幼女、天国の本屋に居座る~転生していく人々と、その記憶を本にした本屋~

かぎのえみずる

第1話

 大きな巨大樹の下に個人経営店規模の本屋さんがある。


 巨大樹は大きく大きく、大きなお寺の敷地ほど在りそうな末広がりの木陰を生み出し、力士よりも太い幹だった。


 店は「メビウス」といって、緑色の屋根をしたどこかこじんまりとした店だ。


 外観はこびとの家でも思い出す作りをしていて、何処かお伽噺のような見目。少しだけ丸みを帯びたフォルムだ。メビウスはいつだって、木陰の下で涼しい店内。


 メビウスへの行き方は訪ねた人々は買った後は本来なら皆思い出せないし、一度本を買えば必要性もない。思い出す必要も無いものを人は忘れるので、メビウスは誰が訪れても忘れる店だった。忘れ去られる店だった。


 時折馴染みの常連も来るが、店主との会話は長話する覚えはない。


 店の中はしっかり緑の本棚に敷き詰められた大小様々な本。辞典もハードカバーも絵本もあった。仏教の経典ですらも、取り寄せればあるのだという。


 本屋の奥にカウンターがあり、カウンターには百四十センチの背丈をした少女が静かに本を読んでいた。


 時には本の内容に感動し、時には自分事のように拗ねて。感情を顕わにして本を読み進めている。とても楽しそうでありながら、羨ましさの滲み出る表情が印象的な少女である。


 少女は水浅黄の瞳を爛々とさせ、蜂蜜色の髪の毛を掻きむしると悩ましい表情で読み終わった本を閉じる。


 少女が読み終わったのを見計らった店員が声をかけた。店員は黒髪を耳にかけ、大きな背丈で本を並べ終わると、少女に二度目の声をかけ、腰をさする。眼鏡姿の様になる青年だ。




「お探しの本じゃなかったんですか」


「僕の本じゃない、僕の本はやっぱり誰かが盗んでいる」




 少女は本を此処へ客として来ていたのだが、いつまでもお目当ての本は見つからない。


 それは参りましたね、と黒髪の店員は本棚の整理を再開しながら、いつか少女が本を買って出て行くのを待つ。


 この店で探し求められる本は、どの客にとっても生涯にたった一つしか持てない本だし、たった一つしかない本なので。店員は少女がたとえ十年近くそこで探していても気にせず少女の面倒を見て、一緒に過ごしていた。


 取り寄せても少女の本は見つからない。青年は考えるふりをしながら少女の様子を観察していれば、少女はぼとぼとと涙を零してから、気持ちを切り替えるように目元の涙を拭った。




「やっぱり僕なんかに本は勿体ないのかな」


「そんなことは御座いません、人はそれぞれ。人生を現した本を一本ずつ持っています。貴方の人生を画いた本も、もうじきくるでしょう」


「悲しい内容の話でも受け入れるしかないの?」


「然様です、それが貴方だけの本ですからね」


「僕だけの本は何色なんだろう、表紙。折角だから七色がいい、綺麗な泊付きの」


「貴方の理想には沿うかは判りませんが、見つかったとき判ります。これが、貴方の本だって。さて、他のお客様がきましたね、手伝ってあげてください。此処へ来るのがきっと初めてです、先輩たる貴方にお任せします」




 店員は告げると麦茶の湯飲みを少女の前へ置き、頭を撫でると倉庫の整理をしようと奥へと引っ込んでしまった。少女は涙を拭ききると、ぱんぱんっと顔叩き、気合いを入れ直す。


 扉のドアベルをカランと鳴らして、本当にお客さんが入ってくると、少女はにこやかに笑って客に駆け寄った。誰もが釣られて微笑む、可憐な小動物を思わせるくらいの愛らしい笑顔だった。




「いらっしゃい、お客様! 本をお探しですか!」


「いえ、そうですのう……わしは、確か。病院にいたはずなんじゃが」




 客である老人は眼鏡をかけ直すと少女をまじまじと見つめて、愛くるしい表情に目を細めた。少女はくるくると瞳を老人に向け、言葉を待っている。何を話すのか、老人がどんな価値観を持っているのか、期待している。期待される感覚は老人には懐かしいもので、とても喜びが過ると思わず微笑んだ。


「お嬢サン、どなたかな」


「コルクと呼んでください、私は本を持ってないからそれが名前の代わりよ」


「ほうほう、どうしてコルクなのかな」


「コルク栓みたいに頑固にこの店で詰まってるから! 僕も本を探し途中なのだけれど、ずっと見つからないの」


「……本、か。わしは本を買いに来た覚えはないのだよ」




 老人の言葉に、コルクは小首傾げて不思議だと顔に画く。老人はどうみても、ハードカバーの本か、辞典ほどの本を持っていそうなのに、知らないという。


 何故ここにいるのか把握していないタイプだと、コルクは感じ取ればゆっくりと話を聞く親切を行う。老人は独り言を呟いてから、コルクに困ったように語りかけた。




「わしはまだばあさんを残してる。戻らないといかんのよ」


「ううん、お婆さんとは貴方はもう会えない。ここは、だって。天国の先の本屋だから。産まれ変わる人が、今までの人生を本に残して本屋に置いていくの。新しい本を作るため手に取って、また世界へ降り立つ。準備の場所なんです」


「よくわからないが、輪廻転生の記録場所みたいなものかい」


「そうです! 記録して、全部僕らの中から無くして、下の世界でまた本にする分の知恵や知識。新たにゼロにして体験をしていくの。これまでの人生の本を手に取ると、同じ人生と時間の中の繰り返しになるわ」


「……そうかあ、つまり。とっくに、わしは死んでから年数が沢山経ってるということじゃな」




 老人の悲しい思いに共感性のないコルクはきょとんとして、小首傾げてにこやかに話しかけた。老人から見れば励ましや、気をそらす行為にも見えて好ましいが、コルクからすれば早く本を見つけたほうがいいという無神経な押しつけがましさもあった。


「他の人の本も此処では立ち読みできるのよ。だから、おばあさんのために貴方の本を残したらどうかしら。貴方の本を、この店に置いておく、ていうのは。お婆さんに読ませるの」


「……まっさらな本を買って持っていくのではないのかね、他の人は」


「立ち読みくらいは許されるわ、本を置いていく前なら。僕で立証済み。だから、まっさらな本を手にする前にお婆さんにお勧めでもしておくわ、貴方の本」


「なるほど、荷物を置いていき、身を軽くするかんじかの。ほほ、いいだろう、本を作ろうじゃないか。何をすれば良い?」




 麦茶を一気飲みにするとコルクはそれまで脇に抱えていた本を置いて、老人の手を繋ぎ一緒に店内をうろうろとした。


 老人は見慣れない本棚に驚いていたが、やがて気になる本ができた。


 本棚の中にある、文庫本のコーナーだ。文庫本の中に分厚い灰色の背表紙した本が何故か輝いて見える。


 老人が眩しさに目を眇め、眩しいのをどうにかしてやりたい気持ちで文庫本を手に取る。


 文庫本を手に取ると、一気に文庫本はびららららっとページが自然と捲り上がり、ページが捲られる過程で昔のことを思い出していく。


 昔のことを思い出している間は、本から蔓が伸び、しゅるしゅると老人をあやすように撫で、金色に輝いていた。蔓は店内に広がっていく。






「ああ、そうだ。わしは、小さな村で生まれての。学に五月蠅い珍しい家だったのだ。新しい物好きの父親に、世間体を気にする母親だった」


「世間体? 何だか相性がわるそうね」


「そうさな、斬新なものを取り入れては目を付けられ、村八分にされる百姓だった。母親は、よく家の外に置かれた生ゴミを処理しておったよ」


「ねえ、このページとても可愛らしい挿絵が入ってる。恋人?」


「そう、この人がばあさんじゃ。ばあさんはこの頃とっても、煌びやかでな。愛らしい笑顔の華やかな人だった。地味な田舎が似合わない人だったよ」


「どういう恋愛をしていったの」


 挿絵のページに手を入れページがめくれるのを阻止した老人は、和やかな顔で話していく。挿絵を愛しそうに摩り、本の紙質の古さに苦笑した。


「わしの一目惚れだった。しつこくつきまとって、ばあさんが根負けしてくれたんじゃ。ただ、とても、幸せで愛しい日々だった」


 少しだけ懐かしそうに老人は挿絵を撫でるとページは再び自然と捲れ、次の挿絵には子供がいた。


 子供は三人ほど存在し、見てるだけでも賑やかで和む挿絵に、コルクははにかんだ。


 老人と顔を見合わせはにかむと、老人は全てのページを愛しげに撫でる。


「忘れたく、ないのう。まだ、まだいたかったのう」


「そうね、気持ちはとっても分かるよ」


 コルクは本心から頷き、老人の顔を覗き込むと老人は寂しげに泣いていた。




「この本は、出来上がるとどうなる?」


「貴方は、この本にある出来事を忘れてしまう。いえ、正確に言うとなくしてしまう。でも、どうしても。辛かったら、一ページだけなら持っていってもいいんじゃない? 貴方が作者だもの。未完の本があってもいいじゃない。一ページだけの記憶はもてるわ」


「……なるほど、しかし、いややめておくよ。この本には読むと全てばあさんとの思い出が刻まれ、わしが幸せだった証で出来ている。ならば、一枚破ったら不幸せの完成になる。わしは全て揃って幸せだったんだ」




 老人の言葉は重みがあり、コルクはいいなと考え込み、老人の腕を掴んだ。




「ねえ、その本。出来上がったら読んでイイ?」


「いいぞ、但しばあさんにも届くように、綺麗に読むように。さて、もう一冊の本が何か判った。これだろう」




 老人が光り輝く絵本を手にして、コルクに文庫本を渡せば老人は一気に華やかな美青年になる。


 美青年から徐々にコルクくらいの年頃に変化していく。




 コルクは寂しげに笑い、お辞儀をする。




「お買い上げ、有難う御座います。貴方の来世が、素晴らしいもので満たされることを」


「君ともまた、会えたら良い。お元気で!」




 少年はにこやかに笑うと絵本を両手で抱えて、店から出て行く。


 カウベルが鳴れば、少年は来世に行けた合図だ。


 あの絵本に刻まれていくのだろう、未来が。あの絵本がどれだけ密度の高い本になるかは判らず。もしかしたら今回のように文庫本へ変化するかも知れない。




 コルクは羨ましさを感じながら、文庫本を手に抱え、カウンターの席へ戻る。


 店員が戻ってきて文庫本に気付けば、店員は物珍しげに瞬いた。




「大往生の人だったみたいですね」


「きっと、此処に出てくるヒロインがきたら、完成する上下巻ね」


「本のタイトルは?」


「ある幸せな老夫婦~鈴木夫妻~、ですって。よっぽど愛されたし、愛して貰ったのねあのひと」




 コルクは笑うと、文庫本を読みふけり、老人がいかなる人生を歩んできたか、はらはらと読むのであった――。店員は本のタイトルに、聞き覚えがあるのか耳に馴染み、少しだけ切なさを覚えた。


 その一ヶ月ほど時間を体感した頃合いに、上下巻の下巻を持つ人がやってきた。


 同じ流れでコルクは案内すると予想外の出来事が起きた。


 下巻を持つ老女は本を手放すのが嫌だと断ったのだ。




「私はこの本だけを望みます」


「どうして。今ならまだ下に行けばおじいさんともう一度本を作り直せるかも知れない」


「要らないんです、これ以上の幸せはないってくらい、幸せで。大好きな人もあの人と、家族だけでした。だから、もう、それ以上のものがないって判るから怖いんです」




 コルク一人ではどうしていいかわからない。それを見かねた店員が奥から出てくると、老人の持っていた上巻を老女に手渡した。




「それなら、この本を持っていくとイイですよ、この本はきっと誰にも渡したらいけないはずです貴方には」


「いいんですか」


「代わりに覚悟してください、貴方はこの体験をもう一度しなさる。ずれもなく完璧に重なる。二回目の同じ人生を歩む行為となります。後悔はありませんね」


「もう一度体験できるなら幸せよ、あの人にもう一度会える」




 老女は上下巻揃って手にした状態で、店を出て行った。


 それでよかったのかと、責めた睨み付けで店員を見やるとコルクは悲しげに背を見送った。




「新しい人生がいやなんてひと、初めて見た。同じ時間の中で生きたいなんて」


「ざらにいるよ。此処に来る人にも何人かいます。同じ本を選ぶ人はきっと、とんでもなく幸せだったんでしょうね。三回目には本を買い取ってくれ、と言われのが常です。でも、お婆さんはそれはならないかな。あのお婆さんはね、コルク」




 店員は内緒話するように、こっそりと告げた。




「九十九回もあの人生を選んでいる玄人なんですよ。何も買わない常連客だ。上巻のお客様であるご老人は、きっと主役エキストラ脇役全て演じてきた。次はあのご婦人のご子息だろうね」




 途轍もない愛と、満たされた人生にコルクは想像も出来ず。


 新たなものを選んでも同じ時間の中に生きる老人、古い記憶の中で繰り返し時計のような人生を送る老女。二人の愛は、すれ違いのようで結ばれていて、結ばれながらたどり着けない。


 それだけお気に入りの本があるのは、とても羨ましいなとコルクは少しだけ悔しくなった。




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