第24話 友達として物申す

 献上品は机の上に山を作る。りすのように膨らんだ小夜の頬には、ブラウニーが詰まっていた。


「冷たいなら冷たいって言ってほしいのに」


 だからこそ、ほかほかタオルで血行をよくしてあげたのだ。ボトルから出した化粧水も、手の温度になじませてから患部に浸透させた。


「あれじゃ、晃太朗くんと同じだよ」


 震える声は涙を含んでいた。目元のケアをするのは早かったかもしれない。

 朝陽はティッシュを持ちながら、小夜の相談に耳を傾けた。曰く、生きているのがしんどいと。


「飲まないとやってられないよ。早く夕方になったらいいのに。昼からお酒を飲むのも迷うのに、朝からだと体に悪そうじゃない?」

「さよちん。どーせ体に入る量は同じなんだし、先に飲もうが後に飲もうが変わらないって。包み隠さず話しちゃいな」

「そうする」


 にごり酒とジンジャーエールを持ってきた小夜は、一対一の割合で混ぜ合わせる。先に飲もうが変わらないとは言ったが、まさか本気で飲むとは思わなかった。時計は夜の九時ではない。


「晃太朗くんは、私が初めて好きになった人だったんだよ? ちっちゃいときは結婚したいって思っていたけど、ここ最近も人生のパートナーでいたいって考えていたの。晃太朗くんは、私の素を知っているから、あくびとかお腹の音を我慢しなくていいんだよね。変に取り繕うと、逆に怪しくなるし。可愛くいることを頑張りすぎなくてもいい。そういう面で落ち着く人だったんだ」


 チョコレートレーズンを咀嚼し、グラスを傾けた。完全に菓子パではなく酒のつまみになっている。

 朝陽は別れたいきさつを聞き、溜息をついた。


「どこをどうしたら、そんなにねじれちゃうの? 恋の難易度、ベリーハードじゃなくて、もはやエキスパートすぎん? 松田先輩、隠しキャラなんじゃない? 一日で攻略できそうな気がするのに闇が深そう」

「朝陽ちゃん、乙女ゲームにたとえられても、分からないよ」


 ついつい自分の好きなものでたとえてしまう。それなら小夜の十八番に合わせよう。


「さよちんも、松田先輩も、肺を患ってなんかないんよね。徳富蘆花の『不如帰ほととぎす』とか、横光利一の『春は馬車に乗つて』みたいに病気が愛の障害になってないんだよ? さよちん達は、どんどん恋を進展させてくれないと。ホイップクリーム増し増しのストロベリーソース添えくらい、胸焼け必須のラブコメを繰り広げてよね!」

「うぅっ……期待に応えられなくて、ごめんなさい」


 二杯目のグラスを作る小夜に、朝陽は直球を投げた。


「さよちん、男を見る目がないんじゃない? ここ一ヶ月で似たようにフラれてさ」

「晃太朗くんは、さっくんとは違うもん」


 そこは、晃太朗くんとさっくんは違うよと否定するところじゃないの。

 まだ晃太朗のことが大好きな小夜に、朝陽は胸が締めつけられる。カンストした好感度が手に取るように分かり、もどかしい。


「まぁ、朔磨くんとは違って、直接別れ話をしたことだけは褒めてあげようかな」


 一方的に別れを言い渡すところは同じだが、晃太朗の方が優しさを感じられる。だが、小夜を傷つけた罪は万死に値する。残りの人生を小夜に全て賭けてもらわなければ。


「情報を整理するよ」


 朝陽は小夜から聞いた要点を、脳内のホワイトボードに書いていく。気分は迷宮入りの事件を追う刑事だ。


「松屋くんがさよちんに絡んで来なかったら、ずっと円満でいられたってこと? タイミング最悪じゃね?」


 小夜は無言だった。朔磨のことが心の隅に残っている自分は、晃太朗に釣り合わないと思うところもあったのだろう。両思いになる前までは出てこなかった悩みが、空気を読まずに現れるときがある。運悪く、その時期に差しかかったのだ。朝陽も体験してきた。


「絡まれる前から不安はあったんだ。勝手に触ったらいけないと思っていたけど、晃太朗がお花摘みに行っている間にイヤーカフを触っちゃって。そのイニシャルが……」

「松田先輩の名字でも、下の名前でもなかったと」

「そうなの。初めて見たとき、すごくショックだった。昔から知っているはずの幼なじみなのに、私の知らない晃太朗くんになってて。Sから始まる元カノがいたなんて、知りたくなかったけど……」

「さよちんが傷つくと思ったから、歴代彼女のことは伏せていたんじゃない? 朝陽も、しょーごの部屋で自分じゃない私物を見たら萎えるしな……。脈がないんだから、人の彼氏に差し入れするのはマジでやめてほしい」


 朝陽は大きく頷きながら、大切なことをスルーしかけたと悟る。


「さよちんのイニシャルじゃん。元カノのことが忘れられないモヤシくんじゃないんじゃないの?」

「でも、普通は自分のイニシャルを選ぶよね。もしも、私のイニシャルだったとして、すぐに教えてくれなかったのはおかしいよ。後ろめたいことがあるから話せなかったに決まってる」

「そーお? さよちんが覚えていないだけで、おそろいをあげる約束をしていたんじゃないの? おそろいを前もってあげておいて、記念日に交換するカップルもいるからね。何年前か忘れたけどさ。センター試験の過去問も、彼氏の時計をつけた彼女が出てきてなかったっけ。テストの本文読んで感動したのは初めてだったから、ばっちり記憶してるよ 」

「そんな一文、確かにあった気がする」


 小夜はしゅんとした。


「さよちん……どして追いかけなかったん? 大嫌いなんて、本当は思っていないんだよね」

「出て行かれた後に後悔した。売り言葉に買い言葉だったって。晃太朗くん、私みたいな面倒な子と二度と会ってくれないよ」


 幻聴が聞こえた。


 一時間に一回は連絡がほしいとか、過去の失敗をからかうとか、そんな話は小夜の口から出ていない。

 踏み込んでほしくないことを根掘り葉掘り聞くのはよろしくないが、説明しようとしてくれない晃太朗にも責任がある。朝陽はそう言おうとして、名案がひらめいた。


「よーし、こうなったら直接本人に訊くしかないね。あれこれ推理しても疲れるだけだし」

「別れちゃったのに?」


 小夜はぽかんとしていた。目は赤く充血しているものの、腫れの悪化は回避できている。


「あのね、あんなの別れたうちに入らないって。ただのへそ曲がり期間だと思ってくれればいいから」


 正吾との喧嘩と比べれば、優しいものだ。本音を言わない苦しみを持ち続けるくらいなら、小夜も取っ組み合いの喧嘩をやってみたらいい。


「どうやって謝ったらいいか、分からないよ。よりを戻せても、別れちゃうかもしれない。もう私のことを好きでいてくれる自信がないよ」


 そんな簡単に捨てられる恋心なら、大学で結ばれることはありえない。恋愛の神様は、まだ見放していないはずだ。


 うちに任せて。朝陽は胸を張った。


「朝陽が吐かせてあげる」

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