第26話 我が儘

 ラシュレ家に帰ると、いつもエミルが出迎えてくれる。


「コレット先生! ボクね。逆立ちで歩けるようになったんだよ!」

「へ?」


 最近よく分からない技の報告が増えたけれど、エミルはメルヒオール様に見て貰えるので、とても喜んでいる。

 エミルは学園へ通い始めた私とレンリを見て、将来自分も通いたいと息巻いているが、普通学科は貴族しか通えないことを、まだ誰も教えられずにいる。


 読み聞かせの後、メルヒオール様は私にある提案をした。


「コレット。エミルが学園に通いたいと言うのなら貴族でなくてはならない。だから、俺の養子にしようと思うんだ」

「成る程。ですが、のちのち後継問題で面倒なことになりませんか? エミルには自由でいて欲しいですし、それに結婚前にもうお子さんがいるのって……法的に可能なのですか?」


 メルヒオール様は押し黙ると、私を真っ直ぐ見据えて口を開いた。


「だから……。俺と結婚しないか?」

「ああ。成る程……。ぇ? 急にどうしたんですかっ。そんな突然。……じょ、冗談なんて似合いませんよ!?」

「冗談ではない。前にも何度か告白したつもりだったのだが、君が全く気付いていないからハッキリ言っただけだ」

「…………」


 何度かって。いつ?

 思い当たる節がない訳じゃないけれど。

 私はエミルの家庭教師としてここにいるのに。


 急に顔が熱くなってきて、私は童話に視線を落とし、可愛らしいウサギさんの表紙絵と目を合わせて、心を落ち着かせることに徹した。


「前に言った。俺は訓練の後は甘いものが食べたい。それは君が作った物がいい。寝る前には、本を読んで欲しい。たった数ページで寝てしまうエミルの寝顔を二人で見たい。そしてこうして、誰に気兼ねすることなく、君と話がしたい。……そう言っただろ。その後にも何度も……」

「それは……今を壊したくないという話かと……あっ。違いますね」


 久しぶりに、眉間にがっつりとシワを刻んだ顔で睨まれ、私はすぐに自分の言葉を訂正した。


「ああ。違う。今を壊したくないと言うより、むしろ壊したい。この距離感はもう嫌だ。エミル越しの関係から、その先へ進みたい。もっと君と近づきたいのだ。――君は……どうなのだ?」


 目を細めて横目でメルヒオール様は私を見て、私と目が合いそうになると視線を反らした。


「そうですね。私は……菓子作りをしている時、いつもメルヒオール様の顔が浮かんできますね。訓練の声が止むと、メルヒオール様が戻ってくるって心の何処かで期待して、待ってしまう自分がいます。黒檀の剣に触れた時も、他にも……色々」


 メルヒオール様の顔へチラッと目を向けると、耳まで赤くなっていて、下唇をギュッと噛んで目を泳がせていた。

 そんな可愛い反応をされたら、先の言葉が言いにくい。でも、伝えなければ。


「ですが、私はもう侯爵家の人間でもなければ、ただの使用人です。私は、メルヒオール様とは釣り合いません。ですから、エミルの家庭教師として、メルヒオール様の側にいたいと思っています」

「は? 君は馬鹿なのか? そこまで言っておいて家庭教師としてだと?」

「え。だって……」


 身分違いもいいところだ。それなのに、メルヒオール様はため息と共に言葉を発した。


「知っているか? この国の第二王子は、ゲオルグ様の娘と結婚したのだぞ。それに、ヴェルネルは爵位を捨てても国中の令嬢のターゲットにされている。今は確か第三王女に狙われていたな」

「それは、ヴェルネル様が優秀な宮廷魔導師だからです」

「ならば君も宮廷魔導師になればいい」

「魔導師なんて興味ありません」


 魔法学科に入学して、学ぶことは楽しいけれど、だからといって魔導師になりたいなんて一度も思ったことがない。


「あー。それはそうかもしれんが。だったら。……いや、そんなことはどうでもいい。君がどんな立場かなど関係ない。しかし、家庭教師として側にいたいというのは認められない」

「そ、そんな。エミルは――」

「だから、エミルの母親になって欲しいと言っている」


 メルヒオール様は、エミルと同じ紺碧色の瞳で私へと真剣な眼差しを向けていた。でも……。


「それは……嫌です」

「…………」


 メルヒオール様が撃沈した。膝の上で眠るエミルを抱き締めるようにして頭を項垂れ、暫くの沈黙の後に呟いた。


「君は……我が儘なのか?」


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