七
「くっ! 狐太郎、もっとあいつの動きを封じて」
蝉のお化けは俊足でユキたちを翻弄、忍者の忍部くんよりもさらに速い。
「ここじゃ厳しいわね。下に降りて市街戦に持ち込むわよ」
コクリと頷いた忍部くんはビルの鉄柵にフックをかけた。
ロープを垂らしてユキを抱えた。
そして一気に下降した。
着地した二人は西新宿から靖国通り、大ガード下まで突っ走る。
ユニカビジョンを右手に、日拓エスパスから不夜城に入った。
「遅い遅い。こんなもんか小娘!」
蝉お化けの袖口から覗くギザギザの手刀がユキを追い詰める。
「そっちこそ言う割には息が上がってんじゃん、この蝉お化け!」
ユキは巧みに日本刀を操って攻撃を躱す。
百人町の路地裏から防戦のまま大久保の交差点、韓流女子たちが行き交うミニストップの前でユキが反撃に出た。
「おりゃーーー!」
蝉お化けの手刀を紙一重でかわしたユキはそのまま逆袈裟で日本刀を振り上げた。
しかしギリギリで空を斬る。
もつれ合いながら戸山小の通学路、そのまま戸山公園へと雪崩れこんだ。
ユキの日本刀が火花を散らしながら広場へ出る。
一定のリズムで蝉お化けの攻撃を受けるユキ。
次の瞬間、手首を返して鍔で蝉の手刀を押さえた。
そしてそのまま空高く跳躍した。
「発火!」
ドババババババババ!
爆竹のような破裂音が炸裂、芝生の地面は蝉お化けもろとも崩落した。
「ナイス狐太郎。トドメよ!」
公園の闇に紛れて姿の見えない忍部くんはおそらくコクリと頷いた。
その闇から穴に向けて松明が投げ込まれた。
ドバーーーーーンッ!
凄まじい轟音とともに巨大な火柱が吹き上がる。
「やったわね。南無阿弥陀仏よ、蝉お化け」
「いや、まだだ。あれを……」
部室でモニターを観ていた引井くんがつぶやいた。
わたしもモニターを凝視、鳥肌が立った。
燃え盛る紅蓮の炎から
「殺ったと思ったか」
蝉お化けは黒い羽根を広げて舞い上がった。
そして西新宿の校舎屋上へと着地した。
「絶望を見せてやる。俺の姿を」
蝉お化けは両手を夜空にかざした。
黒雲が立ち込める。
夜でもハッキリとわかる墨のような雲だった。
遠くで雷が光る。
遠雷は徐々に近づき高層ビル街の真上に来た。
ドンッ!
ドンッ!
ドンッ!
ドンッ!
落雷が四つ、新宿の街は停電して真っ暗になった。
「な、なんだアレは……」
引井くんはドローンがとらえた黒い影を凝視した。
それはとても巨大で、西新宿の高層ビル群よりもさらに大きなものだった。
「まずいわね、まさかこれほどとは。狐太郎、私たちも屋上に戻るわよ。さっさとあいつを仕留めないと世界が滅ぶ」
ユキたちは部室を経由して再び屋上へと昇った。
「大丈夫だからね」
と、笑顔を残して。
わたしはどうすればいいんだろう。
もはや読書クラブがどうとかいう次元はとっくに過ぎている。
蝉お化けの校長、高層ビルよりも高い黒い影。
そしてなにより、益荒男ユキ。
彼女はいったい何者だろう。
こんなわたしが屋上へ行ったところで何かの役に立つとはとても思えない。
逃げ出したい。
だけど。
「引井くん、わたし行くね」
「曲は?」
「Reflection」
「わかった。幸運を祈る」
わたしは本棚からランダムに一冊を抜き取ってセリに乗った。
「じゃあ後で、ぼくも必ず行くから」
「うん。引井くん、ありがと」
セリはゆっくりと屋上を目指して昇りはじめた。
『Reflection』は優しくイントロを奏でた。
お母さんとの思い出の曲。
わたしはがんばらなきゃいけない時は必ずこの曲を聴いた。
まだ十七年しか生きていないわたしだけど、それなりにイヤなことや逃げたいことはたくさんあった。
そのたびに『Reflection』を聴いた。
そして車椅子を前に進めた。
やっぱりイヤなことはイヤで、逃げておけばよかったと思うことがほとんどだった。
なんでも経験と言うけれど、イヤなことや逃げ出したいことを経験して自分が成長したと思えたことはあまりなかった。
その時はただ虚しくて、次は逃げようと思ってもまた車椅子を前に進めた。
あの時のイヤなことや逃げたいことをしなかったら、今のわたしはどんな人間だっただろう。
そして右足があってお母さんがいてくれたら、わたしはいま幸せだっただろうか。
「上手く生きるより不器用でも、わたしらしく歩きたい」
わたしは本棚から持ってきた文庫を捲ってある一節に目をとめた。
わたしはそれを読んで栞を挟んだ。
そしてそっと閉じた。
もっとたくさん本を読みたかったな。
もっとたくさんの物語に出会って感動したかった。
部室には積ん読のままの本がいっぱいある。
先代の部長たちが残してくれた宝ものたち。
きっとまた誰かが読んでくれるだろう。
「部長、行ってきます。読書クラブの後輩たちが戦っているから、わたしは部長としての責任を果たします」
セリは屋上に出た。
夜は雪だった。
「忍部くん!」
降り積もった雪はうつ伏せに倒れた忍部くんの鮮血で真っ赤だった。
「くっ!」
ユキは必死で日本刀を振り回して応戦していた。
蝉のお化けはさらに禍々しく、もはや蝉なのか人間なのかもわからなかった。
あえて形容するならば絶望と言うしかなかった。
「あっ!」
日本刀が折れた。
「きゃっ!」
ユキは絶望の一撃で吹き飛ばされた。
絶望はユキの頭を鷲掴みにして持ち上げた。
「トドメだ」
「ユキ!」
わたしは車椅子から降りて後ろに回った。
そして絶望に向けて車椅子を思いっきり押した。
「わぁーーー!」
わたしは顔面から雪に倒れた。
文庫が雪の上に落ちて、さっきのページを開いた。
そこにはこんなことが書いてあった。
いまは自分には、幸福も不幸もありません。
ただ、一さいは過ぎて行きます。
自分がいままで阿鼻叫喚で生きて来た所謂「人間」の世界に於いて、たった一つ、真理らしく思われたのは、それだけでした。
車椅子は絶望に当たって転倒した。
絶望はチラとわたしを見たような気がした。
少しの間ができた。
ほんの少しの時間の間隙。
ユキはわたしに言った。
「私の名前とマントラを唱えて。お願い」
わたしはユキの本当の名前とマントラを唱えた。
「
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