第3章 縁結びはつとめて

第23話 呼び出し

 おっくうだった帰りのホームルームは、友達と買い食いをして帰るためにあったのかもしれない。

 大学は高校よりも、友達と遊ぶことが少なくなっていた。カリキュラムもゼミもサークルも違えば、同じ時間を過ごす回数は限られる。


 難波朝陽はスマホの画面を何度も見返した。大学でできた友達が、自分を頼ってくれる。それだけで嬉しくなり、ペダルが軽くなった。

 足が覚え始めた道をたどり、バーガンディ色の屋根の前に着く。大理石を思わせるマーブル模様の表札には、行書体で竹野内と記されている。朝陽はマフラーから顔を出し、インターホンのカメラに手を振った。


「おっはよー。今日はどうしたよ? さよちんが相談なんて珍しいんじゃない? なるべく早く会いたいなんて、可愛いこと言うよね! 起きたばっかだったけど、三十分で駆けつけちゃった」

「おはよう、朝陽ちゃん。わがまま、言って……ごめ……ん」


 まぶたを腫らした小夜が、朝陽に抱きつく。背中に回された手のこそばゆさに、笑いが止まらなくなりそうだ。朝陽は唇の端を揺らしつつも、何も言わずに肩を貸した。


 二人とも卒論の提出を来月に控えていた。ほぼ完成していると話していた小夜も、ここに来て不安を抱くようになったのだろう。朝陽が命名した「卒論が受理されないんじゃないか病」に罹患してしまったのかもしれない。すでに書き終えた朝陽も、データが飛ぶことを恐れている。引用部分が多い小夜の場合は、参考文献よりも自説の文字数の割合が低いのではないかと感じているに違いない。


「うちら、友達じゃん? 七限まで暇だし、いくらでも話聞くよ」

「もう、どうしたらいいのか分からない」


 朝陽に言ったのか、不安で押し潰されそうな自分をなだめるために言ったのか、小夜の本心が読めない。


 小柄な少女が頬を寄せる。朝陽の鼻腔をほうじ茶の香りが通り過ぎた。

 すがりつく様子をカメラに収めていれば、見返す度に目の保養になる。百合好き彼氏の正吾しょうごが喜びそうな状況だと思った。


 悪いね、しょーご。朝陽が可愛い女の子を独り占めしちゃって。嫉妬すんなよ。うちが愛しているのは、あんただけだから。友愛に数えられるかもしれないけど、非常事態だから多目に見てほしいな。

 小夜の髪をすくように撫でる。


「こんなに目を赤くして。レンジで濡れタオルを作ってあげようか? 冷凍庫に保冷剤はある? 目元を冷やした後でじっくり温めたら、腫れが早く引くと思うよ」


 映画館で号泣する日はいつも、帰宅して即スキンケアをしていた。涙を真下に落とせば目の腫れに悩まされることはないが、泣くときはそんなことを考えていられない。泣きたいときは流せるだけ泣いて、いたわれる余裕があるときに自分の体を大事にすればいい。


 小夜は朝陽の服を汚さないように鼻をすすった。


「ありがと。寒い中、引き留めちゃってごめん」

「いいってことよ」


 朝陽はサムズアップする。丸みを帯びたニットと、タイトスカートの組み合わせが最高だ。ライン入りのセーラー服みたいなデザインは、ゆったりとしていて小夜の小動物感が増している。


 朔磨と付き合っていたころは、身の丈に合っていない服装だった。身の程知らず、あるいは着こなせていないという意味ではなく、小夜の身長の低さが計算されていなかった。くるぶしまで隠れるプリーツスカートの裾を踏み、階段で転げそうになっていたときは、危うく朝陽の心臓が止まりかけた。


 やっぱ新しい彼氏さんのおかげなのかな。小夜の魅力を引き出してくれて、ほんと感謝しかないわ。

 朝陽はスキップしそうな勢いで、小夜の家に入る。


 玄関の小窓の下に、引き出しのたくさんついた箱があった。紙製で、表面はクリスマスツリーが描かれている。キャンディーやトナカイのオーナメントで飾られているのは微笑ましいが、ところどころ数字が書かれていることが気になった。


「さよちん、これなあに? 薬入れ?」

「惜しい。カレンダーは合ってるよ。これはアドベントカレンダーって言って、クリスマスまでの日数を数えるためのものなの。引き出しの中身は、アーモンドとかチョコレートが入ってた」 

「ふーん。そんなのがあるんだね。知らなかった」


 よく見れば、引き出しごとに番号が振られていた。今日の中身は何だったのだろうか。


「今日の分、開けた? 何が入ってたん?」

「まだ、開けてない」


 小夜はアドベントカレンダーから目を逸らした。お菓子が我慢できなくて、食べてしまったのかもしれない。朝陽は引き出しに指をかける。


「朝陽! 触っちゃ、駄目」

「どうして嫌なの?」


 引き出しから指を離さないまま、朝陽は振り向いた。小夜が食いしん坊でも可愛い。仮につまみ食いをしても、今までの態度を変えることはしない。小夜の顔を見て、ぎょっとした。


「ちょっ、まっ! 目の腫れが悪化するって!」

「お願い。開けちゃわないで」


 動揺したせいで、引き出しの隙間に指が入る。朝陽は、ビニールのギザギザとした感触を覚えた。綺麗好きな小夜なら、食べ終わった袋を入れることはないはずだ。

 両手を天井に挙げ、敵意がないと主張する。


「ごめんって。もう触らないから。怖くないよ」

「本当?」

「本当。焦らせるつもりなかったんだけどさ。さよちんが可愛すぎてつい。ガチで調子乗ったわ」


 いじわるして申し訳ない。

 謝ってから、朝陽は顔を手で覆った。ぴょこぴょこ動く耳としっぽが見えてしまった。

 ご飯を取り上げられたハムスターでさえ、あそこまで絶望的な表情にならない。よほどアドベントカレンダーへの熱意があるようだ。


 機嫌を損ねたおわびに、早く本題に入らないといけないな。とりま小夜のスキンケアを優先しなきゃだね。


 朝陽は持ち歩いているメイクポーチを取り出した。化粧水もコットンも何でもござれだ。

 数分後、小夜の悲鳴が上がった。

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