「な、なんだ」

ユキの身体は金色こんじきに輝いた。

絶望は鷲掴みにしていたユキの頭を離して後ずさりをした。

「よくもやってくれたわね。私を怒らせたらどうなるか、思い知らせてあげる」

ゆったりとした白装束、肩までだった銀髪はふくらはぎまで伸びている。

「ユキ、まさか」

ユキは振り向いてわたしにウインクをした。

「待ってて、いま希望を見せてあげる」

絶望はユキを睨みつけた。

「なんだ貴様は?!」

「なんだとはなんだ。豊川稲荷だ!」

「ダキニテン、そうか古代インドの魔女ダーキニーか」

ユキはニヤリと笑った。

「ずいぶん懐かしい名前で呼んでくれるじゃない。そう、私は古代インドの土着信仰から生まれた魔女だった。かつては尸林しりんを彷徨い屍肉を喰らって命を繋いだ。インドを追われた私は大陸を横断して半島に流れた。そして数千年の時を経て、この国へ来た。今、私を祀ってくれているのは日本だけ。だから私は日本人を幸せにする。私を必要としてくれている日本を、私は愛しているから」

ザッザッと雪を踏む音、倒れていたわたしは誰かに抱えられてその場に座り直した。

大黒先生だった。

「神様の願いごとはね、人に必要とされることなんだ。誰にも拝んでもらえない神様は消滅してしまうんだよ。人々の願いが多ければ多いほど神様の力も強くなる。神様はひとつ願いを叶えるごとにさらに強くなる。みんなから必要とされるために、神様も必死で生きているんだ」

大黒先生は夜空を見上げた。

「月が地球を照らすように、地球も月を照らしている」

いつの間にか空は晴れて、数えきれない星の中心に大きな満月があった。

「もう大丈夫。ここからはこっちのターンだ」

月に照らされる絶望と希望。

先に動いたのは絶望だった。

「俺とお前たちは人間の心の陰と陽だ。人間の希望がお前たちを創ったように、人間の絶望が俺を創った。成功者を妬み殺したいと思ったことが誰でもあるだろう。死んでしまえと思ったことが誰でもあるだろう。俺は憎悪神、人間が創った絶望の悪夢。消せるかこの絶望が。消してみろ、その希望とやらで」

絶望は異形の両手を合わせて悪魔の祈りを捧げた。

「今こそ破滅の時。我に力を、絶望の巨神兵」

西新宿を囲む巨大な影、黒のヴェールを被った四体の巨神兵は地鳴りとともに動き出した。

「そうはさせない」

ユキも両手を合わせて印を結んだ。

「妖狐九尾の変。狐太郎、変化せよ!」

忍部くんの身体が淡い光に包まれる。

その光から九尾の白狐が現れた。

白狐は宙を駆けて都庁に降り立った。

そして満月をバックに夜空に吠えた。

「わぉぉぉーーーーーーーーッ」

遠くの空から数えきれないほどの狐の群れ。

赤い前掛けをつけた白狐の集団だった。

「だきにてんさま、こんばんわ〜」

「「「わ〜」」」

「あいさつはいいからあのでくのぼうをなんとかしなさい」

「わかりました〜みんないくぞ〜」

「「「お〜!」」」

無数の白狐たちは組み体操の要領でピラミッドを作った。

「「「へんげ!」」」

ドロンと煙が出て巨大な狐が現れた。

巨神兵よりもさらにデカい。

「「「がお〜!」」」

狐は前足で四体の巨神兵を一瞬で吹き飛ばした。

巨神兵たちは新宿髙島屋に激突して消滅した。

「「「だきにてんさまあとはがんばって〜」」」

狐たちは小さくなって夜空へと消えた。

ユキはさらに畳み掛ける。

満月に右手をかざして眷属を召喚した。

叶稲荷尊天かのういなりそんてん

夜空に浮かび上がる豊川稲荷の神紋。

東の方角、元赤坂から立ち昇る青白い光。

その光とともに屋上に降り立ったのはひとりの鎧武者。

ユキの前で拝跪して日本刀を差し出した。

ユキは漆黒の鞘から刀を抜いた。

「今宵の贄は絶望の神、月を呑み干し力に変えよ」

満月は一層輝きを増す。

「神殺し閻魔刀」

上段に構えたユキは絶望に向けて刀を振り下ろした。

「おッらぁあぁあーーーーーーッ!」

月の斬撃。

絶望は真っ二つに割れた。

「俺が死んでも憎悪は消えぬ。人がいる限り、絶望は何度でも甦る」

絶望の神は砂になって夜風に消えた。

「さて、あとは」

ユキは刀を鞘に戻して屋上の隅を指差した。

月光の届かないビルの片隅に小さな社があった。

それはブラックホールのように真っ黒だった。

憎悪を社に、絶望が祀ってあった。

「これが諸悪の根源だったわけね。コイツを悟られたくなかったから屋上に人を近づけたくなかったんだわ」

社は禍々しい光りを放っている。

呑み込まれそうな黒だった。

「封印するしかなさそうだね。下手に壊して憎悪が拡散してもいけない」

大黒先生は金の糸を取り出した。

「金糸監獄」

綾取りをはじめた大黒先生、憎悪の社は輝く糸でがんじがらめになった。

絶望は魔力を失い、自らのブラックホールに飲まれるようにふっと消えた。

「大黒先生、あなたはいったい。それに、ユキも」

ニコッと笑った大黒先生、やっぱり高校生にしか見えなかった。

「いろいろあるよね、不思議なことって。目に見えるものだけが、この世のすべてではないからね」

ユキは親キリンが産まれたての子キリンを心配するようにわたしの顔を覗き込んだ。

「怖かった? よくがんばったね。ほら、あそこ」

月光が照らす雪の上、新宿のネオンをバックにひとりの女性が立っていた。

いつかの夏に見た浴衣姿。

「サユリ」

お母さん。

わたしは両手をいっぱいに広げた。

お母さんは走ってわたしを抱きしめた。

「お母さんお母さんお母さん、お母さん!」

世界が涙で溢れた。

わたしは生きていてよかったと思った。

ユキはお母さんの後ろにまわってわたしとお母さんをそっと包んだ。

「よく、豊川稲荷にお参りしてくれたよね。それなのにごめんね、護ってあげられなくて。夏祭りの夜から、ずっとごめんって思ってたよ」

ユキは少し泣いているようだった。

「最後の願いを叶えよう」

そっと、わたしの額にキスをした。

「人が願いをやめないかぎり、夢は叶い続ける」

わたしは意識が遠くなるのを感じた。

眠りにおちてゆく。

「ねぇサユリ、起きてよ。もう一時間目はじまるよ」

「ん、あれ。ここどこ?」

「いい夢は見れたか稲荷口、学校で居眠りとは大物の予感だな」

「ん? 先生?」

わたしはキョロキョロと辺りを見回した。

学校の教室、みんな東部中学高の制服を着ていた。

窓の外には豊川稲荷が見えた。

「ここ豊川? 新宿は?」

「サユリが新宿の高校に行くのは来年の春でしょ。なに寝ぼけてんの」

先生はコホンと咳払いをした。

「ここで転校生を紹介する。入りなさい」

教室の扉が開いた。

「わぁ、大きい」

どよめく生徒たち。

「今日からこのクラスの一員になる益荒男……」

「ユキ!」

わたしは思わず立ち上がった。

「あれ、足がある。わたしの右足、ちゃんとある」

「なんだ稲荷口、知り合いなのか」

ユキはわたしを見てかるく手を降った。

わたしは泣いて絶叫した。

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