第46話 来年も一緒に

「誰とも付き合ったことのない奴が、人の恋愛に口を出すなよ。僕は、来年も一緒にいられると思っていたんだ。来年も再来年も、そばにいられるものとばかり……」


 来年も再来年も、その先の未来も一緒に歩ませて。ラブソングの歌詞が頭に浮かぶ。歌える曲が残っていないと話した月華の悲痛な顔を、ようやく理解した。謝罪の言葉が喉を締めつける。

 月華は朔磨を睨んだ。


「半年の重さが分からないんだったら、誰かと付き合ってみろよ。でもって、一年経たないうちに別れろ」


 感情的にぶちまけられたセリフを、朔磨は真に受けた。飲み込まれるぞと警告してくれた晃汰のことは、すっかり忘れ去っていた。


 学内のカフェでオムライスを食べながら、テキトーに捨てられそうな人を見定めていた。できればゼミや学年が違う方がいい。


「落としちゃった」


 可愛らしい声に顔を上げると、床に散らばるプリントがあった。それが彼女になる相手との出会いだった。かつて自分が月華に指摘された間違いをしていて、朔磨は心の中で泣き笑いを浮かべた。


「二行目のところは『き』ではなく『ま』ですよ。紛らわしいので、僕も最初は間違えて解読していました」

「『き』じゃないんですか?」


 違いがさっぱり分からないと言いたげな小夜の顔は、自分を鏡で見ているようだった。月華にもらった冊子を開き、字母の違いを示した。


「課題を提出する前で助かりましたよ」


 小夜は朔磨に笑いかけた。実は同じ講義を取っていた、今まで顔を合わすことのなかった青年を。

 この子にしよう。一年記念の前に捨てる子は、気性の荒くない人が好ましい。


「あの。まだ時間がありますか?」


 先に距離を詰めようとしたのは、朔磨ではなかった。


「次のコマも空いているのなら、一緒に解読してほしいです」


 自分から餌に食いつく様子は、憐れで愛おしくなった。


 半年まで交際を続けなければいけないため、初体験はできる限り引き伸ばした。別れる理由に使える大義名分を、失う訳にはいかなかった。

 二ヶ月目を無事に終えた朔磨は、安心しきっていた。自分が求めない限り、大人しい小夜から誘うことはない。博物館でデートして、朔磨の部屋で映画を見る。お決まりの流れをこなしていた。エンドロールに切り替わった後で、小夜は朔磨を熱っぽい目で見上げた。


「帰りたくない。さっくんをもっと感じていたい」


 したいと囁く小夜を、朔磨は押し倒していた。月華の予行練習に付き合ってくれるのなら、期待に応えてあげる。ご褒美がないと、釣った魚は逃げちゃうからね。


 ショーツはシミができていた。脱ぎたくないのか、糸を引いている。頭の中で蜂蜜を思い浮かべながら、朔磨は水源に口づけた。


「それ、おかしくなる。私の体、にゃにか変だよぅ」


 わざとらしい。吐き出すタイミングを図りながら、朔磨はティッシュを掴んだ。酸っぱすぎて飲み込めやしない。月華のものを舐めるときは、食べられるローションを使いたいと思った。

 小夜が気を失った後、朔磨は洗面所へ行くために立ち上がる。不快感をゆすぎ、煙草を咥えたかった。この日は挿入せず、気絶してごめんと謝る小夜を駅まで見送った。産まれたての子鹿がハイエナに狙われそうで、気が気になった。


 埋め合わせをしたいと申し出た小夜に、朔磨は最近見つけた店に行きたいと言った。ほうじ茶のおすすめ店ではなく、紅茶の専門店だった。


「二階にあるんだね」

「見逃しちゃうよね。僕も下調べしてなかったら通り過ぎちゃうかも」


 月華と食べに行きたい店の一つだった。背もたれに腰を下ろし、小夜とメニュー表を共有した。

 陶器のティーポットは重く、小夜は持ち上げることができなかった。


「重たいよ。無理しないで」


 軽々と注がれる紅茶に、小夜は恨めしそうにしていた。かと思えば、届いたフレンチトーストにパッと顔を明るくさせる。溶け出しているアイスを満月のかけらに載せ、冷まさないうちに頬張った。


「んふふ。幸せな味がする」

「そうだね」


 砂糖とバターの組み合わせは間違いがない。朔磨がそう言うと、小夜は首を振った。


「あとね、バニラビーンズも。さっくんのつけてる匂い、いつも幸せな気分になれるんだぁ」


 僕なんかに笑いかけるなよ。自分は遠くない日に、小夜の手を離してしまう。小夜の輪郭をなぞっていた舌で、恋人の解消を頼む。

 小夜を好きになればよかった。自分が我慢すれば、小夜につらい現実を告げることはない。月華だって、朔磨がまさか実行に移しているとは考えていないはずだ。十一ヶ月が過ぎても、小夜と別れなければ丸く収まる。

 

「小夜、これあげる」


 朔磨はリュックに入れていたクッキー缶を渡した。チョコチップやココナッツ味の定番と、リーフパイが入っている。クッキーを焼く猫のイラストに、小夜は笑顔になった。


「今日、ホワイトデーだったね。ありがとう」


 クッキーの意味にがっかりする素振りは見せなかった。どういたしまして、そう返事をすることが苦しい。


「来年も一緒に過ごそうね。来年は手作りチョコを期待してて」

「あぁ。楽しみにしとく」

 

 朔磨は紅茶をすする。健気な小夜の顔は、目をそらしたくなる。もしかして照れているのかと自分をなじった。

 

「春休みさ、どこか行きたいところはある?」

「さっくんの行きたいところでいいよ」


 言質は取った。

 どこでもいいんだよな。宮島で水族館デートしても、小夜は別れる心配なんてしないよな。両思いだって信じきっているんだから。

 おかわりの紅茶を注いであげるときも、牡蠣殻を積み重ねる音も、朔磨の耳に虚しく響いた。

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