二話 死に神の休息



 この店に来る中に、本を持たぬ客もいる。

 本を持たない割には本を買っていく、それは本を作り出せる未来に憧れた現実逃避。

 目の前で本を物色して選んでいるどう見てもチンピラの格好をしたちゃらい男は、明るい印象の出で立ちだった。

 赤い髪に、サングラスをしてアロハシャツ。ハイビスカスの花柄はでかく、派手さも他の客とは比較できない。男の個性で殴ったら間違いなく、過失事故を起こすほどの存在感だった。店員よりも大きな背丈。

 きょとんと見上げながらコルクは案内したチンピラを、見上げる。

 本を読んでも嬉しそうにならない客は、たまに見かける。イイ人生だったと笑って新たに本を選べるのは、ごく僅かな場合だと知っているコルクだ。

 ただチンピラは恵まれた人生じゃなかったわけでもなく、何度も同じ出で立ちで店に来ては新しい本を手にせず。その割には沢山の本を買っていく。お得意様だ。手にする本はどれも、もう二度と選ばれない本ばかり。


「貴方はだあれ? なにものなの」

「おん? お嬢ちゃん、オレに興味沸いちゃった? もてる男はつらいねえ」

「貴方不思議ね、巫山戯てるのに心から笑ってない」

「……おやあ、鋭いお嬢ちゃんだ。そうか、鋭すぎるから若い身空でこんなところにいるんだな」

「楽しめないおふざけは結構よ」

「そう言うなよ、心の支えなんだじゃれつくのは。言葉でくらい、にゃおって鳴いたらよしよししてくれよ」


 チンピラのやけに辛そうな笑顔に、コルクは小首傾げ何をいったいそんなに人生に絶望しているのかと不思議になった。

 コルクはしゃがみこんで目線を合わせた男の頬を撫でて、じと目を眇めた。男の赤い髪をさらりと撫でて、手触りの良さと艶の良さに目を見開き。撫でられた男は「みゃお」と猫を真似して泣き真似し、笑いさざめく。


「貴方の髪の毛、蠍の尻尾みたい」

「そうかい? なら蠍(さそり)と呼んでくれ、オレの本当の名前教えるわけにいかないんだ」

「ヒントも出せない?」

「ヒントは、人間界だと黒いマントに大鎌かな、日本の者じゃないね。日本にはその存在はいないはずだ」


 それだけの陳腐なイメージで、コルクには伝わった。

 よく本で見かける、死に神の出で立ちだ。

 今まで本を読んできた結果、死に神は日本には存在しないというのも熟知している。死を明確に意味づけた神はいないのだ。

 蠍は鎌もないし、黒いマントどころかド派手な水色に赤いハイビスカスアロハシャツだったけれど。チノパンに、サンダル姿だ。異様に軽薄な男だと感じる。

 正体だけであれば死に神だというのならば、顧客なのも違和感はない。

 今まで本を買っていく存在には納得がいくと、コルクは問いかけた。


「貴方、あの存在ならもしかしたら僕の御本知ってる?」

「お前はオレの担当じゃ無いけど、一人一つは必ず持ってるから。ないってことはねえんだよ、いつか見つかる」

「……ならなんでないのかな。僕の本見つからないで、ずっとここにいるの」

「コルクは早く本を手に入れたいのかい」

「うん、だって。僕だけ持っていないのは嫌だよ」


 蠍はちらりと店の奥を見てから、そうか、とコルクの頭を撫でる。何かすっとぼけてるような様子だったのに、目元にサングラスをかけ直し表情を更に隠そうとするのだから妖しい。

 どうしたものかと悩んでいる姿だったが、じきに店員がやってくる。店員は蠍を睨み付けてから、ぱっとコルクへ明るい笑みへと切り替える。店員はコルクを抱き上げると蠍から離れさせ、背中に隠して大事さを伝える。蠍はほう、と目を細めた。蠍の仕草が気に入らないのか店員は蠍へ手をあっちいけとジェスチャーしている。


「本をまだお探しですか」

「いや、めぼしいのは見つけたから包んでくれ。これとこれとあとは……」

「買ったらとっとと帰ってくださいね」

「まさか。本を買ったら職場に直行だよ。ブラック職舐めるなよ。不思議だよな、あの世もこの世も定時退社できねえの」

「地獄もいつかクールビズ、なんていやですよ、貴方のアロハでさえうんざりです」

「これが嫌いってセンスないな? ……随分と、お気に入りなんだな。そのちっこいの」

「そうですね、とてもいいお手伝いさんです、お前みたいに天国でアロハを選ぶ趣味もない」


 店員の言葉や目の色を見つめれば、蠍は言葉を噤んでコルクに同情したまま、あばよと帰って行った。本は後々送っていって貰うらしい。

 蠍がいなくなってから、はっとコルクは気付く。


「名前を教えてないのに、僕の名前を知ってたあの人」

「僕がよくお話しするからですね。仲いいんです。あの人と昔、同じ職だったんですよ。同期です」

「貴方も不思議な人ね。そういえば、僕、貴方の名前、知らない」

「僕の名前は気にしないで。さぁ、コルク、お茶が入りましたよ。今日はみたらし団子つきです」


 コルクはこの世界には珍しい甘味の名を聞き、目を輝かせば慌てて店の奥へ入る。


「僕は、しがない幽霊(ゴースト)なんですよ、コルク……」

 店員の独り言がよく言葉として心に入らず、意味を解さず耳だけ通り抜けた。





 蠍が再び本屋に訪れた。先日訪れたばかりでメビウス書店に来るのは珍しいなと、蠍が来店するなりコルクは近づき見上げた。

 蠍は大きな背丈できょろきょろと辺りを見回していて、コルクが近づくなり、あっと声をあげてどかどかと大股で近づく。さりげなくブランド品のサンダルが黒く足跡を残した。

「いいとこにいた、お嬢ちゃん。本を案内してほしいんだ、買い取りたい」

「この前のは読み終えたの?」

「そ、そうなんだ、実はちょっと入り用でな。早く、早く探してくれ。多分、点字の図鑑なんだと思うんだが、大牧歌織(おおまきかおり)っていうタイトルで……」

 蠍の後ろからカウベルが鳴り、新たに客が来ると蠍は目を見開く。

 客は女性客で、オーラの華やかな着物美女であった。着物美女は白杖を使い踏み入ると、にこやかに微笑みかける。


「あら、こんなところに懐かしい香りがする」

「気のせいですよ、その人死に神だもの」

「とんでもない人に出会ってしまったのね。その声はおちびな店員さんね」

「コルクっていうの。蠍さんまたね、この人を案内するから」

「駄目だ!」

 店内に響き渡る怒号に女性客もコルクも身を震わせて、店の奥から店員もどうしたのかと出てくれば、ああと客を見るなり頷く。

 蠍は店員を射貫き殺しそうな勢いで睨み付けているが、店員はさらりとしていて女性客も気にしていない。蠍が喚こうが騒ごうが、二人は我関せずだった。

「いつもの本ですか」

「おいやめろ、そいつに渡すんじゃない! 駄目だ、こいつにはもっと石油王とかの本が相応しい!」

「……駄目ですよ、本の指定はお客様以外できません。お客様、どうされますか」

「新しい本は要らないの、三回目の本でお願いするわ」

「今回もページ千切りますか」

「ええ、いつもの所だけ千切っておいて。二十ページだけ」


 店員は用意した本からページを千切ると女性客は受け取り、そのまま買い上げて店から出ていこうとした。その腕を蠍が捕まえた。

 スムーズな流れに常連客なのかとコルクは驚いていれば、蠍の様子が変だ。

 蠍が片手で顔を押さえて泣いて、声を殺している。泣き声をばれないように息を落ち着けてから、頭を抱えた。


「いい加減その男を忘れろ、そのページを持っていくな、覚えるな」

「……駄目よ、世界中で彼を覚えていられるのは私だけなの。幸運でしょ」

「お前の何処が幸運なものか。世界一不幸じゃないか」

「幸運よ、ずっとずっと死んだ先でも愛されてる。有難う、泣かないで」


 蠍の頭を撫でれば、手探りで女性は蠍を抱きしめてから店を去って行く。頭を撫でられた温かみの名残を感じているのか、蠍は黙り込んで頭を触れて固まっている。

 コルクが心配げに店の奥から麦茶を持ってきて、蠍を気遣う。

 コルクの気遣いに蠍は微苦笑した。


「あの女は、オレが人間だった頃、誘拐した女だ」

「犯罪?」

「そうだな、人さらいだ。金目当てで誘拐して、誰もあの女のために支払わなかった。二人だけでやがて三ヶ月だけ暮らし、少しだけ楽しかった。でも、金が尽きて、オレは立てこもりを計画した。銀行で客の振りをして、立てこもりの人質はあの女。警察と揉めて、あの女に間違えて弾が当たって。オレも打たれて。二人は心中のように――それがオレが人間だった頃の最後の記憶だ」

 蠍は「クズだろう」と威張ってから、威張っていた肩を落として真面目に落ち込んだ顔をしていた。

 コルクは言葉の響きからして想像もできないほど、凄惨な事件ではないかと目を丸くした。


「酷い人生じゃないの……何で、そんなに何度もその人生を選ぶの」

「オレが、本を持てないからだ。コルク、オレも、本を持ってない奴なんだよ。正確には新しい本がない。大罪を犯したオレは、誰の本にも残されちゃいけない。過去の本をおいては。あの女は、何故かそれを悟っている」

「……好きだったの?」

「さあな……でもろくでなしな人生を、つらい人生を、見せるのはもう嫌なんだ……だから、間に合うかと思ったのに。何だってあいつは、覚えようとし続けるんだ」

「……彼女の今の本に至るまでのこれまでの本を見てみますか? あの人は記憶にはそれこそないのかもしれないのですけれど、本能的に悟っている理由なら判りますよ」


 店員の言葉に、蠍とコルクは顔を見合わせ一緒になって本を探し回った。

 店員が名指した本のタイトルを見つければ、中を開く。

 どれもが非業の死で、恋人と毎度離ればなれのエンディングばかりで、挿絵に出てくる男の顔はどれもが、蠍の顔だった。

 挿絵に出てくる恋人役は、どれもが女性客を酷く愛しても報われず悲しい最期を遂げていた。

 どれもが女性客の命がかかってる場面で、決まって蠍が守って女性客一人残して死ぬのだ。


「どんな形でも、お前に関われて嬉しいんでしょう。でも、お前の出てくる本は、今後新刊は出ず絶版で。あの子の持つ本で終わりです」

「だからって何度もあの本を選ばなくても……」

「あの子の心は推測しかできません。でも、一つ判るのはあの子はお前を愛している」

「だから、余計に嫌なんだよ……もっと、相応しい奴がいるだろ、石油王が見いだす未来があるだろ……」


 蠍はぼろぼろと泣き崩れながら、女性客の過去置いていった本を抱きかかえ、膝を折った。


 コルクはまだ幼い。愛だの恋だのは深くは判らない。

 ただ、女性客や蠍の遣り取りを見ていて、感じるのは。愛というのは、感情だけや理屈では説明できないほど、行動に制限をかけてしまうのだなという学習だった。

 コルクは蠍を見上げながら、釣られて少しだけ理解出来ないしゃくりあげをし。蠍を大きな零れそうな瞳で見つめた。


「また、でも。それなら、この店であの人と出会える」

「……コルク?」

「出会えたときに、今度は有難うってお花でも渡したり。歌でもお礼に歌えばいいんじゃない? 忘れられないのが、嬉しいんでしょう、蠍さん」

「……コルク……」

「人のしたいことは変えられない、それなら貴方のしたい行為を押しつければ良い。本には今後も出来ないけど、他は今は自由でしょう?」

「……そうだな、ギターでも持ってこようかな」

「そいつ歌は音痴ですよ」

「うるせえ」


 蠍ははあ、と嘆息つきながらようやく笑えば、コルクの頭を撫でる。


「コルク、お前は絶対本を見つけるんだ。でないと、ずっと此処にいなきゃいけない」

「うん……ありがとう」


 コルクは蠍に抱きつき、蠍のか細さに少しだけ悲しみを覚えた。

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幼女、天国の本屋に居座る~転生していく人々と、その記憶を本にした本屋~ かぎのえみずる @hyougozaki

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