最終話
我が儘だなんて、初めて言われた。だけど――。
「そうかもしれません。すみません。ですが、エミルのお母様はラミエル様だけです。私はその代わりにはなれませんし、代わりなんていらないと思います。それに、エミルにはもっと自由でいて欲しいです。だから、養子とかそういうのは……」
「それは、分からなくもないが……。エミルのやりたいことは、出来るだけ叶えてやりたい」
メルヒオール様はそう言ってエミルの頭を愛おしそうに撫でた。
「ですね。――そうだ。魔法学科みたいに、学園の門戸をもっと広げられたらよいのかもしれません」
「門戸を……か。それは面白そうだな。だが、普通学科は魔法学科のように志高いものは少ないぞ。社交の場と同様、遊びに来ている連中ばかりだ」
「そうなのですか? それでは意味がないですね。では、別の手を考えなくてはなりませんね」
「ふっ。またやりたいことが増えたようだな」
「はい。そうみたいです。――何ですか? その不満そうな顔は」
メルヒオール様は眉間にシワはないものの、目を細めて不満そうに私を見据えていた。
「結局、はっきり伝えても流された。と思っただけだ」
「あ。申し訳ございません。その……。私がどんな立場であれ関係ないと言ってくださったのは嬉しかったです。でも、私は使用人であって。それに今は……えっと」
「はっきり言え」
「私は今、学生です。やっと入学できたばかりですし、校則にもあります。異性との交流を厳に慎むように。と」
「そんなものあったか?」
「はい」
額に手を当て、うんざりした顔でため息を吐いたメルヒオール様は、俯いたまま尋ねた。
「卒業までどれくらいかかる?」
「普通なら三年ですが……」
「最速で。どれくらいだ」
「い、一年です」
「ならば家庭教師の任期を一年とする。一年後辞めるか、それとも……か、どちらか選べ」
「えっ?」
俯いているから上手く聞き取れなくて、疑問の声を漏らしたら、メルヒオール様は顔を上げて私の目を見つめると、はっきりと告げた。
「俺と結婚するか」
一瞬その場で、はい。と首を縦に振りかけた。
でも駄目だ。正気を保て、自分。
メルヒオール様は、一呼吸置いてから言葉を続けた。
「――どちらか選べ、と言った」
私が選べる立場にあるのだろうか。
どんな立場でも構わないと言われても、こんな何もない自分では私も納得できないし、周りだって納得しない筈だ。
「あの。やっぱり、私は選べるような立場にはないです。周りだって、私なんかを認めることはないと思います。だから、私が周りからも認められるようになるまで、待ってくれませんか? どうすればそうなれるか、分からないのですが……」
「……くっ。はははっ。――君は本当に、頑固で我が儘だなっ」
笑われながら、また我が儘と言われてしまった。
そう言えば、フィリエルは言っていた。
レンリの前では我が儘になってしまうと。
きっと私も……。
「メルヒオール様が、好きなものの前でしか笑わないことと同じように、私は、メルヒオール様には我が儘になってしまうのかもしれません」
メルヒオール様の笑い声がピタリと止んだかと思うと、狼狽えたような顔で私へ目を向けていた。
「…………っ。べ、別に我が儘でいい。――もう寝る」
メルヒオール様はエミルをベッドへ寝かすと部屋の扉へと足を向けた。
「えっ。エミルと一緒に寝ないのですか?」
「ああ。もう一人で寝られる。エミルと話し合って決めた」
「そうですか。では、読み聞かせは明日から――」
「それは俺も参加する」
「へ?」
「え、エミルをベッドに寝かせるのは力仕事だからな。では」
「ちょっ……」
メルヒオール様は真っ赤な顔で部屋を出て行った。
エミルくらい私でも運べるのに。
何なら、レンリぐらいなら運べる気がする。
エミルはベッドでぐっすりと眠っていた。
本当に一人でも大丈夫みたい。
エミルの寝顔をみていたら、メルヒオール様の寝顔が頭に浮かぶ。
さっき、プロポーズされた。
頭の中で言葉にしてみたら、急に心臓がうるさくなった。
今更だけど、やっと実感がわいてきて、私はベッドの端に腰を下ろし深呼吸をした。
自分勝手な事ばかり言ってしまった気がする。
我が儘と言われても仕方のないくらい。
自己嫌悪に陥りながら、メルヒオール様が出て行った扉を見つめていたら、ノックの音がして扉が開き、現れたのはハミルトンさんだった。
「失礼します。エミル様が本日からお一人で寝られると聞き、様子を伺いに参りました。ですが、結婚という言葉が耳に入りまして」
「それは……」
ハミルトンさんは鋭い目を私に向け歩み寄る。
使用人なんかの私が、メルヒオール様と居てはいけないからだ。
さっきまでの熱は冷め、現実に引き戻されていく。
「部屋から出てきた時の旦那様も、ご様子がおかしく。私は確信しました。コレット様――」
「も、申し訳ございません。私なんて相応しくないのに。大丈夫です。私はエミルの家庭教師として――」
「なりません!!」
ハミルトンさんは力強く言い切ると私の両手を握りしめた。今すぐ追い出されるのだと私は覚悟した瞬間――ハミルトンさんは、私の目の前で見たこともないような優しい笑顔を浮かべていた。
「即刻、ご結婚されましょう!」
「は……い?」
「ですから、家庭教師はもう結構です。それより旦那様のお相手問題の方がラシュレ家の最重要課題でございますから。こうしてはおれません。皆に知らせて――」
「ま、待ってください。私はまだ学生です。それに、家庭教師も辞めたくありません」
「ほぅ。それで旦那様も一年どうとかまどろっこしい事を仰っていたのですね。分かりました。ですが――」
ハミルトンさんは眼光を光らせ言葉を溜めた。
「で、ですが?」
「絶対に逃がしませんからね」
目が本気だ。ハミルトンさんに睨まれたら、本当に逃げられない気がする。逃げるつもりはないけれど。
「…………」
「おやすみなさいませ。コレット様」
「お、おやすみなさい」
◇◇
それから数年後、ラシュレ公爵によって、青藍騎士団の訓練生の入門年齢が引き下げられ、それに伴い訓練所の一角に、誰でも剣術や文字を学べる小さな学校が作られた。
そこでは、十歳の少年が同年代の子供達に剣術の基礎を教えていたり、ラシュレ家の元執事で、現在宮廷魔導師の職に就く青年がたまにやって来て、歴史や魔法について教えてくれたり、怪我を魔法で治してくれたりしている。
そして、この学校で主に教鞭を取っているのは、この国で二人目となる女性近衛騎士となったお菓子作りが趣味の公爵夫人だとか。
でもそれは、また別のお話。
おわり
妹の召使いから解放された私は公爵家の家庭教師になりまして 春乃紅葉@コミック版配信中 @harunomomiji
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