第34話 サメの牙

 港に戻れば、朝陽の顔色はすぐによくなった。近隣の土産屋に入ると、目に飛び込んだものを次々と手に取った。正吾は喉元をさすりながら追いかける。


「このペンケースかわじゃない? お腹にファスナーついてる!」


 ぬいぐるみかと思われたサメを高々と掲げる。そばに置かれている写真立ては、見て見ぬふりをしていた。大きな口を開けた迫力満点のサメより、デフォルメされた愛らしい見た目が好かれやすいらしい。ファスナーから飛び出した魚模様は、腹の中身であることを忘れてしまうほど優しい色合いだった。


「ほしいなぁ。しょーごに買ってもらいたいなー」


 こだまを自ら響かせ、ペンケースをねだった。

 正吾は旅行前に口座から多めに引き出しているため、所持金の不安はない。理不尽だと思ったのは、先日のお家デートのときの記憶が蘇ったからだ。


「自分がケーキを買っておいたとき、無駄遣いって言った」

「朝陽のこと、全然分かってないじゃん! 正吾の体が細すぎて心配になるんよ。昼ごはん抜いて、自販機のコーンスープだけで満足すんな。朝陽に貢ぐなら、先にお金をかけるところがあるんじゃないの? あと、今日はいらないって言ったから。たまたま、そういう気分じゃなかったの。ケーキを買うなら前もって連絡してって、あのときも同じ説明したじゃんか」


 とげのある言い方に、正吾は息を呑む。責めた言い方をしていないつもりだったが、朝陽を怒らせてしまった。どこから謝るべきか、必死で考えた。


「都合が悪くなったらすぐ黙るよね。しょーごのそーいうとこ、マジで嫌い。朝陽ばっかり振り回されてて、ばっかみたい」


 ペンケースを持ってレジへ行こうとした朝陽を、正吾は後ろから抱きしめる。オレンジとラベンダーを混ぜたような香りがした。朝陽との関係を終わりにすれば、この幸せな香りを二度と嗅げなくなる。正吾は唇を動かした。


「すまない。何から話そうか考えずぎてタイミングを逃してしまうのは、自分の駄目なところだ。解決した話なのに、蒸し返して悪かった。朝陽が楽しみにしていたデートなのに、ぶち壊しちゃったよな。頼むから、嫌いなんて言わないでくれよ。同じ失敗を何度も繰り返してきた最低なパートナーだし、給料よくても休みが取りにくくて、朝陽の時間に合わせられない社畜だけど。それでも、この先の未来を、朝陽と一緒に歩きたいです」


 途中から涙腺が緩んでいた。朝陽がデートを取りやめ、新幹線で一人帰ってしまったら。今夜もクリスマスイブも、広い布団で眠ることになる。改善していた不眠症が悪化するより先に、頑丈なロープを探しかねない。


 抱きしめていた正吾の手を、朝陽が重ね合わせた。


「どさくさに紛れて揉まないで」

「脇腹を摘まんだつもりはないのだが」


 次の瞬間、逆鱗に触れた。


「試食で太ったの! しょーごに栄養の高いものを食べさせないといけないから! さよちんにレシピを教えてもらって、自信作になるまで練習してたの!」

 

 朝陽は正吾の手をすり抜けた。わずかに向けられた顔は赤く、正吾は戸惑った。朝陽が何に怒っているのか分からなくなる。


「あんな朝陽ちゃん、初めて見ました。惚気話でも幸せオーラをたくさん出してくれたんですけど、やっぱり実際の雰囲気は違いますね。末永く爆発してください!」

「右に同じです! 式場が来い!」


 サメのパペットが、正吾の両肩をかじりついた。


「商品で遊ぶのはどうかと」

「難波がキレていたときに買っていたんですよ。俺ら」


 晃太朗は牙を離す。


「人の家で好き勝手されるわ、強引に旅行させられるわ、難波には困らされています。でも、振り回された分だけ、大事なものをもう一度掴むことができました。白濱さんは、難波のことをどう思います? どこの馬の骨とも分からない奴に汚されかけているところを、放っておけますか?」


 出口にたたずんでいた朝陽を、数人の男が囲んでいた。キャラクターのカチューシャをつけていたが、下心丸出しな気配は可愛さで中和できていない。


「お姉さん一人じゃないっすか。デートなんて見栄張らなくても、俺らが優しくリードするんで。安心してくださいよ」

「お一人様が淋しいなんて偏見やめろし。あんたらと一緒に回るくらいなら、サメちゃんエンドレスにするわ。安心できる要素、これっぽっちもないんだよね。ご愁傷様」


 無下に断られたことで、男達の顔は引きつった。一人がスマホの画面を連打する。


「可愛いからって調子に乗ると、痛い目見るぞ! もう少しで兄貴が……」

「わりゃあ何しよんけーや。わしの彼女に指一本触れてみ? ただじゃすまんけーの」


 正吾が間に入ると、蜘蛛の子を散らすように去っていった。穏やかに注意したはずが怯えさせてしまい、静かにショックを受けた。


「ひどい顔。しょーごがダメージ負うところじゃなくね?」


 朝陽は背伸びをして正吾の頭を撫でた。


「愛い奴め」


 仲直りできたのか疑いつつも、朝陽の思うままにさせる。失言して逃げられるのは、一度だけでいい。

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