中編

 その日以降、宣言どおりアルシアは、ダニエルの身の回りの世話をするようになった。


「あなた。朝ですよ」


 朝一番、使用人の代わりに起こしに来たアルシアに、ダニエルは意識的につくった渋面で応じる。


「わかっている」


 ベッドから下り、無言で着替えを催促すると、アルシアは微笑を浮かべながらも首肯を返し、すぐさま着替えに取りかかった。

 病床のダニエルの場合、着替えるといっても寝間着から寝間着になるため、よそ行きの堅苦しい服装に着替える時に比べたらその難度は格段に下がる。

 それでも、人に着替えさせるという行為自体に慣れていないであろうアルシアには、難しい作業になるとダニエルは確信していた。

 していたから、少しでもアルシアがミスをすれば、心を鬼にして叱責しようと覚悟を固めるも、


 数分後――


「終わりましたわ。ダニエル」


 アルシアの仕事ぶりは完璧だった。

 何だったら、使用人よりも着替えやすいくらいだった。


 普段ならば称賛の一つや二つ贈っているところだが、アルシアに嫌われなければならない現状ではできるはずもなく、


「……腰回りがきつい。やり直しだ」


 睨むようにアルシアの目を見据え、やり直しを命じる。


「ごめんなさい。すぐにやり直しますわ」


 こちらの視線を真っ向から受け止めながらも、微笑を崩すことなく、されど申し訳なさが滲み出た声音でアルシアは応じた。


 その後ダニエルは、アルシアの仕事ぶりが完璧であるにもかかわらず、何度も着替えのやり直しを命じた。

 その度にアルシアは嫌な顔一つせず、粛々とダニエルの命令に従った。


 八度目のやり直しを命じたところで、根負けしたダニエルは言う。


「もういい。まだ気にくわないが、これ以上続けたところで時間の無駄だからな」

「ごめんなさい。わたくしが不手際なばかりに」

「まったくだ。着替え一つにこんなにも時間がかかっているようでは話にならん。なのによく言えたものだな。使用人の代わりに私の身の回りの世話をするなどと」

「返す言葉もありませんわ」


 粛々と嫌味を受け止める、アルシア。

 その凜とした佇まいを見ただけで、彼女がこちらに対して一つも悪感情を抱いていないことをダニエルは悟る。


(これは、思っていた以上に厳しいたたかいになりそうだな)




 ◇ ◇ ◇




 確かにアルシアは、使用人に代わってダニエルの身の回りの世話をすると言った。

 しかしそれが料理にまで及んでいたことは、想定外もいいところだった。


(だが、これは好機かもしれない)


 基本、貴族は専属の料理人を雇っている。

 ゆえに、公爵夫人であるアルシアは料理をする必要がなく、事実、彼女が厨房に立っているところを、ダニエルは今まで一度も見たことがなかった。


 今度こそ、彼女を徹底的にこき下ろす好機――と思っていたら、


(……匂いからして旨そうだな)


 食卓に並ぶ妻の手料理を前に、ダニエルは素直にそう思った。

 おまけに料理の献立メニューが、柔らかめのパンに野菜のポタージュ、魚の煮込み料理と、こちらの体調を慮ったものになっている。


 着替えの時と同様、良くできた妻に称賛の二つや三つ贈ってやりたいところだったが、そんな内心を無理矢理にでも押し殺して、妻の手料理を前にした夫としては最低な行動に出る覚悟を固める。


「なんだこれは?」


 威圧の意味も込めて、配膳を終えたばかりのアルシアの瞳に睨むような視線をぶつける。

 やはりというべきか、アルシアは少しも気圧されることなく、柔らかな微笑をたたえながら答えた。


「朝食でございますわ。ダニエル」

「そんなことはわかっている。私は、なぜこんな庶民が食べるような低俗な料理を用意したのかと訊いているのだ」


 貴族の食卓は基本、味の濃い肉料理がメインとなっている。

 一方、アルシアがつくった料理は、パンや野菜、煮込んだ魚をメインとした、言ってしまえば味の薄いものばかりで構成されていた。

 手の込んだ魚の煮込み料理はともかく、パンや野菜のポタージュは、ダニエルが言ったとおり庶民の食卓によく並ぶ献立メニューだった。


「食欲が落ちたあなたには、朝から味付けの濃い肉料理はつらいだろうと思いまして」


 事実そのとおりだった。が、ここで認めてしまっては全てが台無しになってしまうので、引き続き睨むような視線をアルシアにぶつける。


「だから、こんな低俗な料理を用意したと?」

「ええ。そのとおりです」


「ふざけるなッ!!」


 嘘の怒号を吐き散らしながら、目の前の料理を乱雑に払いのける。

 けたたましい音とともに、最愛の妻がつくってくれた料理が床にぶちまけられる。


 どうだ?


 君が私のためにつくった料理を、こんな扱いにしたのだぞ?


 さあ嫌え。


 私のことを嫌え。


 そして……私なんかよりもはるかに素敵な男性ひとを見つけて、幸せになってくれ。


 そんな諸々の感情を押し殺し、無理矢理捻り出した怒りを滲ませた双眸で、最愛の妻アルシアを睨みつける。

 凶眼といっても差し支えない視線を前に、アルシアは微笑を崩すことなく謝罪した。


「ごめんなさい、ダニエル」


 彼女には全く非がないのに何度も何度も謝らせていることに、痛いと、苦しいと、もうこれ以上やめてくれと心が訴えてくる。

 そんな訴えに耳を塞ぎながらも、ダニエルはアルシアに冷たく言い放った。


「つくり直せ。今すぐにだ」

「ええ。かしこまりました。ですが……」


 アルシアは真っ直ぐにこちらの目を見返しながら、言葉をつぐ。


献立メニューは、今出した料理と全く同じ物を用意します」

「くどいぞ、アルシア。私はあのような低俗な料理に口をつけるつもりはない」

「低俗であろうとも、あなたの体には良いことは事実です」

「事実だと? 誰がそんなことを決めた」

「この国において、名医と呼ばれている方々がです」


 不覚にも口ごもってしまう。

 どうやらアルシアは、先日名医たちを見送った際に、今のダニエルの体に合った料理を聞き出していたようだ。

 どこまでもできた妻だと、心の底から思う。

 本当に、自分には勿体ないくらいに。


 名医たちの意見が反映されているせいもあって、ろくな反論が見つからなかったダニエルは、


「……ふん。好きにしろ」


 着替えに引き続き、ここでも自分から折れる形になってしまったのであった。

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