第25話 奥手男子との邂逅

 イチョウ並木の坂を上り、朝陽は講義室を目指した。北風に取り外されてしまった黄金色のじゅうたんが恋しい。あのころは花で飾りつけされたマフィンを、小夜と買い食いすることができた。


 ピンクレッドのグロスに、ベレー帽からはみ出た横髪がくっつく。

 茶髪とは違う、赤みのないミルクティーベージュ。入社前に髪色を戻すのなら、キューティクルが傷つく。内定後に染めた髪は、学内やバイト先では不評だった。彼氏以外で褒めてくれたのは小夜だけだ。


 出会ったときから、小夜が文句を言うのは見たことがなかった。相談があると話しかけるのは、いつだって朝陽だ。小夜はいつも不満を見せない。心の中に溜めている鬱憤を吐き出すことは、周囲を幸せにしないと知っていた。その優しさが小夜自身を蝕むのではないか、朝陽は心配してきた。のろけ話に愚痴という皮をかぶせたのは、小夜の本音を吐かせたかったからだ。

 実際は正吾との仲のよさを見せつけることしかできなかった。今回は、友達として一肌脱ぐ。小夜が自分から助けを求めたのは初めてなのだ。金で解決できるのであれば、朝陽がバイトで稼いだ二百万円を差し出してもいい。


 ベレー帽をトートバッグに仕舞い、朝陽は講義室に入る。定位置に荷物を置き、一番後ろの席へ歩き出した。


「お疲れ様です。松田先輩」


 机の上にはノートではなく、年賀はがきがあった。下書きの線で紫色に変色した消しゴムを、愛おしそうに撫でている。宛名は鬼頭遥大。高校の友達だろうか。


「難波さんも、観光学を履修していたんだね。気がつかなかったよ」


 晃太朗は年賀状はがきを横に置き、朝陽を見上げた。小夜が紹介してくれたときに、当たり障りのない挨拶をした関係だ。警戒して当然だ。

 湧き上がる怒りを抑えながら、朝陽は前置きする。


「小夜に内緒で相談があるんですけど、お時間に余裕はありますか?」

「講義が始まるまで時間はまだある。それまでなら、いいよ。講義中に紙を回されるのは困るから」

「ありがとうございます」


 朝陽は、晃太朗の隣に座った。


「小夜のクリスマスプレゼントに、何を贈ったらいいと思います? 最近の小夜は服の路線が変わったみたいで、何をあげたらいいのか分からなくなってきたんですよ」


 別れた直前の小夜の格好は、付き合う前のデートのときに買ったものだと聞いている。朝陽は揺さぶりを試みた。

 晃太朗は眉一つ動かさずに、よどみなく答える。


「手袋が無難だよ。レザーとかカシミヤは値が張るけど、ニットなら手頃な価格だ。ブランドによって多少の変動はあるから、買う前にいろんな店で見比べた方がいい。スマホタッチ対応の手袋だと、わざわざ外す必要がなくなるから、なおよしだね。小夜は冷え性だから、せっかく温かくなった手を外気に触れさせるのは避けたい」

「手袋にめっちゃ詳しいじゃないですか。就職先は、アパレル関係でしたっけ」

「いいや。高校の先生」


 踏み込むなら、ここだと思った。小夜についての話題を広げ、今朝の後悔がないか炙り出すのだ。


「服も、お好きなんですか? お店に行く度、小夜に似合うかもしれないって考えていそうですけど」

「どうして? 赤の他人を心配する必要がある?」


 晃太朗は朝陽の好奇心を一蹴した。


 手強い。さすがに一回で説得できるとは思っていなかったが、こじらせすぎだ。

 確かに、自分以外の人は赤の他人だ。それでも、小夜と晃太朗は強い縁で結ばれているに違いないのだ。傍目から見ればすぐに導き出せる答えなのに、どうして当の本人達が気づかないでいるのか。


 朝陽はそう言ってやりたかったが、引き下がる。追求しすぎても逆効果だ。意地っ張りな心がふやけるには、時間を置いた方がいい。


「そうですか。セーラー服のニット、小夜が選ばないデザインだったので、選んだ人ナイスって思ったんですけどね」


 朝陽の称賛に、晃太朗は一言も発さなかった。話しかけたときと、表情は変わっていないように見える。胸を潰すような衝撃に耐えているのか、感じないようにしているだけなのか。


「お時間を取らせてしまってすみません。松田先輩のご意見、とても参考になりました。ありがとうございます」


 次に接触するときは、手袋の購入報告だ。今日の帰り道にデパートへ寄ろう。


 自分の席に戻ると、オンラインショップのサイトを開いた。店舗の在庫があるかチェックする。晃太朗にアドバイスを乞う前に、プレゼントの目星はあらかたつけていた。


 こっちのプレゼントは何の心配もない。朝陽は今朝の会話を思い出す。


『晃太朗くんの好きなところ? 茶色いなにがしはやっつけてくれるのに、虻とか蜂は怖がるところかな。晃太朗くんの方がおっきいのに、なんだか意外じゃない?』


 本人に絶対言わんでね。ほとんどの人は、褒められた気がしないから。

 お口チャックよと注意した朝陽に、小夜はもう一つの好きなところを話してくれた。


『私はあまり要領よく話せないんだ。しゃべること自体、得意じゃない。だから、家族以外の人と話すときは、まだ言い終わっていなくても要約されることがあって。晃太朗くんだけなんだ。私の話を最後まで聞いてくれたのは。さっくんは通じ合っていると思っていたけど、別れ際は私の話を聞いてくれなかったし』


 小夜の瞳がにじんだのは、朔磨への未練ではない。晃太朗の残像だけを見ていた。


 公立学校の先生になれば、県内の転勤がある。小夜も来年の一月には入社前説明会の予定ができるだろう。好きな人と好きな時間に会えるのは、学生だけの特権だ。


「せめて今年のクリスマスだけは……ううん。これからのクリスマスも、恋人として過ごしてもらわなきゃ。頑張ってよね。難波朝陽!」


 講義室の机の下で、朝陽は拳を握りしめた。あの日に抱いた絶望よりも、救いがあると信じて。

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