第11話


「一体どういうことだ、それは」

 魔王城、謁見の間。

 そこの一際豪奢に輝きを放つ玉座にて、ワイングラス片手に傲然と座していた魔王は、目の前の鏡に映る部下の報告に対し、凍て付くような声音でそう訊ねた。

 鏡に映る人物──もといハイドは、そんな剣呑な雰囲気を放つ魔王に、

『え、えーっとですね。失礼ながらもう一度申し上げますと』

 と終始恐々とした態で話を繋げる。

『勇者一味を抹殺する任務ですが、予想していたよりもかなり難航しておりまして……』

「ほう。それで?」

『近日中に始末するのは、少し難しいかもしれないと言いますか……』

「………………」

 言葉尻を濁すハイドに、魔王は無言でグラスの中のワインを揺らす。

 その静かに怒りを垣間見せる魔王に、ハイドだけでなく、先ほどから通信用の円鏡を手に持って腰を屈めている全身緑の鬼──ゴブリンも、恐怖に表情を強張らせていた。

 そうして、少し間を空けたのち、

「で?」

 と、魔王は不意に口を開いた。

「それで、貴様はどうするつもりだ。確か任務に出る前は、今日この日までには勇者達を必ず亡き者にすると告げていたはずだが?」

『も、申しわけありません! 自分の見込みが甘かったせいとはいえ、魔王様の期待を裏切るような真似をしてしまいまして……!』

「言い訳などどうでもよい。我はこれからどうするつもりでいるのかと訊いているのだ。仮にも四天王の一人である貴様が、このままなにもせずおめおめと帰還する気ではなかろうな?」

『も、もちろんです! 必ずや勇者どもを仕留めてみせます!』

 そう威勢よく言い切ったハイドに、魔王はスッと両目を細めて、

「なら、期限は明日までだ」

『あ、明日までですか……?』

「そうだ。必ずや仕留めてみせるのだろう? なら明日までにこなしてみせよ。この我に忠誠を誓っているのならなおさらな」

 よもや、この我をこれ以上待たすわけでもあるまいな?

 と、射殺すように眼光を鋭くさせた魔王に、ハイドはぶるっと体を震わせて絶句した。

「どうした? 返答がないようだが?」

『は、はいっ! 明日までに勇者どもの首を持って帰ってみせます!』

「なら、さっさと勇者どもを片付けろ。我の信用を失いたくないのならな」

『はっ! それでは失礼します!』

 そう恭しく頭を下げたあと、通信を終えて鏡から姿を消したハイド。

 やがて訪れた静寂に、魔王は無言のまま残りのワインを飲み干したあと、未だ円鏡を持ったままのゴブリンに向けてこう呟いた。

「……もうよい。消えろ」

「は? 今なんと?」

「消えろと言っている。三度目はないと思え」

「はいいいいいいっ! 失礼しましたああああああああ!」

 血相を変えて脱兎のごとく謁見の間から出ていったゴブリンに、魔王は「ふん」と機嫌悪く鼻を鳴らして空になったグラスを横に放り投げた。

 ぱりんっ! と床に落ちて粉々に割れるグラスに見向きもせず、玉座の縁に頬杖を付く魔王。そうして「ちっ」と苛立だしげに舌打ちを漏らしたあと、魔王は厳めしく口を開いた。

「おのれ勇者め。まさか四天王であるハイドの手すら煩わせるほどの相手だったとは。なおさら忌々しい……」

『魔王様』

 と。

 魔王が怨嗟の言葉を吐いていたところで、突然どこからともなく雄々しい声が響いてきた。

「この声は、レオか?」

『はい』

 言って、不意に石柱の陰から現れたのは、一匹の小さなコウモリだった。

 そのコウモリは俊敏に宙を滑空したのち、玉座のある石段から少し離れた位置に悠々と着地した。

「通信用の使い魔か。して、何用だ?」

『失礼ながら今までの話、この使い魔を通じて聞かせていただきました』

「ふん。無粋な真似をしおって……と言いたいところではあるが、わざわざそうして正体を明かしたのだ──なにか有益な話あってのことだろう?」

『さすが魔王様。ご慧眼です』

「余計な言葉はいらぬ。さっさと申してみよ」

『はっ。先ほどの勇者討伐の件ですが、その任務、どうかこのわたくしめにも任せてはもらえないでしょうか?』

「……貴様に?」

 訝しげに問うた魔王に、コウモリ──もとい使い魔を通じて会話しているレオは、巨漢を思わせる野太い声で『その通りです』と肯定した。

「だが貴様には別の任務を……古くから戦闘民族が住まうと言われる北方の孤島を制圧するよう命じたはずだが?」

『ご安心を。すでに任務を完了し、現在帰還中であります』

「ほう。仕事が早いではないか」

 レオの報告を聞いて、それまでの不機嫌な顔が嘘のようにニヤリと目笑する魔王。

 とそこで、魔王は急になにかを思い出したように真顔になって、

「しかし貴様が現在いるであろう地点から、勇者どもがいるところまではかなり距離があるのではないか? 先ほどハイドには明日までに勇者どもを討伐するよう命じてしまったのだが?」

『問題ありません。すでに我々の部隊は、勇者どもがいる地域のすぐ近くまで来ております。明日の正午には勇者達と衝突している頃合いでしょう』

 それに、と意味深に話を継いだレオは、顔は見えないがあたかも嘲笑を浮かべているかのような声音でこう続けた。

『こう言ってはなんですが、ハイド一人で勇者どもを始末できるとは限りませんからな』

「……なるほど。一理あるな」

 レオの言葉にそう首肯した魔王は、ふと黙考するように瞑目したのち、

「この際ハイドだけに任すよりも、レオも協力させた方が得策か……」

 と呟きを漏らしたあと、おもむろに正面の使い魔を指差した。

「ならば征け。我が部下にして四天王の一人である『豪傑のレオ』よ。見事勇者どもを討ち果たしてみせよ!」

『御意!』

 魔王の言葉に力強く応えたレオは、そのまま使い魔であるコウモリを飛翔させて、闇に溶けるように影の中へ消え去った。



  ☆



「大丈夫ハイドくん? 少し歩きづらそうだけど……」

「あー。さっきからずっと尻を押さえてばかりだもんな。はは、まるでトイレをめちゃくちゃ我慢している人みてえ」

「いけませんわファイさん。人の不幸を笑うだなんて。ですがまあ、確かにちょっと滑稽な姿ではありますわね……」

 そこはコマースの町から幾分離れた渓谷の中──その川のそばにて、ハイドたち四人は時折休憩を挟みつつ、次の町を目指して歩いていた。

 そんな中、ユーリ達に言われた通りの体勢で歩いていたハイドは、言いたい放題のファイとアリアに立腹しつつも、必死に怒りをこらえて、

「だ、大丈夫ですよ。確かに痛みで歩きづらいですが、何度か休憩もしていますし」

 と無理やり笑みを貼り付けて言葉を返した。

「ほんと? でも昨日からずっとお尻を押さえてない? やっぱりもう少しコマースの町で休んでいた方がよかったじゃあ……」

「本当に大丈夫ですから。僕のせいで先を進めないなんて申しわけないですし」

(それ以前に、あの町にいたままだと人目もあってなかなか手も出せないしな)

 心配そうに顔を覗き込んでくるユーリに、言葉とは裏腹にあくどいことを考えるハイド。

 あんなところで足止めを食らうよりは、少しでも遠く離れたところに移動して好機を待った方がいい。そう考えての行動だった。

「ま、実際ユーリの着替えを覗こうとしてそうなったんだから、自業自得だよな」

「それは違うよファイちゃん! 私も最初は疑ったけど、あとでハイドくんの話を聞いてそうじゃなかったってことがちゃんとわかったし」

「本当か~? おばさんがぶつかってきたって言うけど、実は嘘で、単にユーリの裸が見たかっただけなんじゃねえの?」

「そ、それは本当ですの!? もしそれが事実なら、わたくしはハイドさんの心臓を握り潰さないといけませんわ!」

 怖ぇよ! なんでそう発言がいちいち猟奇的なんだよ!

「いや、本当に事故だったんですって! 信じてください!」

「信じてあげてよ二人共。ハイドくんがここまで言ってるんだよ?」

「まあ、ユーリがそう言うなら……」

「ユーリさんが信じろと仰るなら、そうするしかありませんわね……」

 って、ユーリの言うことなら素直に従うんかい!

 いくら仲間になって日が浅い上、偽りの関係だったとしても、なんだか無性にやるせなくなってきた。

(まったく、こいつらと接触してから今日まで散々な目に遭ってばかりだな……)

 ユーリ達を毒殺しようとして鍋をひっくり返したり、ユーリの寝込みを襲おうとして思わぬ反撃を受けてしまったり。

 昨日は昨日で、ファイに毒入りのカレーを食べさせようとして、いつの間にか毒と胃腸薬がすり替わっているわ、ユーリに化けてアリアを殺そうとした際、足に付いた胃腸薬の粉をきっかけに正体を見破られるわ、そのあとにユーリの着替え中に刺殺しようとして予想外の邪魔が入ったばかりか、転倒した時に胃腸薬入りの瓶に肛門を貫かれるわ、思い返すだけでろくな目に遭っていなかった。

 そもそもあの胃腸薬、なんでこうも図ったように障害として何度も登場してくるのだろう。あれか、呪いのアイテムかなにかなのか。

(……もしや、これがあの時下級魔族が魔王様に報告していた、とんでもない強運というやつなのか?)

 最初に聞いた時は、そんなことがあるものかと小馬鹿にしていたが、実際に被害を受けてみて、にわかに真実味を帯びてきたような気がする。未だ信じられない心境ではあるが。

(いや、これはもう、そういった天運がこいつらに味方していると考えるべきかもしれん。でなきゃ、このオレがこうも失敗ばかりするものか)

 しかし、だとしたら、これはとんでもなく厄介だ。

 どんなに不利な状況でも幸運でくぐり抜けてしまえる相手なんて、どうやって倒せというのか。いくら知略に長けたハイドと言えど、もはやお手上げな状態だった。

 ただでさえ、今日中にこいつらを亡き者にしないと、この先どうなるかわからないっていうのに。

(魔王様も露骨に怒りはしなかったものの、かなり不機嫌な様子だったしなあ。これ以上の失態は決して許してはくれまい……)

 それこそ四天王の地位を失うばかりか、路頭に迷う事態になるかもしれない。

(嫌だ! それだけは絶対に嫌だ! そこまで落ちぶれるくらいなら、いっそ死んだ方がマシだ!)

 ボロ布を纏って寂れた街角を一人で歩く自分を想像して、思わず血が滲み出そうなほど歯噛みするハイド。

 今でこそ四天王の地位にまで至ったハイドではあるが、決して平坦な道だったわけでない。むしろだれよりも努力を重ねた上で、ようやくここまで到達できたのだ。

 だからこそ、苦労してようやく手に入れた地位を、今さら手放すわけにはいかない。どころか、ハイドはこれから他の四天王を出し抜いて、魔王様の右腕的存在になろうとしているのだ。その道を阻もうというのなら、たとえどんなに強大な相手だとしても、泥を啜ってでも活路を見出してやる……!

「にしても、また辺鄙な道を行くんだなー」

 と、人知れずハイドが重大な覚悟を決めたところで、ユーリやアリアと一緒に前を歩いていたファイが、周囲に広がる雄大な自然を軽く見渡したあと言葉を発した。

「周りは緑ばっかだし、そばには崖と川しかないし。どこまで行っても代わり映えしなくて退屈なんだよなあ」

 そんな風にうんざり顔で言うファイに、すぐ左隣りを歩くアリアが呆れたように眉尻を下げて、

「仕方がありませんわ。こっちの道が一番近いのですから。他の道だと遠回りだったり魔物の頻出地域だったりで、却って危険だったのですから」

「そもそもさー。次の町ってそこまでして行くほどのものなのか? 占い師に会いに行くだけなんだろ?」

「ただの占い師ではありませんわ。コマースの町でもかなり話題になっていた凄腕の占い師のようですから。きっと魔王に関する貴重な情報を提供してくれますわ」

「けど、あくまでも占いだろ? 当たるとは限らねえじゃん。これで外れだったら骨折り損だぜ?」

「あら、ファイさんにしては珍しい弱気発言ですわね。ファイさんだったら、ここで良い修行になりそうって喜びそうなものなのに」

「いや、確かに修行にはいいけどさあ。こうも緑に囲まれてばっかりだと、なんだか窮屈な感じがして良い気分がしないんだよなあ。どうせならこの間みたいな、地平線が見えるくらいの視界が開けたところの方が、個人的には爽快感があって好きだな」

「そうかなあ? 私はこういった大自然に囲まれた場所も好きだけどな~」

 と応えたのは、一番左端を歩くユーリのものだ。

「それに、空気が美味しくて気持ちいいし」

「さすがですわユーリさん! どんな状況でも楽しむそのポジティブ精神、実に素晴らしいです!」

「ていうかユーリ、妙に上機嫌だよな。さっきからずっとそのピンクのリストバンドばっか触ってるし」

 ファイに言われて初めて気付いたのか、ユーリは慌てた様子で右手首にあるリストバンドから手を放して「えっ? そ、そうかな?」と若干頬を赤らめて言った。

「そうだよ。それって確か、着替えを覗いたお詫びにってハイドに買ってもらったやつなんだろ? そんなに嬉しかったのか?」

「そう言われてもみれば、昨日からユーリさん、すごく嬉しそうに何度もリストバンドを眺めていますわよね? はっ! まさか、そのリストバンドを餌にユーリさんを懐柔するおつもりでは……! ハイドさん! 一体どんな鬼畜なプレイを強要するつもりなんですの!? 縛り!? 亀甲縛りですの!?」

 そんな特殊なプレイ、だれがするか!

「いえ、完全に濡れ衣ですから! そのリストバンドは、本当にただお詫びのつもりでプレゼントしただけです」

 猜疑の目を向けてくるアリアに反論しつつも、ハイド自身もさすがにプレゼントはやり過ぎだったろうかと今さらながら後悔の念が襲ってきた。

(だが、あの場はああでもしないとお互い気まずいままだったしなあ。事故とわかってもらえたあとでも、まともに目線が合わせられないくらいだったし。でもせめて、もっと事務的に渡すべきだったかもしれない……)

 肛門の激痛に耐えながら、必死に事故だということを説明してどうにか納得してもらったまではよかったものの、その後の気まずい空気に危機感を覚えたハイドは、近くにあったピンクのリストバンドをとっさに手に取って、情熱的な言葉と共にユーリにお詫びを兼ねてプレゼントしてしまったのだ。

 それも「ユーリさんにとてもお似合いです」だとか「むしろこのピンクのリストバンドは、ユーリさんあっての物です」だとか「これを腕に着けたユーリさんを想像しただけで愛くるしさに悶えそうです」だとかいかにも歯が浮きそうなセリフを。

 ……いくら焦っていた上に、終始肛門の痛みに耐えていたからといって、あれはちょっとやり過ぎだったかもしれない。ユーリも恥ずかしそうに照れていたし。

 今思い出しただけでも、自己嫌悪のあまり喉を猛烈に掻きむしりたいくらいだ。

「それを聞いてほっとしましたわ。本当にただのお詫びの品なんですのね」

「そ、そうだよ~。別に深い意味なんてないよ~。そうでしょ、ハイドくん?」

「あ、はい。その通りです」

 ユーリの問いかけに、戸惑いつつも素直に頷くハイド。

 そんなハイドの反応に、ユーリはなぜか一瞬残念そうに表情を曇らせたかと思えば、

「でも私、このリストバンド気に入っているよー。だってすごく可愛いもん♪」

 と、またすぐにいつもの呑気そうな顔で口許を綻ばせた。

(なんだ今の表情? 一瞬暗そうに見えたが、オレの気のせいか?)

 ま、別にどうでもいいか。今はそれよりも、今後の作戦を練る方が重要だ。

「まあ確かに、けっこう可愛いよなー。ハイドも良いチョイスするじゃん」

「でしょでしょ? ほんとこれ可愛いよね~」

「わたくしはそうやって喜んでいるユーリさんが一番可愛いらしいと思いますわ! って、あら? よく見ましたらそれ、なにか不思議な力が──」

 などと、目の前で姦しくきゃぴきゃぴ騒ぐユーリ達をよそに、後ろで必死に思考を巡らせるハイド。

 どんなに策を講じようとも毎回その冗談ような強運で危機を回避されてきたわけだが、この神の見えざる手とも言うべき奇跡をいかにして攻略すればよいか。ここが最大の肝にして最大の難関となるのだが──


「そこにいたのか、勇者どもよ」


 と。

 熟考していた間に、突然頭上から響いてきた野太い声に、ハイドははっと我に返って右横にある崖を見上げた。

 そして見上げた先にいた人物に、ハイドは双眸を剥いてその場に立ち尽くした。

「この渓谷の中に入っていったという情報は耳にしていたが、探し出すのに少々手間取ったぞ」

 雄々しく生えたたてがみに、見るからに容易く肉を貫きそうな鋭い牙。全身に生える茶色の体毛が、隆々とした筋肉の上で靡いている。上半身は裸のままだが、腕と下半身だけはしっかりと頑丈そうな鉄の防具を装着しており、その手には、やたら刃の大きい戦斧を握っていた。

 まさにその姿は、武装した巨漢の獅子。

 その見慣れた威容さに、ハイドはいかにも怒気をこらえたようにギリッと歯噛みした。

 ハイドと同じく四天王の一人にして、魔王軍きっての武道派。そして三度の飯より血に肉脇踊る戦いが好きだという生粋の戦闘狂。


 その名も『豪傑のレオ』──!!


(なんであいつがここに!? オレが城を出る前は、辺境の土地で任務に当たっていたはずなのに……!)

 もしや、もう任務を終えて帰路に就く途中だったのだろうか。しかもわざわざユーリ達を探していたということは──

「どうやらこいつ、あたしらに用があるみたいだぜ?」

「そのようですわね。それも穏やかな用ではなさそうですわ」

「だね。さっきから殺気がすごいもん」

 唐突に現れたレオに、瞬時に臨戦態勢に入るユーリ達。終始レオから放たれる威圧感に、単なる訪問者ではないと判断したようだ。

相手が魔族であるという時点で当然の対応ではあるが、心なしか表情に緊張が窺える。おそらく、本能的にかなりの強者だと断じたゆえの反応だろう。

(無理もない。なんせ相手は、魔族の中でも身体能力がずば抜けて高いと言われる獣人族だからな)

 しかも、四天王の一人として魔王様に仕えている立場──その戦闘スキルは、どの魔族よりも魔法に秀でていると自負としているハイドでさえ、どうにか相討ちに持ち込めるかどうかというレベルだ。もし魔法を封じられでもしたら、ハイドなんぞ一溜まりもないだろう。それほどの実力者なのだ。

だが、どうにも腑に落ちない。この勇者討伐はハイドに一任されていたはず。いくらレオがそれなりに功績を上げている奴だとはいえ、魔王様自ら指示を下したとは思えない。

 となると、ありえる可能性は──

(さてはあいつ、オレが勇者相手に手こずっているのをどこかで耳にして、魔王様に直談判しやがったな……!)

 それも、ハイドの手柄を横取りするために。

(あのクソ野郎! 前々から折り合いは悪かったが、こんな形でオレの邪魔をしに来やがるとは! そこまでオレが気に入らなかったのか……!)

 まあそれはハイドも同じというか、隙あらばレオを出し抜いてやろうと前々から画策していたのでお互いさまとも言えるのだが、まさかこうも露骨に漁夫の利を狙ってこようとは思ってもみなかった。

 しかし思い返してみれば、レオの瞳はいつでも機を狙うようにハイドを睨んでいたような気がする。直接会話したことなんて数える程度しかないが、言葉を交わす以前に、互いを徹底的に敵視していた。それだけ生理的に気に食わない相手だったのだろう。

 が、さすがにここまでの直接的な妨害は初めてだった。おそらくは、ようやく訪れた好機を逃すまいと必死に飛びついてきたに違いない。

(このハイエナめ……! 見た目は獅子のくせに……!)

「おいライオンやろう。さっきからずっと崖の上にいるけど、かかって来ないのか? お前のその物騒な雰囲気からして、話し合いをするつもりなんてないんだろ?」

 と、ハイドが胸中で憎悪を滾らせていた間に、臨戦態勢を保ったままのファイが、焦れたように名指しして声高に言い放った。

「それともあれか? そこからあたしらを見下してバカにしてんのか? 言っとくけどそれ、バカとハサミはなんちゃらってやつだぞー」

「それを言うなら『バカと煙は高いところが好き』ではありますが、確かに一人だけでわたくし達に挑むなんて、あまり賢い選択ではありませんわね」

 確かに、いくら腕に覚えがあると言っても、ハイドが散々手こずってきた相手なのだ。いくらレオと言えど、単騎だけでそうやすやすと敵う奴らではない。

だが、それはレオとて承知のはず。認めたくはないが、今までの勇者達の戦績を一切考慮しないほど単純バカな奴ではない。

 そうなると、なにか一計を案じているとしか──

「二人の言う通りだよ」

 アリアとファイに触発されたかのように、二人のあとに語気強く呟いたユーリは、軽やかに抜刀して言葉を紡いだ。

 その剣先を、しっかりとレオに向けて。

「見た感じはすごく強そうだけど、こっちには四人もいるし、今のうちに逃げた方がいいんじゃない?」

 こんな時にまで敵に情けをかけるつもりなのか、そんな甘い言葉を投げかけるユーリに、レオはまるで意に返していないかのように「くくく……」と可笑しそうに喉奥で笑みを鳴らした。

 そうして、ひとしきり笑いを噛み殺したあと、

「四人、四人か……」

 などと意味深にユーリの言葉を繰り返して、レオは怪訝な表情を浮かべるユーリ達を見見下ろしながら哄笑した。

「がはははははははっ! 俺様が一人だけで攻めて来たと本気で思っているのか? この渓谷の中をあくせく探し回ってか?」

 その言葉に、ユーリ達はようやく状況を把握したように揃って息を呑んだ。

 ただ一人、ハイドだけを除いて。

(そうだ……! 鼻は利きそうだが、こいつ一人だけ……しかもこんな大自然に囲まれたところでオレ達を探そうとするなんて考えにくい! つまり──!)

「さあ、出てこい我が精鋭達よ! 勇者どもに戦力差を存分に思い知らせてやれ!」

 その雄叫びにも近い大声に。

 今までずっと木々や草の陰に隠れていた様々な姿をした獣人が、レオの背後から一斉にその姿を表した。

(やっぱり伏兵か! しかも数が多い……!)

 その数、ざっと見渡しただけでも悠に四十人は超えている。

 北方の戦闘民族が暮らす孤島(百人以上の人間が住んでいる)に遠征しに行った割には少なく感じるが、こと獣人族ともなれば納得もできる。

 こいつら獣人族は、魔法こそ使えないが、その一人一人が精鋭部隊の副隊長クラスにも匹敵する存在なのだから。

 そうしてユーリ達が圧倒されている間に、レオ達は数十メートルはある崖から勢いよく飛び降りて、何事もなかったように平然と着地した。

「どうだ勇者どもよ。一転して圧倒的不利な立場に陥った感想は?」

 レオの愉悦に満ちた言葉に、唖然とした顔で棒立ちするユーリ達。だれもが戦慄したように汗を流しており、あからさまに動揺していた。

 が、そこはやはり勇者と呼ばれる所以か、ユーリだけはすぐに表情を引き締めて、勇ましく剣先を高く掲げた。

「絶対諦めないよ。だってまだ負けたわけじゃないもん。それにこっちには、頼りになる仲間がいるんだから」

「……へへっ。嬉しいこと言ってくれんじゃん」

 ユーリの言葉に緊張が解けたのか、いつもの勝気な笑みを浮かべたファイは、気合いを入れるように拳を打ち鳴らしたあと、前に一歩進み出た。

「こりゃあ、期待に応えないわけにはいかないだろ。それに、相手はかなり強そうだしな。腕試しには持って来いだぜ!」

「──まったく、先ほどまで気圧されていたとは思えない発言ですわね」

 言って、次に前に歩んだのは、固く杖の柄を握るアリアだった。

「んな!? 別にビビッてたわけじゃねえし! これは武者震いってやつだし!」

「はいはい。バトルジャンキーなファイさんらしい言葉ですわ。ちょっと虚勢を張っているようにも見えますけれど」

「だから! 別にビビッているわけじゃ──」

「ですが、今だけ頼もしく見えますわ」

 にこっと言葉を遮って微笑みかけてきたアリアに、一瞬呆けたように口をぽかんと開けたファイは、少ししてくすぐったそうな笑みを浮かべながら構えを取った。

「そんじゃ、いっちょ暴れてやりますか! ユーリの夢のためにもな!」

「ええ。ユーリさんのためなら、わたくしも命懸けで戦いますわ!」

「ファイちゃん、アリアちゃん……!」

 意気揚々と隣に並んできた二人に、ぱあっと瞳を輝かせるユーリ。

 そして、正面に揃い立つレオ達に向かって、ユーリは凛然とこう告げた。


「さあ、いつでもかかって来なよ!」


「ほう。ずいぶんと自信に満ちた顔だ。敵ながら実に勇敢である。だが──」

 と、一度は敵であるユーリ達を褒め称えるようなセリフを吐いたあと、すぐにまた不敵に口端を歪めた。

「貴様ら、なにか勘違いしてはいないか?」

「……勘違い?」

 訝しげに眉をひそめて言うユーリに、レオは道化を見ているかのような痛快じみた笑みを向けて、

「貴様が口にしたばかりの『四人』という言葉に笑ったのは、なにも戦力差だけではないぞ」

「なんの話? 私達に関係あることなの?」

「まだ気付いていないのか。よく周りを見てみろ。一人だけ、勇者に与していない奴がいるはずだぞ」

 その言葉に、ようやく違和感を察知したユーリ達が、一斉に後ろを振り返った。


「なあ、そうだろ? 魔王様の配下にして、四天王の一人。

 ──『謀略のハイド』よ!」


 レオが姿を現してから一言も発さなかったハイドは、そこで初めて「ちっ、余計なことを……」と吐き捨てるように口を開いた。

 どさくさに紛れていつでもユーリ達の背を魔法で打てるよう、片腕を上げたままの体勢で。

「せっかく隙だらけだったのに、おかげでバレちまったじゃねえか」

「ふん。出し抜けなんぞ許してたまるか。俺様が作ったこの好機に便乗するような、卑怯な真似をする矮小な奴などにはな」

「どの口が言う。オレが受け持っていた任務に乗っかったばかりか、こうして勇者討伐の邪魔までしやがって。器の小ささが知れるな」

「……え? ど、どういうこと? ハイドくん、なんでそこにいる魔族の人と仲が良さそうに話しているの?」

 よほど衝撃だったのだろう、驚天動地と言った風に困惑を露わにしながら疑問を投げてきたユーリに「だれが仲良しか」と突っ込みつつ、ハイドは片腕を下げて肩を竦めた。

「どうもこうも、ご覧の通りだよ。あいつはオレと同じ魔族で、お前を殺しに来た刺客というわけだ。もっとも、協力者というわけではないがな」

「魔族……? ハイドくん、魔族だったの……!」

「ああ、この姿じゃわかりづらいか」

 言って、ハイドは自分にかけていた変幻の魔法を解いた。

 やがて、白煙が晴れてきたと同時に見えてきたハイドの本当の姿に、ユーリだけでなくファイやアリアまで驚愕したように両目を見開いた。

「その角と牙……本当に魔族だったのかよ……」

「信じられませんわ……」

 動揺を隠せないといった態で呟きを漏らすファイとアリア。それはユーリとて例外ではなく、むしろ二人よりもショックを受けたように、その目尻に涙を溜めていた。

「そんな……。私達のことを騙していたの? 初めて会った時から?」

「ああ、その通りだ」

「嘘だよ! だってあの時、魔物に襲われていたじゃない!」

「そう見せかけていただけだ。最初からお前らに取り入るためにな。お前らが報告書通りのバカの付くお人好しだったおかげで、想像していたより楽にパーティーに入り込めたぞ。その代わり、ずいぶんとこのオレを手こずらせてくれたがな」

 と、顎を突き上げて害虫でも見るかのような眼差しを向けるハイドに、ユーリは絶望した顔で大粒の涙を流した。

「ひどい……。ひどいよハイドくん……。信じていたのに……!」

 ついには顔を覆って泣き出したユーリに、ハイドはふっと自嘲じみた笑みを浮かべた。

(本当は裏切りがバレる前に始末する予定だったのだが……。まったく、こちらの思惑通りには進まないものだな。あげくの果てにはレオの野郎に手柄を奪われかねない状況ときたものだし)

「このクソやろうが! よくも今まであたしらを騙しやがったな……!」

「卑劣! いえ、とんだ悪魔ですわ! ユーリさんはあなたを心から信じておりましたのに、それを裏切るなんて……!」

 ユーリと違ってあからさまに憤怒するファイとアリアに、ハイドは嘲るような冷笑を浮かべて、

「卑劣? 悪魔? 魔族であるオレにしてみれば褒め言葉みたいなものだな。それに信頼というのは対等の立場でこそ成り立つものだ。虫にも劣るお前ら人間ごときに、魔族が本気で仲間意識を持つわけないだろ。もっとも、間抜けなお前らはずっとオレのことを人間だと信じて疑わなかったようだが」

 ハイドの揶揄に、心底悔しげに顔をしかめるファイとアリア。一方のユーリは未だ悲嘆するばかりで、完全に戦意を喪失していた。

(こんな時でなければ、実に面白い見世物だったんだけどな。これもそれも、全部奴のせいだ)

 にやにやと余興を楽しむように笑んでいるレオを憎々しげに一瞥して、ハイドは再びユーリ達の方へと目を向けた。

 すっかりレオに戦況を握られてしまっているが、ユーリが戦意を失って他の二人も行動できずにいる今、ハイドにとってもこれは願ってもないチャンス。

 しかも正面にはレオ、後方にはハイド、そして横は崖と川とで逃げ道を塞がれている状態──今やユーリ達は籠の中の鳥も同然だった。この最高の好機を逃す手はない。

 とはいえ、獣人達に睨まれている現状では、下手に動けばなにをされるかわからない。

 いや、ハイドならば獣人達に止められる前に瞬時に魔法を放つことも可能だが、突発的に放った魔法では威力もたかが知れているし、それ以前にいくらユーリが無防備な状態になっているとはいえ、これまで様々な魔物や魔族と対峙してきた勇者なのだ──そんなあっさりこちらの攻撃を受けてくれるとも思えない。

 なにかを奇策を……レオの目を欺き、なおかつユーリ達を確実に仕留められる方法を考えねば──

「──ハイドよ。妙な気を起こすなよ?」

 と。

 虎視眈々と機を狙っていたのが気取られたのか、必死に思考を巡らすハイドを見据えながら、レオは鷹揚に腕を組んで声を飛ばした。

「貴様のことだ。こうしている間にも策を練っていたりするのだろう? 先の裏切りにしても、卑怯卑劣が売りなのは相変わらずのようだな」

「人の獲物を横から掻っ攫うような真似をしておきながら、ぬけぬけと言いやがって」

 舌打ちを漏らしつつ、ハイドは観念したように両手を上げた。

「だが、今さら獲物を取り返す気なんてないさ。今のお前らと敵対したくはないし、そもそも勝ち目のない戦いをするほど愚かではないつもりだ」

「賢明な判断だ。その賢しさが普段から俺様に向けられていれば、こんな結末にならずに済んだものを」

「大人しくお前に従属していればってか? あいにくと、オレは心から屈服している相手にしか従わない主義なんでな。そもそもお前、第一印象からしてオレのことを嫌っていただろ?」

「応よ。貴様のような裏でなにを考えているかわからない奴は苦手でな。戦士たるもの、やはり体を使うのが一番だ」

「オレは戦士である前に策士なんだよ。お前みたいな脳筋と一緒にするな。もっともお前の場合、ただの脳筋というわけでもなかったようだが。多勢で奇襲をかけて、横から人の手柄を奪う分にはな」

「がははっ。これでも将を担っているのだぞ。考えなしに動くほど愚者ではない。ま、協調性に欠けるお前には、部下を持つ責任の重さなんて理解できぬかもしれんが」

「大規模な戦闘ならともかく、大勢で動く必要のない状況なら、単独で行動した方が個人的にやりやすいだけのことだ。決して協調を軽視しているわけじゃない」

「どうだか。どうせ部下を率いても、安全圏で指示を飛ばすだけではないか?」

「むしろ指揮官が前に出てどうする。指揮官をなくした部隊なんて、風前の灯みたいなもんだろ。これだから血気盛んな奴は度し難くて困る」

「ほざけ。他者を欺くことでしか勝利をもぎ取れない弱者に言われたくなどないわ」

 ハイドの物言いがよほど気に障ったのか、レオは八つ当たりするかのようにその場で戦斧を大振りで薙いだ。

「もういい。これ以上貴様とくだらない会話をするのは飽きた。せいぜいそこで俺様の活躍を無様に眺めているがいい」

「無様……無様、か。くくく」

 と、それまでのどこか諦観した様子から一転して、笑いを堪えながらオウム返しに呟くハイド。

 そのただならぬ様子に、レオだけでなく先ほどから一歩も動かず静観するのみだったファイとアリア、そしてずっと顔を伏せていたユーリまでもが、怪訝に眉根を寄せてハイドを見つめていた。

「なんだ。なにがそこまで可笑しい?」

「なにが可笑しいかって? これが笑わずにいられるか。

 ──こうもオレの作戦通りに進んでくれたのだからなあ!」

 その瞬間。


 ハイドの足元から無数の光球が、地面から勢いよく飛び出してきた。


「んなっ!? 魔法弾だと!?」

 砂利を散らしながら空へと上昇する光球、もとい魔法弾を目の当たりにして、驚愕の声を上げるレオ。

 それはレオだけでなく、周りにいる獣人達、そしてユーリ達までもが虚を突かれたように瞠目していた。

 やがて無数の魔法弾は、飛翔しながら収束するように一つにまとまり出し、巨大な光球へと早変わりした。

(バカめっ! オレがこんな長々と無駄話をするわけがないだろ! すべては、この瞬間のための時間稼ぎに過ぎなかったんだよ!)

 詳らかにすると、こういうことだ。

 レオとあえて長話している間に、足裏を通じて地中に魔法を発動し、十分な魔力を注げるまで待機させていたのだ。

 レオの目を欺き、確実にユーリ達を死に至らしめるために。

 これならユーリ達に逃げる間も与えないし、アリアの法術による防御壁を作る時間もなく、生身で受けるしかなくなる。

 そしてなにより、魔法が使えないレオ達獣人では、いまさらユーリ達に攻撃したところで間に合わないどころか、下手に突撃すれば魔法の巻き添えを喰らうだけ。

 つまり、すべてハイドの思惑通りというわけだ。

 この勝利は、もはや揺らぎようがない──!

「残念だったなレオ! 勇者を仕留めるのはこのオレだ!」

 そう声高に告げたあと、ハイドは片腕を振り下ろして、宙に浮かんだままの巨大な魔法弾をユーリ達目掛けて放った。

「死ねええええええええええええええええええええええええっ!!」

 無様に狼狽えるレオ。三人で固まって恐怖に身を震わすユーリ達。

 そんな彼ら彼女らを視界に入れながら、ハイドは勝利を確信して大いに快哉を叫んだ。


 ──ユーリ達に直撃したはずの魔法弾が、なぜか火の粉を散らす形でレオ達のところへと殺到するまでは。


「……………………、へ?」

 あたかもユーリ達を避けるかのように、その背後にいるレオ達へと軌道を変えて飛翔していく魔法弾の雨に、目を点にして口をあんぐりと開けるハイド。

 そうこうしている間にも、猛烈な勢いで魔法弾は獣人達の方へと飛散していき──


「ぎゃああああああああああああああああああ!?」

「た、助けてくれえええええええええええええ!?」


 飛来した無数の魔法弾により、次々と逃げる間もなく被弾していく獣人達。

 ある者はまともに魔法弾を受けて。またある者は魔法弾によって崩れた崖の瓦礫(しかも上手い具合にユーリ達のそばにある崖だけ無事に済んでいる)に巻き込まれたりして、見るからに悲惨な状況に陥っていた。

 これに一番驚いたのは、他でもなくハイドであった。

 決して獣人達を蹴散らすために故意であんな真似をしたわけでない。確実にユーリ達だけを仕留めるつもりで魔法を放ったはずなのだ。

 なのに、この最悪な事態。

(な、なんで!? なんでオレの魔法がああもあっさり弾かれたんだ!? あいつらは一体なにをしたんだ!?)

 混乱した頭で、それでも真実を見極めようとユーリ達の方へと見やると、当人達もなにが起きたかはわからないと言った様子で困惑を露わにしていた。

「え? ええ? な、なんであたしら無事に済んでんの? 一体なにがあったんだ?」

「さ、さあ……。わたくしにもなにがなんだかさっぱりですわ。とりあえずわかっていることと言えば、ハイドさんがわたくし達に向けて放ったはずの魔法が、なぜか後ろに跳ね返って魔族達に命中したとしか……」

「でも、なんで私達には効かなかったんだろうね? 特になにもしてないはずなのに……って、あああああああああああああああああああああ!」

「うわっ! な、なんだよユーリ! 急に大声なんて出してさ!」

「思い出した! 思い出したよ! ハイドくんに買ってもらったこのリストバンド、魔法を一度だけ跳ね返す効果があったんだった!」

 言って、手首に巻いたリストバンドをこれ見よがしに掲げたユーリに、

(はああああああああ!? なんじゃそりゃあ! 知らねえぞ、そんな効果……!)

 と、寝耳に水と言わんばかりにハイドは仰天した。

「ああ、なにか不思議な力を感じると思っていたら、法術だったんですのね。ですけどユーリさん、どこでその効果を知ったんですの?」

「普通に値札に書いてあったよ。ちゃんと『ありとあらゆる魔法を一度だけ跳ね返すことができます』って」

(マジで!? 全然知らんかった!)

 ああでも記憶を探ってみれば、確かに値札はあったような気がする。だがあの時は肛門の痛みに耐えながら適当に選んだ品だったので、値段はともかくそんな説明書きまで目を通していなかった。

(どうりであの時、オレが触ってもなにも感じなかったわけだ。まさか法術がかけられていたとは……)

 というかアリアの『内蔵炸裂血飛沫拳』といい、あのリストバンドといい、なんで法術はこうも魔法を無力化するような効果ばかりあるのだ。チートのバーゲンセールか。

「けど、なんでハイドは魔法なんて打ってきたんだ? 買った本人なんだから、リストバンドの効果だって知らないはずないだろうし」

 いえ、全然知りませんでした。完全に確認不足でした。

「あ、そっか! きっと私達を助けようとしてくれたんだよ! あのライオンさん達から私達を守るために!」

 なにをトチ狂ったのか、いつもの善人ぶりを発揮してハイドを擁護し始めたユーリに、さすがのアリアも疑心に満ちた表情で、

「ですが相手は魔族なんですのよ? それに一度はわたくし達を背後から打とうとしたくらいですし、そんなあくどい真似をする方がわたくし達を守ろうとするなんて到底思えませんわ」

「魔族だからって、みんなが人間を敵視しているとは限らないよ。それに背後から魔法を打とうとしたのも、ライオンさん達の気を引こうとしてくれたんじゃないかな? 一斉に私達が襲われないように」

「……なるほど。一理ありますわね」

 一理あるのかよ! もっと疑えよ!

「でもさあ、だったら最初からあのライオンの方を狙わなくね? なんでいちいちあたしらの方に魔法を打ってきたんだよ?」

「それは、ライオンさん達の不意を突くためだよ! 正面から魔法を打っても躱される可能性の方が高いでしょ?」

「あ、そっか! やるじゃねえかハイド!」

 やってねえよ! どちらかと言うと『やっちまった』んだよ!

「ありがとうハイドくん! 最初は裏切られたとばかり思っていたけど、本当は私達の味方をしてくれていたんだね! 敵になった芝居までしてくれて!」

「見直したぜハイド。華奢なもやしっ子かと思えば、あんなすげえ魔法を使えるなんてびっくりだぜ。完全に甘く見てたわ」

「ええ。それに魔族にもこんな良い方もいるんですのね。見直しましたわ」

(違う! そうじゃない! どうなってんだ、こいつらの頭の中は!?)

 あまりにも都合の良い解釈をするユーリ達に、呆れを通り越して戦慄すら覚えるハイド。

 それよりも驚愕すべきは、ユーリ達の尋常ならざる強運だ。こんな大規模かつ神懸かり的な偶然の連続は初めてだ。

 いや、元を正せばリストバンドの効果を知らないままでいたハイドが悪いし、しかも高出力の魔法を放ったせいで法術の力と拮抗し、そのまま勢いを殺せず後方へと飛散してしまったのも、すべてハイド自ら招いた結果だ。

 だからと言って、まさかこんな事態を招くとか予想できるはずもないし、そもそも強運の仕業と考えるには、あまりにも常軌を逸している。


 こんな規格外な奴ら、どう考えたって勝てるわけがない!


「ぐうっ……。お、おのれハイド……!」

 と。

 それまで魔法弾の直撃を受けて倒れ伏せていたはずのレオが、周りの瓦礫を掻き分けながらのっそりと立ち上がってきた。

 だが、いかな獣人と言えど無傷とはいかなかったらしく、あちこち負傷した状態で立ち尽くしていた。しかもどこか内蔵を痛めたのか、心なし呼吸が荒いように見える。あれでは普段通りの力なんて発揮できないに違いない。

 そしてそれは他の仲間も同様だったようで、四十はいたはずの部下が、今や二十よりも下回っていた。おそらくその大半はハイドの魔法弾で倒れたか、もしくは崖崩れに巻き込まれてしまったのだろう。しかもどうにか生き残った者達でさえ、その大半はレオと同じく重傷を負っていた。

「話は聞かせてもらったぞ。まさか貴様、愚かにも魔王様に楯突こうというのか!?」

(あるえー!? なんか思いっきり勇者に寝返ったみたいな感じになっちゃってるー!?)

 どうしてこうなった。ハイドはただ、愚直に魔王様の世界征服に貢献しようとしただけなのに。いや、そりゃどんな姑息な手を使ってでも他の魔族を出し抜いてやるとか、必ず魔王様の右腕的存在となって権力に物を言わせてやろうとか、そんな野望を胸に抱きはしていたけれども!

 なんにせよ、これはまずい。非常にまずい。

 こんなこと魔王様に知られでもしたら、絶対に殺される……!

 とにもかくにも早急に弁解せねば。まだ完全にハイドを反逆者と断定したわけではなさそうだし、今ならまだ間に合うはず!

「待ってくれレオ! これはただの不幸な事故であって──」

「残念だったね。ハイドくんのおかげですっかり形勢逆転だよ。こんなに頼もしい仲間がいてくれて、私も心強いよ」

「貴様ぁ! やはり魔王様に反旗を翻す気かあああ!」

「待ってえ! ちゃんと話を聞いてえ~!」

 ユーリの煽りを真に受けて、すっかり頭に血が昇った様子のレオに、ハイドは必死の形相で制止の声をかける。が、よほど話に熱中しているのか、だれも聞いてはくれなかった。

「もういい! 我が精鋭達よ、ハイドもろともあの駄虫どもを八つ裂きにしてやれ!」

 レオの命令に、それまでじっと瓦礫の上で待機していた残りすべての獣人達が、一斉にユーリ達目掛けて飛びかかってきた。

 むろん、ハイドも含めて。

(ああああああああ! もう完全にオレも標的にされちまった~!)

 猛然と迫る獣人達を視界に入れながら、思わず頭を抱えるハイド。

 どうすればいい。こんな状態になってしまった以上、大人しくこちらの話に耳を傾けてくれるとは思えない。なにもせずにいたら、そのまま襲われるだけだ。

 これはもう多少乱暴でも奴らの動きを封じて、時間をかけてでも説得するしか──

「頼りになる仲間は、なにもハイドだけじゃねえぜ!」

 と、ハイドが思考をフル回転させて打開策を練っていた間に、いつの間にやら前へと駆け出していたファイが、一切スピードを緩めず獣人達に突っ込んでいった。

「死ねえ!」

「人間ごときが獣人の俺達に敵うと思うなよ!」

「上等だオラああああっ!」

 果敢に鋭い爪を剥き出してきた獣人二人に、ファイは裂帛の気合いと共に素早く空中回し蹴りを放った。

 その予想を上回る早さに回避動作すら取れなかったのだろう、ファイの跳躍蹴りは見事獣人の側頭部に命中し、そのまま隣にいた獣人も巻き込んで真横に吹っ飛んだ。

 そして二人の獣人は勢いを失わないまま無様に地面を滑り込み、それから気絶したように動かなくなった。

「バカな!? あっさり返り討ちにされただと!?」

「くそっ。だったら今度はあの僧侶を狙え! ろくに反撃できないはずだ!」

 とある獣人が叫んだその言葉に、数人の獣人達が呼応してアリアへと疾駆していく。

「あらあら。舐められたものですわね」

 一方のアリアは、眼前に迫る獣人達に一切取り乱すこともなく、悠々と杖を構えた。

「一応忠告しておきますけれど、味方の補助をするしか能がない人間と思っていたら痛い目を見ますわよ?」

 言って、続々と強襲をかけてきた獣人達に対し、口早に呪文を唱えて、前方に光の壁を出現させたアリア。

「はっ! そんな防御壁一つで身を守れると本気で思っているのか!」

「だれがこれだけだと言いましたの?」

 その言葉に嘘はなかった。

 すぐにまた詠唱を始めたアリアは、襲いかかってきた獣人達を囲むように次々と左右や頭上から光の壁をどこからともなく出現させて、さながら籠のように完全に獣人達を閉じ込めてしまったのだ。

「な、なんだこれはあああああ!?」

「しかも、尋常じゃない早さで法術を発動させていやがったぞ!?」

 防御壁に挟まれながら、狼狽えたように怒号を上げる獣人達。

 そんな防御壁の檻に閉じ込められた獣人達を、アリアは心底愉快そうに眺めながら、

「あなた方が崖崩れに巻き込まれてパニック状態になっていた間、密かに法術で透明の防御壁を作って罠を張っていたんですの。あとはあなた方が突撃してきた瞬間を見計らって、法術を発動させるだけという戦法ですわ。すでに防御壁を張っているので、あとは瞬時に移動させるだけなので大して時間は取りませんし、そちらもまったく罠の存在に気付いていなかったみたいなので、面白いほど上手く嵌まってくれましたわ」

「すっごーい! アリアちゃん、用意周到だね!」

「ユーリすわぁん! もっと褒めてくださってもいいんですのよ~!」

 すでに離れた位置で他の獣人と交戦しているユーリに、アリアが歓喜の表情を浮かべて手を振る。よほど嬉しかったのか、頬が緩みきっている始末だ。

 対するレオは、心底憤慨したように犬歯を剥いて、砂埃が舞うほど地面を踏み鳴らした。

「おのれ……! どいつもこいつも小癪な真似を……!」

 怒り心頭とばかりに、荒々しい声を上げるレオ。その表情に以前のような余裕は一切見えず、焦心が露骨に滲み出ていた。

 が、そこはやはり歴戦の将か、追い込まれている状態でもしっかり戦況を分析して、

「こうなったら、そこにいる勇者を徹底的に狙え! 勇者さえ先に亡き者にしてしまえば、まだこちらにも勝機はある!」

 と、仲間から離れた位置にいるユーリを狙い目だと判断したのか、レオが獣人達に指示を飛ばした。

『了解っ!』

 レオの命令に、それまで待機していた者や、ファイやアリアと対峙していた獣人達が、一斉にユーリの方へと駆け出した。

「ユーリさん! そっちに行きましたわ!」

「気を付けろユーリ!」

 突然目標を変えて皆一様にユーリの方へと殺到し始めた獣人達に、ファイとアリアが大声で警告を発する。

「まっかせて!」

 当のユーリの方はというと、すでに衝突していた獣人を撥ね退けたあと、剣を構えながら溌剌に応えた。

「バカが! お前一人でこの数を相手できるはずがないだろっ!」

「そうだね。今の剣のサイズだったら」

 と、一番先行していた獣人の面罵に、意味深なことを呟いて微笑するユーリ。

 そうして、大挙として押し寄せてきた獣人達を前に、ユーリはおもむろに刃の方に手を添えて、こう叫んだ。


「変換! 斬馬刀おおおおおおおおおおおおおおっ!」


 直後。

 それまでなんら変化の兆しもなかった剣が、一瞬でとんでもなく長い刀身をした見慣れぬ武器──ユーリいわく斬馬刀なる武器へと早変わりし、そのまま旗でも振るかのように獣人達目掛けて横薙ぎに振るった。

 ブオンっ! と勢いよく風を切る斬馬刀。そのいかにも重々しい見た目からは考えられないほど軽々と斬馬刀を振るってきたユーリに、獣人達は揃って目を瞠った。

 が、そのあまりにも早い剣撃に、いかに獣人族と言えど逃げる間もなかったようで、悲鳴を上げることすら叶わず、数人の獣人が刀身に薙ぎ払われて真横へ吹っ飛んだ。

「はい! 次ぃ!」

 と、目の前で起きたことがよほど信じられなかったのか、思考停止したようにすっかり足が竦んだ様子の残りの獣人達に、ユーリは逃げる隙すら与えず、すぐさま返す刃で再度斬馬刀を横に薙いだ。

『ぎゃあああああああああああああああああああああっ!?』

 正面から斬馬刀の一撃を受けて、断末魔の叫声を上げて四方に飛ばされる獣人達。

 そしてそのすべてが地面に落下し終えたあと、気付けば他に立っている獣人は、レオ以外に見当たらなくなっていた。

「バカな……! いくら負傷していたとはいえ、ああもあっさりと……!?」

 目の前の光景に、開いた口が塞がらないと言った風に愕然とするレオ。

 一方、突然の出来事に終始呆気に取られていたハイドは、ハッとした顔で事の成行きを見終えて、

(し、しまったあああああ! こいつら、けっこう強いんだったああああああああ~!)

 と、遅過ぎた己の対応に心の内で絶叫した。

 迂闊過ぎた。ユーリ達と獣人達の戦闘が始まる前に、なんとしてでも両者を止めるべきだった。ユーリ達が注意を引いてくれたおかげで結果的には狙われずに済んだが、衝撃的展開の連続に、あいつらの実力を事前に考慮しておくのをすっかり失念していた。

 いや獣人達が万全の状態だったら、もっと接戦を繰り広げていたはずなのだが、あれだけ負傷(骨が折れていてもおかしくないほどの)している状態では、今のユーリ達に敵うはずもなかった。

 それは今日までユーリ達を観察してきたハイドだからこそ言えるのだが、それゆえに、戦闘が始まる前に止めるべきだった。これではもう、完全に魔族側に勝機はなくなった。レオが負傷する前だったら、まだ勝ち目もあったかもしれないというのに。

 いや、たとえ傷がなかったところで、どのみちレオに勝ち目なんてなかったかもしれない。

 なぜならユーリ達には、純粋な強さだけでなく、強運という奇跡の力を有しているのだから。

 仮にどうにかしてレオを説得して共闘できたとしても、きっとハイドもあの強運の前では無事に済まないだろう。もしかしたら死ぬ可能性だって十分にありえる。

(こうなったら、無理やりにでもレオを説得して一緒に逃げるべきか? いや、今のあいつではまともに逃げられないだろうし、そもそも勇者達が見逃すはずもない。話している間にやられるのがオチだ。短時間で説得できる保証もないし、不確実な考えで動くべきじゃない。だからと言ってオレだけ逃げたら魔王様からの信頼を失うばかりか、最悪消されてしまう!)

 では、一体どうする。

 ユーリ達に怪しまれず、なおかつレオを説得して魔王様への忠義を証明する方法。それを見つけない限り、ハイドに未来はない。

(だがそんなもの、どうやって見つけろと………………あ)

 あった。

 かなり博打ではあるが、この困難極まりない状況をどうにか打破できる方法が。

 しかし、本当にこれでいいのか。これをやってしまったら最後、ハイドは──

「さあ、残ったのは君だけだよ」

 と、苦慮の末どうにか解決策を思い付いたその時、ファイとアリアと合流したユーリが、元のサイズに戻した剣の先をレオに向けて威勢よく告げた。

「どうする? 今なら見逃してあげてもいいけど?」

「ほざけ! 俺様だけおめおめと逃げてたまるか! 死んでいった部下達のためにも、お前らを必ずや冥土に送ってやる……!」

(くそっ。迷っている場合じゃないか……!)

 今にもぶつかり合いそうなユーリ達とレオを前に、ハイドは逡巡を断ち切って足早に地を蹴った。

「……そっか。残念だけど、君がそういうなら──」

「──待ってくださいユーリさん! ここは僕に任せてください!」

「ハイドくん……?」

 突然、全力疾走で割って入ってきたハイドに、ユーリは振りかぶろうとした剣をいったん収めた。

「急にどうしたの? もしかして、あのライオンさんを助けたくなったとか? 同じ魔族だし、そんな風に思っちゃうのも無理はないけど、あっちは殺す気は満々だし、なにも反撃しないというのは、さすがにちょっと……」

「いえ、そうではありません。こいつのトドメは僕に任せてほしいんです」

「ハイドくん……?」

 真剣な面持ちで言うハイドに、ユーリは戸惑いを露わにしつつも、少しして意を酌んでくれたのか、静かに剣を鞘に戻した。

「……わかった。知り合いみたいだし、ここはハイドくんに任せるよ」

「ありがとうございます」

 温和に微笑んで了承してくれたユーリに、ハイドは真摯な表情で頭を下げて、すぐにレオの方へと向き直った。

 対するレオは、今までにないほど憤怒に顔相を歪ませて、荒々しく吠えた。

「貴様あ! やはり勇者どもに与していたのかあああああ!」

「悪いなレオ。こんな騙し討ちみたいな真似をしてしまって。だがお前も言っていた通り、卑怯卑劣はオレの専売特許なわけだし? 今さら初耳だとは言わないでくれよ?」

「なにをぬけぬけと! それでも貴様は誇り高き魔族か! 仮にも味方を討つなど、この恥知らずがっ!」

「味方? お前が味方だと? かはははははは!」

 レオの怒声にハイドは心底愉快げに高笑いして、声を張り上げた。


「いつからオレが味方だと錯覚していた?」


「んなっ!?」

「同じ魔族でも、お前を味方だと思ったことなんて一度もねぇよ。どうせお前だって、オレを出世の踏み台にしか思ってなかったんだろ?」

 その言葉に、レオは図星を突かれたように「くっ……」と声を詰まらせたあと、やがて観念したように無言のまま静々と構えていた戦斧を下した。

「……ふん。まさか同じ四天王であるお前に引導を渡される日が来ようとはな」

「……? なんだ? 抵抗しないのか?」

「愚門だな。この体では魔族の中でもトップクラスの魔法を操るお前には到底敵うまいよ。ダメージを受ける前ならともかくな」

 意外だ。いつもすれ違う度に嘲りと嫌悪に満ち満ちた視線を寄越すものだから、もっと過小評価されているものとばかり思っていた。

 なんだかんだ言っても、互いにその実力を認め合っていたということか。

「今一度訊こう。ハイドよ、なぜそちらに寝返った? お前の魔王様に対する忠義は、この俺様の目から見ても相当なものだったはずだが?」

「ああ。間違えてはいないよ。確かにオレは、魔王様に従える忠実な配下だった。けどどこで心変わりしてしまったんだろうな……後ろにいるこいつらと一緒にいる間に、どうにも余計な影響を受けてしまったようだ」

「余計な影響、だと? なんだそれは」

「人間と魔族が争わない、平和な世界を作りたいという、こいつらの理想にだよ」

 言って、穏やかな笑みと一度だけ後ろを振り返ったハイドに、ユーリは感激したようにぱあっと瞳を輝かせた。

「バカげた理想だ。そんな非現実的なもの、本当に叶うと思っているのか?」

「オレだってバカげているとは思うよ。けどな、そのバカげた理想とやらに夢を見たくなったんだよ。この間まで魔王様に尽くして、魔族繁栄のために身を粉にして働いてきたオレだが、心の中のどこかで人間と争うことに嫌気が差していたのかもしれないな」

 魔王様に仕えていた時は、人間を滅ぼすか支配下に置かないと平和は訪れないと本気で思っていたんだけどな。

 そう微苦笑で言い締めたハイドに、レオは「ふん」と鼻白んだ顔でそっぽを向いたあと、思い馳せるように目線を伏せた。

「主義や主張は違えど、魔王様に命を捧げて仕える同士だと思っていたのだがな。とんだ見込み違いだったようだ」

「隙あらば蹴落とそうとしていたくせにか?」

「それはお互いさまだろう? 内心いつお前に寝首を狩られるものかと警戒していたぐらいだぞ」

「それこそお互いさまだ。オレを四天王の座から降す奴がいるとすれば、レオ以外にいないと思っていたよ」

 互いに心根を語るハイドとレオ。その様は長年豪雪に覆われていた大地にようやく春の兆しが見え始めたかのような、どこか静穏とした雰囲気に包まれいた。

 そうして、ユーリもだれも無粋に横から口出しするようなこともなく、しばらくなんとも言えない静寂が続いたあと、

「もういいだろう。ハイドよ、早くトドメを刺せ」

「レオ……」

 観念したとは思えないほど生気に満ちた瞳で言ってきたレオに、ハイドは若干気圧されたように一歩後ずさりながらも、その腹を括った真摯な姿勢を前に、覚悟を決めてゆっくり右手を突き出した。


「じゃあな、レオ。お前のことは嫌いだったが、戦士としては尊敬に値する奴だったよ」

「さらばだ、ハイド。いつか魔王様に敗北する日を、冥府から見届けておいてやる」


 最後にそう皮肉を言って、ニヤリと口端を吊り上げたレオに対して。

 ハイドはせめての手向けと言わんばかりに、右手から閃光が迸るほどの派手な魔法を打ち放った。

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