第3話 ベンガリ高等学校

 2人はベンガリ高校の校門近くで待っていた。

 カラさんの女子高生姿……なんてえっちなんだ。

 少しサイズがあってなかったようで、おっぱいでシャツがはちきれんばかりだ。

 こんちくしょうなおっぱいは色気の暴力だと思う。


「カラさん、えっちすぎて正化されちゃわないかな?」

「あいつはあれで要領が良いから大丈夫だろ。それより……コトは自分の心配してろ」

「男なのに女子高生の制服だもんねぇ」


 ボクはその場をくるっと回った。


「そんなに動くと見えるぞ」

「あはは。男だから問題ないって。そういえば今日のボクは女の子のパンツなんだよ。見てみる?」


 女の子の制服を着るなら下着も女の子になるべき、とカラさんから渡されたものだ。

 これって正しさの強要じゃないかなぁ?


「そぉぉぉぃ!」


 スカートをめくって下着を見せようとしたら、ヤンチくんが慌ててボクの手を抑えた。


「止めてくれ」

「あー……ごめんね。気持ち悪いよね」


 ボクの失態だ。

 女物の下着を履いている男の姿なんて、他の男からすれば気持ち悪いだけだろう。


「そうじゃねーんだよなぁ」


 ヤンチくんは空を仰いで何かを呟いていた。




    ◆




「これ、何かな?」


 化学準備室の奥に変な機械があった。

 近くでマジマジと眺める。


「それは私の大事なものなんだ」


 いつの間にか男の人が立っていた。

 汗びっしょりの太った男だ。


「あなたが肝田先生?」

「そうだ。親しみを込めてキモッチって呼んでくれたまえ」


 ニヤニヤと笑っている。

 気持ち悪いと思った。誰が呼んでやるか。


「それは正常気発生装置だ」

「なっ!?」


 肝田先生が手に持っていた小さな機械のスイッチを押した。

 正常気発生装置が起動し始める。

 まずい。


「逃げて!」




    ◆




 カラさんとヤンチくんは無事に逃げられた。

 大丈夫。ボクはボクのままだ。

 完全正化は起きてない。


「二人きりだね」


 肝田先生は逃げ道を塞ぐように、一つしかない扉側に立ちながら、厭らしい笑みを浮かべてボクに近づいてくる。


「勘違いしているようだけど、ボクは男だよ?」

「へぇ……だったら確かめても?」

「いくらでもどうぞ」


 肝田先生がボクのシャツのボタンを外していく。

 気持ち悪い。おぞましい感覚がして全身が冷えていった。

 こういうのを生理的嫌悪というのだろう。

 臭いも酷い。ホットケーキの生地をもっとエグくしたような臭いがする。悪臭で鼻がおかしくなりそうだ。


「ブラジャーをしているなら女じゃないか」

「これはただの変装だから」

「外していいな?」


 ボクの何かが警鐘をならしている。

 でも女子と勘違いされたままだと襲われてしまう可能性もある。

 ボクが男だって証明しなきゃ。


「……う、うん」


 頷きながら、思わず唾をのみ込んでしまう。

 この選択は間違っていない。間違っていない……はずだ。

 肝田先生はボクの背中に手を回してブラジャーを外した。


「そんなに見ないでよ」


 ねちっこい視線がボクの胸に注がれる。

 勝手に胸を隠しそうになる腕を動かさないように意識しながら耐えた。


「ど、どうだ。ボクが男だって分かっただろう?」

「降参だ」


 肝田先生が両手をあげる。


「あの装置は――」

「タダシキくんとは友達なんだ」


 ボクの言葉を遮るように肝田先生は語った。


「彼にこの正常気発生装置をもらったとき、私の惨めな人生を変えられると思った」


 でも現実は甘くないと悔し気に呟く。


「みんなが私を気持ち悪いと思っていたら、それはこの装置じゃどうしようもない。だから私は授業の質を徹底的に磨いたんだ」


 意味が分からない。


「そして、良い授業を行う教師に対して好感を抱くという正しさを広げた。ベンガリ高校はもともと進学校だったから、これは簡単だったな」


 聞き込みをしていたとき、生徒たちは肝田先生の容姿を気持ち悪いと評価していた。それでも授業が面白くて好きだから、親しみを込めてキモッチと呼んでいると言っていた。不自然なまでに好感度が高かった。その理由が、分かった。


「生徒が私に好感を抱くことが正しくなった。次はその好感の方向性を少しずつ、少しずつ変えていった。君は知っているか? 正しさは伝播する」


 正しさの異なる同じ規模の2つの集団があったとして、その2つを合併させたら正しさは拮抗する。でも片方の集団から1人ずつ、もう片方の集団に移していけば、移動した1人はすぐに新しい正しさに染まっていき、最終的には1つの明確な正しさが残る。


「本当に苦労したよ。何年も費やした。でもそのお陰で、一つの正しさを作り上げることができた」


 嫌な予感がする。


「私がある言葉でほめた子は、私のことが好きでたまらなくなる」


 なんだそれは。

 そんな正しさ、デタラメだ。


「や、止めて――」

「君は……【とてもいい子】だ」

「――ッ!?」


 ま、まずい!

 肝田先生のことを――キモッチのことを好きになってしまう。


「もう少し、君が男かどうか確認してもいいかね?」


 そう言われて、ボクは慌てて晒したままの胸を両手で隠した。

 恥ずかしい。

 きっとボクの顔は真っ赤になっている。


「どうして隠すのかね」

「だ、だって……」


 恥ずかしくて死んでしまいそうだ。

 でも同時にキモッチに見せてしまいたい。さらけ出したいという気持ちもあった。


「お願いだ」

「あっ……♡」


 キモッチが真剣な目で頼み込んでくる。

 そんなカッコいい姿を見せられたら断れない。


「べ、別に男のボクがキモッチに胸を見せてもおかしくないよね」


 キモッチの願いはできるだけ叶えてあげたい。

 ボクは覚悟を決めて、手をおろした。


「もっと近くで見ないとよく分からないな」


 キモッチがボクの胸を凝視している。

 それだけで変な気持ちになってしまう。


「んぁ、ッ」


 キモッチの息がボクの胸にかかった。

 自分のものじゃないみたいな声が出てしまう。


「ふーッ、ふーッ」


 息が荒くなる。

 心臓がバクバクする。

 お腹の下あたりがキュンキュンする。


「これだけじゃあはっきりしないな」

「そんなぁ♡」


 ボクはガッカリしたようなそぶりをしたけれど、本当は嬉しかった。

 キモッチにはボクのことをもっと見てほしい。全てをさらけ出したい。


「下も脱いでほしい」

「あは♡」


 同じことを考えていたみたい。

 まずスカートを脱ぎ、そして女物のパンツに手をかけたとき、


「大丈夫か、コト!」


 ヤンチくんの声がした。




    ◆




「生徒は隔離した」


 カラさんが言う。


「正しさの範囲に生徒たちは含まれない。適用されるのはこの室内だけ」

「つまり3対1ってことだなぁ! 覚悟しろよこのキモブタ野郎!」

「……2対2の間違いではないかね?」

「なに?」

「現に私は正化されていない」

「正しさが拮抗している……?」


 カラさんが青ざめた顔で呟きながら、ボクを見た。


「おいで」

「キモッチぃ♡」


 腕を組む。

 男同士だから何も問題ない。


「ほら、2対2だ」

「まさか……完全正化したの?」

「違うよ。ボクはボクのままだ。でもキモッチのことが大好きだから」

「コト、あなたの正しさは何?」

「キモッチの味方をすることだよ」

「そうじゃない。あなた自身の正しさは――何?」

「ボクの正しさ? それは……」


 ボクの正しさは――。


「私と結婚しよう」


 キモッチがボクにプロポーズをした。


「ボクは男だよ?」

「そんなもの関係ないさ。ずっと2人で愛し合うんだ」

「ほんとに?」

「もちろんだとも」


 嬉しすぎてボクの心がキモッチ一色に染まる。

 歓喜のあまり涙があふれた。

 ボクとキモッチの幸せな結婚生活が脳裏に浮かぶ。


「ボクとキモッチが結婚するのが……ボクにとって正しいこと?」

「あぁ、正しいとも。私と結婚して一緒に生きることが、キミにとって何より正しいことだ」


 きっと今は人生で最も幸せな瞬間だ。

 でも――。


「キモッチはボクに正しさを押しつけた」


 ボクはキモッチを突き飛ばした。


「3対1だよ、キモッチ♡」


 キモッチの身体が発光した。

 そして、完全正化によって正化現象許さないマンと化したキモッチが、正常気発生装置を破壊する。

 その結果、装置に溜まっていた大量の正常気が溢れ出て、ボクたちは慌ててベンガリ高校から逃げ出すのであった。




    ◆




 ボクたち3人の元に、キモッチが姿を見せる。


「キモッチ!」


 ボクはその顔を見た瞬間、いてもたってもいられなくなってキモッチの腕に抱き着いた。


「キモッチの匂いがする♡」


 すんすんと匂いを嗅げば、汗臭い男の人の匂いがした。

 あの変な、それでいて癖になるホットケーキの生地みたいな匂いは、正化によってなくなってしまったらしい。ちょっと残念だ。


 あの日、キモッチは完全正化した。

 キモッチがあの装置を利用して生徒たちを支配していたことは、世界が書き換えられて無かったことになった。正化現象を憎むようになって、ボクたちに協力してくれている。

 でも彼の、みんなが気持ち悪いと言っていた見た目は、実は変化していない。

 それは多分、動機は不純だったかもしれないけど、授業を面白くするための努力は本物だったから。その努力を生徒たちが認めてくれたからだ。


 人間は見た目じゃないって言うけど、本当にそうだよね。

 キモッチは凄い。

 あ、でもボクは見た目も愛嬌があって可愛いと思うよ。


 用事を済ませて帰っていくキモッチを見ながらボクは呟いた。


「あぁ~、キモッチと結婚したい」

「つりあわねぇっての」

「そりゃキモッチはステキな人だから、ボクなんかじゃダメかもしれないけどさぁ」


 そんなこと、わざわざ言わないでほしいと思う。

 ヤンチくんはデリカシーがないなぁ。


「そうじゃねぇ、なんつーか犯罪臭いんだよ」

「男同士だから……って、こと?」


 泣きそうになる。


「あー、ちくしょう! お前のそれは正化の影響を受けているだけだ!」

「それでも、好きだもん」


 どんな切っ掛けだろうとボクがキモッチを大好きなことには変わりない。


「でも不思議だよねぇ。キモッチが正化現象を悪用したことは無かったことになったはずなのに、どうしてボクはキモッチのことが好きなままなのかな?」

「コトは完全正化に耐性がある」


 だから完全正化前のことも覚えていたり、影響が残っていたりするらしい。

 なんでそんなこと分かるんだろう?


「今のコトは男?」

「当たり前じゃないか」


 だから悩んでいるのだ。

 男なのにキモッチと結婚したいと思ってしまうから。


「コトが完全正化して女になったとしたら、自分は男だという認識が残ったまま女になってしまう……なんてこともあるかもしれない」

「そしたら女の子の身体でえっちなことし放題?」


 ボクの冗談をカラさんは無視した。

 辛い……。


「当然、その逆のパターンもあり得る」


 カラさんがボクの目を見ながら言う。


「あはは、そうなったら大変だねぇ」


 ボクは今も昔もずっと男だし、これからも男であり続けたい。

 だから完全正化させられないように気をつけないと。


「これでも駄目……か」


 カラさんが落ち込んでいる。

 どうしたんだろう?

 よく分からないけど、多分ボクには関係のないことだ。

 だってボクは今も昔もずっと男だったし、これからも男であり続けるから。


 だから――ボクは正しさの強要に抗い続ける。

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この正しさからの逃亡〜ボクは男なのに〜 ほえ太郎 @hoechan

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