割に、積んでいるのは安価なまきや家畜のえさばかりだ」


 ブリジットはそう言うととなりひかえているソニアを見た。

 春先にリネットに負わされたケガもすっかりえて戦列に復帰しているソニアも、何やら嫌な予感を感じているらしく周囲を見回す。

 長距離を移動する隊商は費用がかかるため、十分に利益の出る『おいしい物資』を積んでいなければ採算は取れないはずだった。

 これでは赤字もいいところだ。

 ブリジットがそういぶかしんだその時、近くの岩の上で見張りをしていたアデラが声を張り上げた。


「敵襲! 公国軍の騎馬隊です! 北北東の方角!」


 鳶隊とびたいの彼女は空に数羽のとびを飛ばして周囲の状況を探っていた。

 ブリジットがそちらに目をらすとわずかに砂煙が立ち上っているのが見えた。 

 彼女の人並み外れた眼力でようやく見える程度なので、まだ距離はある。

 だが相手が騎馬隊ともなればその足は速い。


(隊商はおとり……わなか!)


 ブリジットは即座に決断した。


「物資は捨てろ! すぐに南西の方角へ退避だ!」


 ブリジットは頭の中に近くの地形図を思い浮かべ、すぐさま避難の方角を決めた。

 この場に連れて来ている部下はおよそ200名。

 残りの部隊は南方に離れた一時的な野営地に待機している。 

 こういう時、少数の部隊は動きが早い。

 ブリジットの号令を受けて即座に物資をその場に捨て、一同は馬にまたがった。


「アデラ! 部隊を先導しろ!」


 そう言うとブリジットはベラとソニア、それから双子の弓兵・ナタリーとナタリアの4名だけを連れて北北東へ向かう。

 敵が向かって来る方角へえて向かい、敵を撹乱かくらんして仲間を逃がすためだ。

 だが、まっすぐ敵に向かっていくブリジットらの予期せぬ方角から、別の敵が突如として現れた。

 それは荒野の東側に点在する岩山の上から姿を見せたのだ。


「ヒュォォォッ!」

「フォウフォウフォウフォウッ!」


 あおるような男たちの甲高かんだかい声と共に次々と矢が射かけられる。

 ブリジットらはあわてて馬首をめぐらせて矢を避けるが、複数の影が岩山を飛び渡って向かってきた。

 それはイワトビレイヨウという種類の草食動物で、大きく発達した大腿筋だいたいきんで岩山を素早く飛び回る。

 そのイワトビレイヨウの背に人がまたがっていた。

 その男たちが矢を放ってきているのだ。


「何だ? アイツらは」


 馬上でベラがまゆを潜めてそう言いながら、飛んでくる矢を槍で叩き落とす。

 ウシ科の仲間で鹿やトナカイに似ているその動物に人がまたがっていること自体が奇妙な光景だったが、彼らはこれをたくみに乗りこなしていた。

 何よりも厄介やっかいなのは、イワトビレイヨウは馬と違って右に左に大きく跳ねる点だ。

 その上から矢を放たれると、慣れない軌道きどうを描いてこちらに飛んでくる。

 

 ブリジットらは馬を操ってこれを懸命に避けたが、運悪くナタリアの騎馬がわずかにひづめすべらせて態勢をくずした。

 その馬のしりに矢が突き立つ。

 馬は痛みにいなないて大きく暴れ、乗っていたナタリアが振り落とされた。


「うげぇっ!」

「ナタリア!」


 落馬したナタリアは咄嗟とっさに受け身を取って事無きを得た。

 しかししりに矢が刺さった馬はその場に倒れ込み、狂ったように暴れ出す。

 痛みにもだえているというよりは、口から泡を吹いて痙攣けいれんし始めた。

 その様子にブリジットは即座に声を上げる。


「毒矢だ!」


 馬がこれほど早く激烈な反応を見せるということは、やじりにかなり強い毒が塗り込まれているはずだ。

 当たれば他の者はもちろん、ブリジットとて無事では済まない。

 全員が戦慄せんりつを覚え、けわしい顔で武器を振るって大きく矢を弾き飛ばす。


「乗れっ! ナタリア!」

 

 ナタリーがナタリアを助け上げて自分の馬に乗せるが、2人乗りになってしまう分どうしても馬の動きが遅くなってしまう。

 ブリジットは即決した。


「おまえたちは離脱しろ! 本隊へ向かえ! ここはアタシたちで引き受ける!」


 そう言って双子を離脱させるべくブリジットは背中から弓を取り出して矢をつがえる。

 ねらいは前方で左右に飛び跳ねているイワトビレイヨウとその背に乗る者たちだ。

 飛んでくる毒矢を首をかたむけてギリギリのところで避けながら、ブリジットは弓弦ゆんづるを引きしぼった。


「ハアッ!」


 気合い一閃いっせん

 通常の弓よりも何倍もかたつるをブリジットの力で引きしぼったそこから放たれる矢は、敵の放つそれよりもはるかに速く宙を切り裂いて飛ぶ。

 そして一瞬でイワトビレイヨウの上に乗る敵の首をり取った。

 それを見た弓兵の双子が興奮に声を上げる。


「おおっ! すげええええっ!」

「さすがブリジット!」

「いいからさっさと行けオマエら!」


 ベラの叱責しっせきを受けて双子は首をすくめ、馬を走らせてその場から離脱していく。


「ベラ。ソニア。身の程知らずの連中を死体に変えるぞ!」


 ブリジットの気合いの声にうなづき、ベラとソニアは手綱たづなを引いて馬を駆った。

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