旅。

弥生 菜未

私は生きている

 私の病。それは、体内の器官の機能が徐々に停止していく病気だ。

 発病は十五歳。

 魔法使いとしての始まりの歳。


 私は魔力に生かされている。

 胃の『消化』の機能が低下し、食べ物を受け付けなくなったとき。肺の『呼吸』の機能が低下し、酸欠状態になったとき。痛み、苦しさを追うように魔力が体内を駆け巡り、私の命を繋ぎ止めた。

 だが、作るよりも壊れる方がいつだって速い。欠落していく機能を補うことができるのは発病から五年まで。そう医師が告げた。

 余命五年。

 そのことを知って、私は旅に出た。

 私の中の『死』は漠然としていて、今をどう生きたらいいか分からない。悲しむべきか、恐れるべきか、受け入れるべきか。

 きっと、旅が教えてくれる。

 どうしてか、そう思った。だから私は旅に出た。


 ◇


 ある町で魔法使いに出会った。

 彼は私と同じように病を抱えていた。そして彼は、発病から三年目。今の私にはあと二年残っているように思えたが、彼は「もう長くない」と静かに言う。

 呼吸の音がとても小さく聞こえた。隣を歩く姿は健康そのもので、肌や唇の色も、程よく肉のついた手足も私と変わらないはずなのに、彼の放った一言で、唐突に彼が弱々しく小さなものに思えた。

 白い花畑を進む彼の横顔。

 青い瞳が泣いていた。


 次の日。有言実行をするが如く、彼は連日訪れていた白の花畑のなかで白い灰となって消えてしまった。

 あまりにも呆気なかった。

 突然、「さようなら」という声と共に強い風が吹き、彼は消えていく。勝手に同じ病を共有する仲間のように思っていた私は、自分の一部を失っていくかのような心地で風に舞う彼の灰を眺めた。

 私もあと三年しか生きられないかもしれない。余命宣告の五年より、そして自分の人生の三分の一より圧倒的に短い時間が、恐ろしく思えた。


「神様に呼ばれたんだ」


 人生を二十八年歩んできた彼が最後に言った言葉が忘れられない。


 ◆


 ある国で魔女に出会った。

 彼女は同じように病を抱え、発病から六年も生きている魔女だった。噂からたどり着いた魔女の話に私は喜びを覚える。


 しかし会えばその気持ちは沈下していった。

 彼女は言葉通り、長い眠りにつき目覚めることはない。植物状態の彼女は、痩せ細り、髪は抜け、張りのない肌、紫の唇を持つ。その、生きているとは言い難い姿に私は言葉を失った。

 状況に感情が追い付かない。

 どうして生きることに執着していたのか分からなくなった。

 かける言葉が見つからなかった。


 ふと、ノートが目に留まる。整理された机の上に、一冊だけ表紙を上にして置かれていた。そのノートの中身を確かめれば、そこには彼女の日常で得た知識が綴られていた。


『国を訪れた魔法使い、三人目。彼も、その前の彼女も同じ病を抱えていた。やはり、魔法使いは短命である。彼は突然、目の前で散ってしまった。

 思えば魔法が使えるようになったのは発病してからだった。私は鈍感で不器用だから、すぐに病に気づけなかったし魔法を上手く扱えなかったけど、皆の喜ぶ顔が嬉しかった。魔法を目にした皆の顔は輝いて見えた。

 旅人が言っていた。長くて五年。

 その事実を覆すために私は眠ります。もし、これを読む魔法使いがいるのならば、貴方には生きてほしい。貴方を残して目覚めの訪れない眠りにつく私を、許して下さい。

 私が五年以上生きた曉には、どうか、手を握ってくださいませんか。

 どうしてか、私はとても寂しいのです』


 私は彼女のもとへ歩み寄ると、優しく彼女の手に自分の手を重ねる。最初から言葉など要らなかった。私の温もりに呼応するように、彼女は一筋の滴をこぼす。


 その命はとても儚いものだった。


 ◇


 ある村で少女に会った。

『死』を知らない少女は、ハエたか人形ひとがたの腕をやわく掴み、虚ろな目をしていた。

「ねぇ、お父さん。起きて」

 細く小さいその声が私には鮮明に聞こえる。

「まだ疲れてる……の、かな……」

 泣きそうで消えそうな声。まぶたは重力になぞってゆっくりと閉じられていく。少女の手から力が抜け、身体も地面に向かって傾いていった。


 倒れる。


 気がつけば少女は私の腕の中にいた。六つほどに見える少女は、骨が浮き、肉のない手足は折れそうで、自分の腕に感じる重みは人の重みだと思えなかった。


 ごめんね、遅くなって。


 何故だか涙が止まらない。以前会った魔女に生きることへの執着を教わったせいか、僅かに温かい少女の身体が力なく横たわっているのが悲しかった。

 いつか、突然に死んでしまうかもしれない。明日か、明後日か分からない。五年後なんて来ないかもしれない。永遠の眠りにつくかもしれない。

 私の中にかつて感じたような恐ろしさはなかった。


 ただただ悲しかった。


 ふと、私の頬に小さな手が触れる。

「お姉ちゃん……だぁれ?」

 まだ失ってなどいない。

 多くの死体が転がるこの村に、小さな命だけが残っていた。


 ◆


 少女の名前はセリ。歳は八つ。

 セリは療養、私は村人の埋葬をして過ごして一週間が経つ。セリの父親はいまだに木にもたれ掛かっていた。セリは身体に残っていた少ない筋肉で歩ける程度には回復し、私の渡したパンの欠片を毎日欠かせずに父親のもとへ届ける。やはり、彼女は死を知らないのだろう。

「ごめんね、セリ」

 私は貴女あなたに残酷な事実を伝えなければならない。

 遠くから呟く声はセリには届かない。

 風が唸りを上げた。


「セリ」

「お姉ちゃん!」

 初めて会ったときとは違う、輝きのある緑の瞳が私に向く。

「お別れをしましょう」

「……お姉ちゃんと……?」

「いいえ」

 私はセリの手を引いて父親の前に向かわせた。

「貴女の父親と……です」

「いやだ!」

「セリ、生きているものには必ず『死』が訪れます」

「いやだ、いやだ!!」

「貴女の父親はもう、目覚めないのです」

「いやだ!!」

「ゆっくり、休ませてあげましょう」

「いやだ!!」

「もう貴女の父親は帰ってきません」

「分かってる!でも、いやだ!」


 泣きじゃくり、はっきりとした拒絶のなか、突然に現れたその言葉に私は目を見開く。


「お父さんを連れていかないで!そばにいるだけでいいの!!」

 痛い。涙が出そう。

「セリにはお父さんしかいないの!!」

 痛い。誤魔化さなきゃ、私には泣く資格なんてないから。

 私はセリの小さな肩を抱き締めた。

「私がいる。ごめんね、一人になんてさせないから」

 だから、お別れしよう。

「うわああああああぁぁぁ!!」

 大きく声を上げて泣く少女の手は小さくも力強かった。

 心が軋み、痛みが淡く広がった。


 翌日、セリの父親はようやく安らかな眠りについた。


 ◇


 私は、少女と共に二人旅をしていた。箒に乗って、空を駆け、お揃いの三角帽子の下から長い髪をなびかせた。笑い声は高くに、泣く声は静かに、励ましは互いへ。響いて、弾けて、輝いて、宙に舞った。

 セリの健康的な両手を広げ、大きく口を開けて笑う姿に、私は小さく笑った。


 私の心臓はもう鼓動を教えてくれなくなった。その事がきっかけでセリに病気のことがバレてしまったが、セリはいつの間にかに強くなっていた。

「お姉ちゃんはお姉ちゃんらしくいればいいんだよ」

 箒に跨がる私の前の小さな影が言う。

「私が抱き締めてあげるから、きっと、大丈夫」

 大粒の涙が空を泳いでいく。


 魔法使いの王様の国でも、

 魔女が除け者にされる国でも、

 同じように旅する魔法使いに会っても、

 魔法使いに会うたびに揺らいでいたはずの心が芯を持った。セリが支えてくれた。セリに支えられていた。


 ◆


 自らの足で道を進み、大地を踏みしめた。真横には大きな花畑が広がっている。

 呪文を唱えれば、私が持つ杖により大量の水が放たれ、花弁の上で水滴が踊った。小さな風でも、揺れる度にきらきらと輝き、一面に広がる色とりどりの花とその光が、美しい。

 赤、青、黄色、白、ピンク、紫。

 鮮やかな景色は、目に焼き付き、心に刻まれ、一秒経つごとに記憶に書き留められていくよう。


「私、思うの」

「なぁに?」

 セリは笑って首をかしげた。

「魔法はね、神様からの贈り物なの」

「おくりもの?」

「そう。病の付属品みたいな、お詫びみたいな……」

「そっか……」

「長くは生きられないけど、きっと神様に愛されてるんだよ」

「そっか」

 セリの表情は明るい。私の腕を掴んで言った。

「だからって、お姉ちゃんをそう簡単に渡したりなんかしないよ」


 いつかの魔法使いの言葉がよぎった。

『神様に呼ばれたんだ』

 私もいつか呼ばれるだろう。でも、今の私は今の生き方を知っている。

 ちっとも怖くない。


 私は進行方向に背を向けて歩き出した。

 後ろ向きで歩いていけば、いつまでも、いつまでも色鮮やかな花々が見えた。

 それはとても、綺麗で美しい。

 これからもきっと、


 私たちは二人旅をしている。

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