後編

 ダニエルは、ひたすらに、ただひたすらに、甲斐甲斐しく世話をしてくれるアルシアをなじった。

 やれベッドメイキングがなっていないだ、やれ料理がまずいだ、やれ顔を見るのも鬱陶しいだ……毎日毎日アルシアを詰り続けた。

 にもかかわらず、アルシアは嫌な顔一つせず、不平不満を一つもこぼすことなく、甲斐甲斐しくダニエルの世話を続けた。


 そんな生活が二週間ほど続き、このままではまずいと思ったダニエルは、決してやりたくはなかった最後の手段に出ることにする。


 朝、起こしにきてくれたアルシアに対し、


「いい加減にしろッ!!」


 ダニエルは怒鳴り散らしながらも、彼女の頬を張った。


「毎日毎日毎日毎日ッ!! ニヤついた君の顔を見るのはもうウンザリだッ!! 顔も見たくないッ!! 今すぐこの館から出て行けッ!!」


 最愛の妻アルシアに向けるにはあまりにも非道すぎる言葉に、この身を引き裂かれた方がマシだと思えるほどの苦痛を覚える。

 しかし、だからこそ顔に出すわけにはいかないので、苦痛すらも偽りの怒りに変えて、アルシアの目を真っ直ぐに睨みつけた。


 アルシアは、ダニエルの凶眼を真っ直ぐに見つめ返してくる。

 その瞳には、ダニエルに対する怒りも、失望も、憐憫すらも映っていなかった。


 映っているのは、ただ一つだけ。

 溢れんばかりの、最愛の夫ダニエルへの愛。

 それだけだった。


 身を引き裂かれんばかりの苦痛に耐えて嘘をついているというのに、アルシアの愛は小波さざなみほども揺らいでいない。


 そのことに気づいた瞬間、


 ダニエルの心はポッキリと折れてしまった。


「なぜだ……なぜ君は、私のことを愛してくれる? 君に、こんなにも……こんなにも非道い仕打ちをしているのに……」


 項垂れるダニエルに、アルシアはクスリと笑った。


「非道い仕打ちだなんて。わたくしはそんなもの、一つも受けていませんよ」


 まさかすぎる言葉に、ダニエルは思わず顔を上げる。


「それは、どういう意味だ?」

「どういう意味だも何も、あなたがこの二週間、わたくしに対してきつく当たっていたのは、全てはわたくしのため。大方、わたくしが未亡人になることを憂いて、若いうちに他の男性ひとのもとへ嫁いでくれればとか考えていたのでしょうけど、そうはいきませんわ」

「待て……待て待て待て! まさか、!?」


 狼狽するダニエルに、アルシアは思わずといった風情でクスクスと笑った。


「やはり、気づいていらっしゃらないようですね。あなたが嘘をつく時、必ずやってしまう癖があることを」

「癖……だと?」


 呆けた声で問い返してしまう。

 おそらくは、表情はもっと呆けた有り様になっているだろう。


「そうです。癖です。普段あなたが誰かと話す時、ことは、ご存じですか?」

「……そうなのか?」


 全く意識していなかったことなので、またしても問い返してしまう。

 

「そうなのです。逆に嘘をつく時は――」

「いや。わかった。さすがにもうわかった」


 アルシアの言葉を遮り、ため息をつく。

 言われてみれば確かに、自分は嘘をつく時、ことを思い出す。

 だからこそ、確信をもって言い当てることができた。


「私は嘘をつく時、相手の目をしっかりと見て話している……そういうことなのだな? アルシア」

「そういうことなのです」


 アルシアは嬉しげに楽しげに笑みを深め、宣言するように言葉をつぐ。

 

「言っておきますけど、あなたが何と言おうと、わたくしはあなた以外の男性ひとを愛する気はありませんから」

「……どうしてもか?」

「どうしてもです。わたくしに嫌われてでも、わたくしの幸せを望んでくれる……そんなあなたよりも素敵な男性ひとなど、この世には存在しませんから」


 臆面もなく断言され、ダニエルは心の底から思う。


(敵わないな。アルシアには)


 これほどまでの愛を示された以上、他の男性に嫁いで幸せになってくれと願うこと自体、野暮というもの。

 だからといってこのまま何もせずに、アルシアを一人残して逝くことは許容できない。


(ならば、私がアルシアにしてやれることは一つしかないな)


 短い黙考を経て結論を出したダニエルは、話の流れを無視してアルシアに言う。


「アルシア。私たちの子供をつくろう」


 これにはさしものアルシアも驚いたらしく、彼女の目はこれ以上ないほどにまで見開いていた。


「そう言っていただけるのは嬉しいですけど……心臓に負担がかかる行為は、あなたの死期を早めることになるのでは……」

「わかっている。最悪、ただ死期を早めるだけの結果に終わってしまうかもしれない。それでも私は遺したいのだ。私が、この世の誰よりも君を愛したという証しを」


 ダニエルがいつ死んでもおかしくない身であることを聞かされた時も、こちらのことを慮って泣くのを堪えたアルシアの目尻から、涙が伝っていく。


 そんな彼女に向かって、ダニエルは手を差し伸べる。


「受けてくれるか? 私の愛を」

「ええ……ええ!」


 アルシアは感極まったように何度も返事をしながらも、溢れる涙をそのままにダニエルの手を取った。























 六年後――


「そうしてできた子供が、あなたというわけです。ニコラス」


 館の庭先にある椅子に腰掛けていたアルシアは、目の前にいるダニエルによく似た少年――ニコラスに優しい眼差しを向けながらも、話を締めくくる。

 ニコラスは母親アルシアの話がいまいち理解できていないのか、きょとんとしていた。


「ふふ。あなたにはまだ少し早い話だったみたいですね」


 笑みを浮かべながらも、愛しい我が子の頭を撫でる。

 すると、ニコラスが満面の笑みを返してくるものだから、アルシアの笑みは深まるばかりだった。


 子供をつくると誓い合ってから一ヶ月後にダニエルは逝ってしまったが、誰よりも君を愛しているという言葉を証明するように、ダニエルはしっかりとアルシアに子宝を遺してくれた。

 そうして生まれたのがニコラスだった。


 男の子が生まれたことでクラウザー家は存続となり、ニコラスが大人になるまでの間は、アルシアが仮の当主を務めることになった。

 仮とはいえ、公爵家の当主を女性が務めることになったのはこの王国においては初めてのことであり、その際は本当に色々あったことはさておき。


 アルシアは空を見上げ、その向こう側にいるであろう最愛の夫に謝罪する。


(ごめんなさい、ダニエル。この世にはあなたよりも素敵な男性ひとは存在しないと言いましたが……それ、嘘になってしまうかもしれません)


 そして、愛しい我が子に視線を戻すと、ますます笑みを深めながらも、心の中でこう付け加えた。


(だってわたくし、この子のことをあなた以上に素敵な男性に育てるつもりでいますもの)


 その言葉に、天国にいるダニエルがヤキモチを焼いたのか。

 突風と呼ぶにはあまりにも優しい風が、アルシアとニコラスの髪を揺らした。

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クラウザー公爵の嘘 亜逸 @assyukushoot

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