エピローグ


 レオ率いる獣人部隊との交戦から数時間後。

 あれから渓谷を越えて、小川のそばをひたすら歩いていたユーリ達は、一度だけ周囲を見回して万全の注意を払ったあと、深呼吸するように大きく一息ついた。

「ここまで来たら、さすがにもう大丈夫だよね? 結局あれから他の魔族の追撃もなかったし」

「そうですわね。念のため常に警戒態勢を取っていましたが、見晴らしも良くなりましたし、また突然襲撃される心配はないと思いますわ」

 ユーリの言葉に、後方にいたアリアが前へと横並びになる形で進みつつ、そう応えた。

「いやー。一時はどうなるかと思ったけど、みんな無事に済んでよかったよね~」

「ですわね。まさかあんな崖のそばで戦闘が始まるとは思ってもいませんでしたわ。幸いにも崖崩れに巻き込まれることもなくてほっとしましたけれど」

「逆にあの魔族達の方が崖崩れに巻き込まれて大ダメージを受けていたよな。あれがなかったら、いくらあたしでもさすがにヤバかったろうなあ」

 先頭を歩いていたアリアもユーリ達と並んで、三人して雑談を始めた。今でこそ和やかな雰囲気だが、それまでずっと表情を引き締めていたせいもあって、いかに緊迫した心境にいたのかを言外に語っていた。

「でも一番驚いたのは、やっぱハイドが魔族だったことだろ。しかも突然現れた仲間と一緒になってあたしらを倒そうとするし」

「あれにはわたくしも驚かされましたわね。演技とは思えないほど真に迫るものがありましたわ」

「ねー。本当に熱演だったよねー。気迫があったっていうか、すっかり騙されちゃったよ。けどいつからあんなこと考えていたの? ライオンさん達があそこで私を待ち伏せしていたのを事前にわかっていたの?」

「いえいえ、とんでもない。レオ達があそこにいたのは完全に予想外でした。たまたまユーリさんに魔法反射効果のあるリストバンドをプレゼントしたのを思い出して、一計を案じてみたんです。結果的には上手くいきましたが、いつレオ達に演技がバレるかと冷や冷やでしたよ」

 と。

 ユーリ達の後ろを歩いていたハイドは、面映ゆげに頬を掻いてそう応えた。

「でもやっぱりすごいよ~! 土壇場であんな演技ができちゃうんだもん!」

「完全にハイドさんの手のひらでしたわよね。まさに台本通りといった感じで」

「あの魔法も凄かったよな~。獣人達をぶっ飛ばした時も凄かったけど、あのライオンやろうを倒した時も負けず劣らずな威力だったし。ほんとお前、今までずっと実力を隠してたんだな。こんにゃろ、今まで出し惜しみなんかしやがって~!」

 などとイタズラじみた笑顔を浮かべながら、腕を回して首を絞めてきたファイに「ぐえええっ! 痛い痛い! 痛いですファイさん!」とハイドは苦悶の表情で喘いだ。

「まあ仕方ありませんわね。最初は本当にわたくし達を抹殺しようとして近付いてきたみたいですし。そう考えると、今さらながらぞっとしますわ……」

「でも今はちゃんと私達の味方になってくれたんだし、過去のことは水に流してあげようよ。これからも一緒に旅をする大切な仲間なんだからさ!」

 そう満面の笑顔で言い切ったユーリに「あ、ありがとうございます」とハイドはぎこちなく礼を述べつつも、

(ああああああああ~! 緊急措置だったとはいえ、なんでこんなことに~っ!)

 と内心嘆いていた。

 緊急措置。

 言い換えるとその場しのぎの対応とも表現できるが、あの時はああするしか他なかったのだ。

 ユーリ達の目を欺いたまま、土壇場の状態でレオを説得する方法なんて。

 さて、具体的にハイドはなにをしたのか。それは、レオに魔法を放ったところまで話は遡る。



 ド派手な魔法をぶっ放し、もうもうと辺り一面が土煙に染まる中。

 とある人物を探すべく、ハイドは土煙の中を魔法で作った風の壁で飛散する砂を防ぎながら歩いていた。

 ちなみにユーリ達とは、魔法を打ったと同時にすぐ離れた。今ごろハイドがいなくなったとも知らず、この土煙に身動きが取れなくなっていることだろう。

 が、いつまでも土煙が舞っているわけではない。さっさと見つけ出さなければ。

(確かこの辺だったはず…………っていた!)

 探し人……もといレオは、この土煙に咳き込みながら、膝を付いて座していた。

 そんなレオに、ハイドはゆっくり近付いて、

「──レオ」

「ハイド……!?」

 煙の中から現れたハイドに、双眸を剥くレオ。が、すぐに苛烈な視線を飛ばして、ハイドに気炎を上げた。

「これは一体どういうことだ!? なぜ俺様を殺さなかった!? よもや、俺様に生き恥を掻かせるつもりではなかろうな……!?」

「誤解するな。お前を消すつもりなんて、最初からなかったよ」

「……? どういうことだ? そもそも、なんだ今の魔法は? こけおどしもいいところではないか」

「そのものズバリだ。勇者どもの目を欺くために、わざと見た目が派手なだけの魔法を打って、さもお前を跡形もなく消したように見せかけたんだよ」

「その理由がわからん。勇者どもに寝返った今、俺様を生かす必要なんてどこにある?」

「だから誤解だって言っただろ。お前を殺すつもりなんて毛頭ないし、それ以前に、勇者どもに寝返ってもいない」

「なんだと……?」

 ハイドの言葉に、レオは当惑したように眉をしかめる。まあだれが聞いても、きっとレオと同じ反応を返すに違いないと思うが。

「改めて説明するが、これはオレの作戦だ。お前を倒したと見せかけて密かに逃がし、これからも勇者どものスパイとして活動するためのな」

「スパイだと? お前の任務はスパイじゃなく、勇者どもの抹殺ではなかったのか?」

「話が変わった。本当は早急に始末する予定だったが、そうもいかなくなった」

「なんだそれは? いやどんな事情があったにせよ、お前が我が部隊を魔法で蹴散らしたのは揺るぎない事実。これをどう釈明する気だ!?」

「それはほとんどお前のせいだぞ。こっちの事情をよく調べもせず、あんな風にいきなり奇襲なんてしやがって。もしもあのまま突撃していたら、勇者達に全滅させられていたところだったぞ」

「全滅、だと……!?」

 またしても瞠目して動揺を露わにするレオ。無理はないが、さっきから驚いてばかりだ。

「魔王軍の中でも群を抜く精鋭部隊だぞ!? あんな小童どものどこにそんな力があるというのだ!? 俺様が見た限りでは、そんなもの鱗片も感じさせなかったぞ!」

「それは負傷しているお前らにわざわざ全力を出すまでもないと判断したからだ。だがオレは以前この目でしかと見た。魔王様にも匹敵しかねないほどの恐るべき力を……!」

「バカな……! あの魔王様と並びうるほどの力だと……? それが事実なら、最強と言っても過言ではないぞ……!?」

「紛れもない事実だ。だからこそ、オレは泣く泣く断腸の思いでお前の部隊に魔法を放ったんだよ。もちろんある程度加減はしたが、少なくとも半数以下に減らさないと勇者達が本気を出しかねない事態だった。それこそ、一瞬で終わらせてしまえるほどの力をな」

「そんなまさか、まったく信じられん……。勇者の件もそうだが、お前がそこまでする理由も皆目見当も付かん。結果的に壊滅こそしてしまったが、なぜ我が部隊を最小限の被害で救おうとした? お前にそこまでされる義理はなかったはずだが?」

「もっと大局を見ろ。確かにオレとお前は事あるごとにいがみ合ってきた仲だが、それでも魔王様に仕える大事な駒だぞ? 貴重な戦力を無駄に減らしてどうするんだ」

「くっ……。確かに貴様の言う通りだ。少々自暴自棄になっていたようだ……」

 頭に上っていた血がようやく下がってきたのか、そんな風に声のトーンを落としてレオは項垂れた。

「そういうわけで、散っていった部下達には気の毒だが、ここは耐えてほしい。オレが勇者達の徹底的な弱点を見つけるまでは」

「ぐうっ……!」

 ハイドの頼み事に、歯噛みして怒りに唸るレオであったが、それも幾ばくか経って、

「……わかった。これも魔王様の世界征服のためだ。部下達の死を無駄にしないためにも、ここは怒りを呑もう」

 と、熱が冷めたように重々しく頷いた。

「それで、俺様はどうすればいい? さすがにこのまま勇者どもに負けて、俺様だけおめおめと逃げてきたとは報告できんぞ? お前もいたわけだからな」

「そこは戦略的撤回だったと言えばいいだろ。これ以上戦えば、さらに被害が増すだけだったと。オレというスパイがいなくなってしまうことも含めてな」

「……なるほど。だいぶ勇者どもの信頼を得ているようだしな。確かに魔王様もここで弱点を握る前に失うには惜しいと思うに違いない」

「そういうわけだ。だから煙が晴れない内にさっさと逃げろ。勇者に気付かれる前にな」

「……ああ、そうだな。お前に借りを作るのは悔しいが、ここは言う通りにしよう」



 以上、回想終了。

(よかった……。なんとかオレの話を信じてくれて。口八丁もいいところだったけど、なんとかあの場を誤魔化せて本当に良かった……!)

 依然としてファイに首を絞められながらも、レオとの会話を想起して安堵の息を吐くハイド。

 あの時、ハイドがしたこと。それは、勇者だけでなくレオも騙して急場を乗り切るというものだった。

 スパイだとかユーリに強大な力が秘められているとかレオ達を救うために魔法を放ったなんて、全部とっさに思い付いた嘘ばかりだ。ああでもしなければ魔王様の怒りに触れて消されかねなかったので、我が身可愛さに話を作って演じてみせただけに過ぎなかった。

(まあ、こいつらにとてつもない力が秘められているのは、まんざら嘘というでもないが……)

 それも強運という名の、どう太刀打ちすればいいかもわからない力が。

本当はこんなはずじゃなかった。当初の予定ではもっとスマートにユーリ達を始末する予定だったはずなのに、その抹殺対象とまさかこうして今も旅をする羽目になろうとは。一体どこで選択を間違えてしまったのだろう。

(んなもん、こいつらに関わってしまったせい以外にありえないよな。おかげで終わりの見えないスパイ役をやることになっちまうし……。ああもう、この先どうしたらいいんだよ~っ)

 ひとまず今のところはなんとか無事に済んでいるが、今後もユーリ達にスパイと勘付かれないようにしなければならないし、なにより、魔王様にノープランで勇者一味の旅に同行しているということだけは決して知られてはならない。

 どちらも嘘が露見次第、命はないのだから。

「く~っ。負けてらんないなあ。あたしもハイドに負けないくらい強くなんないと!」

「ですわね。あんないかにも強敵そうな魔族が攻めてきたということは、この先もきっと同じくらいか、それ以上の力量を持つ魔族が襲ってくるということでしょうから」

「じゃあ、これからは四人一緒に鍛練しなきゃだね! ちょっとだけ楽しみ~♪」

 などと、こっちの苦労も知らずに能天気な会話をするユーリ達に、ハイドはふと沸いた疑問を口にした。

「……あの、皆さんは気にしないんですか? 自分と一緒に旅をすることに」

「え? なんで?」

 と、不思議そうに小首を傾げるユーリ。いや、こっちが逆に不思議なくらいなのだが。

「いやだって、こっちは紛れもない魔族なんですよ? もちろん、ユーリさん達以外の人がいる時はちゃんと人間に化けるつもりですけど、それでも人類の敵であることに変わりはありませんし、そんな自分を簡単に受け入れられるものなんですか?」

「ハイドくんは敵じゃないよ」

 ハイドの問いにユーリはあっけらかんとした面持ちで応えて、そのまま笑顔で続けた。

「ハイドくんはもう私達の大切な仲間だもん。たとえ魔族でも、それは変わらないよ」

「ユーリの言う通りだぜ。確かに人間と魔族は敵対している関係だけどさ、あたしらまでいがみ合う必要なんてないじゃん。お前は同じ魔族を敵に回してまで、あたしらに味方してくれたんだからさ」

「わたくしも同意見ですわ。それは先の戦いで十分証明されましたし、ハイドさんはもう立派なわたくし達の仲間。もしも他の方が憎悪を向けてきたとしても、わたくし達だけはなにがあってもハイドさんの味方ですから安心してくださいまし」

 ユーリに続いて、ファイとアリアも一片たりとも嘘を感じさせない清々しい表情で言ってきた。

(こ、こいつら、どんだけバカなんだ? いや、こっちにしてみればありがたい限りだが、普通はそこまであっさり信用せんぞ……)

 などと、三人の反応に耳を疑うほど呆気に取られていた途端、

「ま、アリアの場合は魔族とか関係なしにハイドのことを嫌っていたみたいだけどな~」

「な、なにを言い出してますのファイさん!? 別に嫌ってなどいませんわ! ただちょっとユーリさんの超絶可憐なお姿に、ハイドさんのような若い男性が劣情を催さずにいられるかどうか心配だっただけで……。というかそれを言うなら、ファイさんだってハイドさんのことを敵視していたではありませんの!」

「それは最初だけだも~ん。アリアと違ってあたしは割と早めにハイドのことを仲間として受け入れてたし~。や~い。アリアの陰険~っ」

「んな!? だれが陰険ですのよっ!」

「あははっ。アリアが怒った~!」

 見るからに激怒して走ってきたアリアに、ファイは即座にハイドの首から腕を離して一目散に逃げ出した。

「あはは。ファイちゃんとアリアちゃんは本当に仲良しだね~」

「仲良し、なんですかねえ?」

 二人の追いかけっこを微笑えましそうに眺めて言ったユーリに、首を傾げながら横に並ぶハイド。まあ、ケンカするほど仲がいいとも言うが。

「でも、本当に良かったよ。ハイドくんが仲間のままでいてくれて」

 不意にそんなことをしみじみと口にしたユーリに、ハイドは「ああ」と得心がいったように頷いて、言葉を繋げた。

「ただでさえ危機的状況でしたからね。そう思うのも無理はありませんよ」

「それもあるけど、それだけじゃなくて」

 と、なぜかもったいぶるように少し間を空けたユーリは、その後ステップするかのような軽やかな動作でハイドの前に躍り出て、話を紡いだ。

「ハイドくんとこれからも一緒にいられてすごく嬉しいなあって、そういう意味で言ったんだよ?」

 まるで太陽のような眩しい笑顔で言ってきたユーリに、ハイドの胸が突然躍動したようにドキっと跳ねた。

(な、なんだ今の? 病気かなにか? いや、それよりもまずは──)

「オレ……じゃなかった。僕と一緒にいられるのがそんなに嬉しいんですか?」

「もちろんだよ。だってせっかくできた仲間だもん。離れ離れになったら寂しいよ」

 それよりもハイドくん、と不意にハイドのすぐ目の前まで近寄ってきたユーリは、可愛くお願いするように上目遣いでこちらを見つめてきて言った。

「もう無理に演技する必要はないよ? 一人称もだけど、敬語だって普段は使ったりしないんでしょ?」

「……ですが、まだ新参者ですし……」

「ダメダメー。私達はもう仲間なんだから。アリアちゃんみたいに癖ならともかく、これからは変に気を遣うのはなしだよー」

 そうお姉さんぶったように人差し指を立ててきたユーリに、ハイドは「うっ」と少したじろぎながら、

「わかり……いや、わかった。これからは普段通りに接するよ」

「うん。よろしい!」

 ハイドの返答を聞いて、満足げに頷くユーリ。そんなユーリを視界に映しながら、ハイドは苦笑を漏らした。

(ま、敬語くらい別にいっか。演技をする手間が多少なりとも省けたわけだし。それよりも、さっきのは一体なんだったんだ?)

 今はもう鎮まった胸の鼓動に手を当てながら、ハイドは眉をひそめる。

 あんな強く胸を打つような脈動は初めての経験だった。今まで病気なんて風邪くらいしか引いたことがないし、それにしたってもう何年も前の話だ。昔から健康そのものだったし、病とは考えにくいが、果たしてあれは……?

「おーい。なにしてんだ二人共~。置いてっちゃうぞ~」

「先を急ぎましょう。でないと町に着く前にまた野宿になってしまいますわ~」

 と、いつの間にやら小競り合いをやめて先行していたファイとアリアに、ユーリは可笑しそうに「ふふっ」と微笑をこぼして、ハイドに手を差し伸べてきた。

「じゃあ、行こうか。ハイドくん」

 その差し伸べられた手をそのまま見つめつつ、ハイドは小考する。

 先行きは怪しいし、未だユーリ達を打倒する策さえなにも思い付かないままだが、こうなってしまったらもうどうにでもなれだ。短絡的ではあるが、なるようになると考えて明日を生きるしかない。

 このバカが付くほどのお人好しの勇者と一緒に。

「ああ、行こうユーリ」

 以前なら考えられないほど浅慮な自分に思わず苦笑しつつ、ハイドはユーリの手を握って共に走り出した。

 その笑顔が、存外楽しそうだったことにも気づかないままに。

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いつからオレが味方だと錯覚していた?〜勇者パーティーに紛れ込んだ魔族ですが、勇者たちが強運すぎて倒せません〜 戯 一樹 @1603

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