霊道の休息所

霞 茶花

第1話

 柳荘の五〇四号室。家賃二万の、ちょっとお得な一LDK。その一室の、僕の作業机と寝具の間。人が一人と半分ぐらい通れるそこが、彼らにとっての道であるらしい。


 霊道と呼ばれる、幽霊である彼らの道。


 まだ昼の二時だというのに、霊道にはちらほらと人影……霊の姿があった。

 そそくさと通り抜けて、窓の外に消える霊も多いが、この部屋を休憩所として扱う霊も少なくない。そのため、机と寝具だけの殺風景なはずの部屋には、お昼時の公園と錯覚しそうな風景がある。


 真昼の陽光で満たされた、薄い蜜色の空気が心地よい。

 寝具の端に腰掛けて、穏やかに談笑する老夫婦。時折寝具を遊具に変えながら、元気に遊びまわる子供らの姿。そこにどこからともなく加わる犬の霊や物陰のない特等席で惰眠を貪る猫の霊までも。

 そして、そんな光景を微笑ましく眺めながら、過ぎて消えゆく道の上の死者の列。

 休憩所にて束の間の休息、ほんの少しの憩いの時を終えた彼らも、やがては列に戻って過ぎてゆく。



 僕は、霊の姿は見えるが、声は聞こえない体質だ。ちなみに霊の方からは俺のことを見ることも、存在を感じることもできないらしい。

 ただ部屋は認識されているようだったので、しばしば彼らが過ごしやすいようお供え物や献花を用意して、この休息所の見えない管理人として楽しませてもらっている。

 塩の使われている食べ物をここで食べることを避けているし、道にたむろする不良霊に対しては濃度の薄い塩水を入れた霧吹きをかけて追い返し、道の治安を保つこともしばしばだった。



 ある日のこと。


 寝具の上に胡坐をかき、自身への供え物であろう煙草をふかす一人の幽霊がいた。歳は十代後半か二十代前半といったところ。無造作に伸ばされた髪は、染めた金と地毛の黒という見事な警告色。背丈は僕と同じく低めのようだが、肉付きはよく、おまけに羽織る革ジャンのけばけばしさが、彼をより一層凶暴な霊へと仕立て上げているようだった。


 特に他の霊に迷惑をかけているようではないが、子供の霊や老年の霊は落ち着かない様子で、いつもより休息する霊が少ない。

 部屋の主、道の管理人として、少しだけ塩水を吹いて急かそうか。いや、道の邪魔はしてないのだから、放っておくべきなのか。

そう考えていたその時だった。不意に彼の視線が、ある一点に集中した。

 道の片隅に、小さな籠が置いてあった。

 青年が胡坐を解いて、怠そうに籠へ歩み始める。

 僕は青年よりも早く、籠へ駆け寄って中を覗き込んだ。ふわりと、感じないはずの温かな匂いに包まれた気がする。

籠の中には、柔らかな布に包まれた、小さな赤子が眠っていた。


 青年が籠を取り上げて、中をぐいと覗いた。


 いつでも噴射できるように、まるでそれが銃であるかのように、僕は霧吹きの照準を、青年の頭にぴったりつけた。

 今、周りにいるのは老人の霊か、子供の霊だけだ。

 もし、何か、彼が赤子の霊に危害を加えるものなら、僕が……。


 赤子に向けて、青年は唐突に舌を出した。無論、霧吹きを向ける僕には気にも留めず、困り顔で笑いかけながら、必死に舌を左右に振って、おまけに白目を剥いたり、頬を膨らませてあやしだした。

「……」

 彼を疑った自分がただただ可笑しくて、僕は照れた笑顔で辺りを見回した。ちょうど警戒を解いた霊たちや、今道を通った霊がこちらへ集まってくるところだった。彼らも微笑み、赤子をあやすのを手伝ったり、子供らは歌い、主婦らしき霊は青年に助言を授けている様子もあった。



 しばらく後。かなりの大所帯にまで発展した霊の集団は、楽しげに笑い合いながら、窓の外へと消えていった。

 あの笑い声が、どこまでも聞こえてくるようで。

 見えない道の先は、夜の藍色へ続いているのだろう。

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霊道の休息所 霞 茶花 @sakushahosigumo

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