そして少女は

 太平洋に着水した宇宙戦艦は、巨大な火山のようだった。


 テレビやラジオなど世界全ての端末に流れた映像。そこには漆黒の肌と、額に歪んだ一本の角を持つ異形の姿。


『かつてこの星へ落ちた子供がいる。拾った奴はこの意味が分かるだろう。それをここへ持って来い』


 映像はそこで途切れ、桃子のスマートフォンは先程まで鑑賞していた映画へと切り替わる。


「お母、お父! なんかヤバいことに、って」


 急いでリビングへ降りると、母が泣いていた。あまり表情を変えない父でさえ眉間に硬く皺を寄せ、深く俯いている。桃子はどうしてそんな顔をしているのか、聞くことが出来なかった。


「桃子、実は」


「ダメ!」


 何かを語ろうとした父を、母は耳慣れない声で遮る。そんな悲痛な様子に、桃子は今まで抱えてきたものが繋がっていく気がした。


「アタシ、なの?」


 呟いた桃子に二人は顔を合わせてそれからぽつり、ぽつりと。


「お前は空からやって来たんだ」


 語られた秘密。連れて行かれた納屋の奥底で、布を掛けられた球体を見せられ、母は金庫にしまっていたものを、震えた手つきで桃子へ渡す。


「これは?」


 それは大きな結晶が中央に填め込まれた、黄金色のペンダント。


「寝ている桃ちゃんと一緒に置いてあったの。きっと貴方の……本当の両親が渡した物」


 母の言葉が桃子に突き刺さる。父は、口を噤んで涙を一筋流した。二人のそんな姿を見て桃子もまた涙を流し、それから笑う。


「アタシ行くよ。でちゃんと帰ってくる。だってこの家がアタシの帰る場所だもん。大好きなお父とお母が待ってる、「ただいま」って言えるアタシの家なんだ」


「私は桃ちゃんにっ、行って欲しくないっ」


「俺もだ……桃子」


「ありがと。二人とも」


 桃子は涙を拭い、首からペンダントを掛けると振り返らずに家を出る。視界一杯に広がる山々を、見慣れた風景を噛み締めながら歩き、考えた。


「海、どうしようかなあ」

 

 目的の戦艦が位置するのは太平洋の真ん中。船で行こうにも直行便など出ている訳がない。泳いで行くのはあまりに無謀だ。


 そんな時。


「連れてってやろうか?」


 背後から聞こえた声に振り向くと、そこには木にもたれて腕を組み佇む一匹が。


「条件はあるがな」


 それは登校中に何度も目にした事がある、この辺りでは珍しくもない猿。


「突然過ぎますよ、エテ。少しは説明しないと」


 傍から現れたもう一つは、丁寧な口調で人間とそう変わらぬ体格をしていたが、頭部だけが鳥。


「ワンワン!」


 鳥頭の足元には一匹の小さな柴犬が吠えている。異様な状況に、腰を抜かしかけた桃子は叫ぶ。


「な、なんなのアンタ達は!?」


「オイラは銀河を旅するお宝ハンター、エテ。こっちがキジー、吠えてんのはショーンだ」


「は、はあ」


「奴らが探してんのはお前だろ? んで、オイラはそれが欲しい」


 猿のエテは、真っ直ぐに桃子の胸元を指差す。


「『キビクリスタル』だ」


「きび、クリスタル?」


「それは特定の星で僅かな量しか採取出来ない希少なもので、『健やかなる魂に命を与える』と、銀河中が血眼になって探しているのです」


 キジーの説明に、桃子はペンダントを握った。


「これでアタシを連れてってくれるの?」


「ああ」


「分かった……いいよ。あそこに行けたなら、その時に渡す」


「契約成立だ」


 エテはポケットからリモコンを1つ取り出すと、ボタンを押した。すると桃子の目の前の景色が歪み、一隻の宇宙船が現れる。


 降りて来たシャフトに乗り込むと凄まじい振動の後、桃子の故郷はあっという間に雲の向こうに消える。太平洋に出ると水平線上の戦艦が、映像よりも巨大に見えた。


『何者だ』


 速度を落として近付くと、無線が室内に響いた。


「お望みのもんを連れて来た。ハッチを開けてくれないか?」


 エテが返して数秒間の沈黙の後。


『良いだろう』


 無線はそこで終わり、静寂に包まれた室内でエテが呟く。


「しかしお前さん一体何者だ? そんなもん持ってるなんて」


 その問いかけに桃子は答えられなかった。


「まあいい。そろそろ到着だ」


 エテが言って、桃子は視線を正面に戻す。漆黒の戦艦の下部、巨大な口のようなハッチが開き、桃子が乗る船を飲み込んだ。暫く暗闇が続いて、その後眩い光が差し込む。


「ありがとう。これ、約束のもの」


 船を降りるとすぐさま火器で武装した異形に取り囲まれ、桃子のみならずエテ達も金属の輪を両腕に、ショーンは鉄カゴへと拘束されてしまう。


「おいおい。オイラ達はコイツを連れて来ただけだ」


「黙れ」


 冷徹な口調で「来い」と遮り、桃子達の背中に武器を押し当てる。目の前の昇降機に無理やり乗せられ、向かったのは最上階。


「大将。連れて来やした」


 そこはただ一つ、黄金の椅子があるだけの空間。


「懐かしい匂いだ……懐かしく、忌わしい」


 そこにはただ一人、他の異形よりも屈強で歪で、巨大な角を持つ異形達の大将が座り、赤黒い眼光が鋭く桃子を捉える。


「なんだそれは」

 

 そんな大将がジロリ、エテ達を見た。軽く指を鳴らし、すると背後の異形達が武器を構える。


「お待ち下さい! 私達はただ連れて来ただけで、それに『キビクリスタル』を持っています。貴方もその価値をっ」


「何を勘違いしている」


「え?」


「アレは元々俺達のモノ。ただ取り返すのみ……やれ」 


 その瞬間──桃子は腕の拘束を力任せに引き千切って駆け出し、エテ達を庇うように両手を広げ、火力に背中を晒す。血の一滴どころか擦り傷さえ負ったことがない桃子を、初めての痛みが襲った。


「お前さんっ、なんで」


 エテを含め、異形達も唖然と固まる。


「どうしてオイラ達をっ」


 桃子は朧げな足取りで、茫然自失な異形の手からカゴに入れられたショーンを奪いキジーに。遮る気配の無い異形達を押し退け、桃子はエテ達に「行って」と昇降機に乗り込ませ、最後に吠えるショーンに手を振った。


 そうして、大将を睨む。

 

「お前が用あるのはアタシなんでしょ。一対一でやろうよ」


 聞いた大将は一度目を細めて、高らか笑った。フロア全体に響く常軌を逸した声に、異形達の戦慄が桃子にまで伝わる。


「お前らは下がってろ」


「で、ですがっ」


「俺がやる。俺が終わらせてやる」


 ぞろぞろと消えていく異形達。睨み合ったまま動かない二人、最初に口を開いたのは大将だ。


「この椅子は、座っていた奴の首をこの手でへし折り、取り返したモノ」


「だから?」


「お前は自分の生まれを知っているか?」


「知らない」


「お前が生まれたのは、ブラコという惑星。そこでお前の両親は王だった……俺が殺した」


 唐突に飛び出した真実に、桃子は目を見開く。


「これはお前の父の物だった。ここに座り、俺達オーガに、『キビクリスタル』などという石を探させふんぞり返っていた。どうだ? 殺されても文句はないと思わないか?」


 頭の中は真っ白だった。


「お前は憎き血脈。その最後」


「だからって……こんなことっ」


 瞬間、大将の体が消える。


「300年」


 声が聞こえ、桃子は反射的に上を向く。


「醜いというだけで、俺達は300年も奴隷だった」


 視線に映った笑みを浮かべる大将の姿。そして、


「たったそれだけで、あんなことが許されるわけない」


 顔を踏まれ、倒れた腹を、足を、背中を、何度も何度も踏まれ続けて床がヒビ割れ、やがて底が抜ける。


 桃子の霞む目に差し込んだ黄金の輝き。


「何もかも、お前の両親は奪っただけだ」


 下のフロアは宝物庫だった。雑多に置かれた金銀財宝の数々が、笑いながらも涙を流し怒りに震える大将の姿が、語られた内容を真実であると桃子に告げていた。


 大将は手近にあった一振りの剣を引き抜く。桃子にはもう動く力は残っていない──コイツはこれで満足する。これで地球の皆も、お父もお母も無事に暮らせる。そう思った。


 振り下ろされた剣先が皮膚を貫き内臓に届いた瞬間、桃子の意識は途切れる。流れる血液。虚空を見つめたまま固まった瞳を確認した大将は短く息を吐いた。その表情からは激情も衝動も失われ、


「あっけない」


 ぽつり零し、踵を返して行く。


「おい、おいっ」


 静寂だった宝物庫に、声が響いた。


「返事をして下さい!」


「ワン……」


 物陰から現れたのは、逃げ出した筈のエテ達だった。彼らは桃子に駆け寄り、懸命に呼び掛ける。


「無駄だ」

 

 冷徹に言い放つ大将の声は彼らには聞こえていなかった。


「借りだけ作って逝っちまうなんて許さねえ。オイラはそーいうのが嫌いなんだ!」


「え、エテ!? 何をっ」


 エテは懐から取り出したペンダントを桃子へ、剣が突き刺さっている箇所へと当てる。


「『無限の命を与える』んだろ!」


「『健やかなる魂』にだ。呪われた血脈に備わっている筈がない」


「いや備わってる。出会ったばかりのオイラ達を助けたコイツになら!」


 すると桃子の腕が、ピクリと動いた。目は見開いたまま、胸元に押し当てられたペンダントを掴み、持ち上げると、


「いただきます」


 大きく開けた口で、パクリ。バリバリムシャムシャと。


 誰の耳にも届く程に心音が大きく響き、虚だった瞳や蒼白だった肌に『命』が宿って、ゆったりした動作で体がひょっこりと。突き刺さった剣を引き抜き桃子が感じた生まれて初めての満腹。


「あ、ありえんっ!」


 塞がっていく傷口に大将の表情が灯る。


「お、お前さん、大丈夫なのか?」


「うん」


 調子を試すように、桃子が剣を横に一振りし付いた血液を払うと、凄まじい衝撃波が大将の方へ注がれ、辺りの財宝を吹き飛ばした。痛めつけられた体は、もうどこにも傷跡がない。


 唖然とするエテ達に「下がってて」と、剣先を大将へ向ける。


「ふざけるな!」


 灼眼を携えて吠えた大将が突撃し桃子は構える。しかし振り下ろすことはせず一撃は剣の腹で受けて流す。空いた腹へ蹴りを入れると、苦悶の表情を浮かべた大将へ、桃子は力強く握り込んだ拳を叩き込んだ。


「な、何故だ……何故っ」


 大将は叫び、桃子に懐から取り出した銃を向けるが、振り抜いた剣によってそれは一瞬にして砕かれた。


「もう終わってるんだよ」


 膝をつき消沈した大将の首元に、桃子が剣を突き付ける。


「なら殺せ。お前に敵わぬ俺に生きる価値はない」


 だが、振り下ろさない。それどころか思い切り投げ、遠くで虚しく金属音が転がっていく。


「何を」


「何もかも終わってる。アンタがアタシの、お父さんとお母さんを殺した時に終わったの。今更何を憎むの?」


「ならどうしろと……忘れて生きろと、そう言いたいのか。お前の父と母を殺した俺を見て、お前は何とも思わないのか!!」


「思うよ。そりゃ簡単には割り切れない。でも割り切れないなら、アタシは今ある大事な人を守っていきたい。貴方には関係のない、アタシの大事なものを」


 沈黙した大将に、背を向け歩き出す。


「貴方にだってあるよね。アタシには関係ない、大事なもの」

 

 宝物庫を抜けると、艦内の異形は不思議と誰も邪魔することなく、桃子達は無事に戦艦を後にした。


「ごめんね。アレ、食べちゃった」


「別に良いさ。宝物庫からお土産も頂戴したしな」


「あ、ずるーい!」


 宇宙船の窓から、異形の戦艦が空に昇っていく様子が見える。明かされた両親の真実は、その光景を眺める桃子の心情に大きく影響を与えた。


「そういえばお前さん、名前はなんて?」


「桃子だよ。川上桃子。それがアタシ」


 揺らぎかける心を、近付く故郷の景色が埋め尽くしていく。また何処かへ別の惑星に向かうエテ達に手を振って、田んぼ道を歩いていると、徐々に足が早くなっていった。


 早く、早くと。


「ただいま! お父! お母!」


 これは一人の少女が、英雄となる前の話。


 かぐや姫率いる月軍団から地球を守り、英雄となるのはまた別のお話。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

キャプテン桃子 春雨らら @sakui

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ