第32話 赤い糸

 自分が好きになれなかった。自他を正すという願いを込めて付けられた名前も。

 誰かの手本にならなくていい。自由な生き方に憧れた。出世の約束された道より、苦難を乗り越える方がいい。

 正吾の父は、厳しさが成長の糧になると信じていた。


「首席を獲れだなんて言っていないだろう! 全て秀を獲れと言っているんだ! 大学生になって、遊びまくっているんじゃないのか?」

 

 正吾の髪を掴み、バリカンを起動させた。最期に聴いた声は鮮明に残っている。

 医者から「健診を受けていれば異変に気づけた」と言われても、悲しさは湧いてこなかった。親族で泣けなかったのは正吾一人だけだ。


 喪主になった母は、空蝉と化していた。母方の祖父母に預け、大学を二年で中退した。実家を売り、奨学金を借りたところで学費の支払いは難しい。どうせ父の決めた大学だ。有名私大だろうが未練はない。最終学歴が高卒でも、雇ってくれる企業はある。バイトをしたことがなかった正吾は、世間知らずだった。

 中退という学歴だけで持続性がないと決めつけられ、面接の前に書類選考で落とされてきた。ようやく就職できた会社は絵に書いたようなブラック企業で、電話口の声も正吾に冷たかった。


 折れた心はすぐに治せない。感情を無にしなければ、母と同じような一生を送る。アパートと職場を行き来しながら、そんな危機感を覚え始めた。人の声の恋しさを求め、夜の街を歩いていたときに朝陽と出会った。

 助けるつもりはなかった。ナンパに困るギャルを助けるべく、片思い中の風紀委員がパトロールと称して入ってくれればよかった。だが、現実世界は二次元とは異なり、モブの期待したシナリオが再現されない。自分を風紀委員に置き換えることで、萌えを補給しようとした。足早に去ったのは、野郎を怖がらせてしまう顔で女の子と向き合いたくなかったからだ。


 生まれる性別を間違えたことくらい、自分がよく分かっていた。一人息子として、父の期待に応えることはできない。百合は好きだが、女の子単体に近づきたいとは思わない。恋愛対象が同性と認識することもなければ、アセクシュアルなのか判断することもできない。中途半端な人間だ。


「朝陽の好きと違っていいよ。だって、同じくらい好きかどうかなんて、誰にも分からないんだから」


 再会した朝陽から告白を受けたとき、一度は断った。恋愛感情も性的感情も持てない自分と、朝陽との間に赤い糸は結ばれていないと。


「もしさ、朝陽のことが嫌いじゃないんなら。パートナーとして付き合ってよ。大学の話も、百合も、しょーごと分け合いたい」

「どうして、自分なんかに」

「あの日、しょーごと出会っちゃったから。そんな理由じゃ、ぼやっとしすぎ?」


 論理は破綻しているが、人生の相棒としてなら百点満点だ。なのに、自分は、手繋ぎもキスもできない。体は反応するようになっても、朝陽が求めない限り、手出しをしなかった。

 後部座席でくっついて眠る小夜と晃太朗を、羨望の目で見つめていた。



 ■□■□



 長かった旅が終わり、夢の世界のゲートへ足を踏み入れる。初めての場所は大人になっても心躍った。


「開園時間になっていないのに、もうお客さんを入れちゃうんだね。急がないと!」

「さよちん待って! 迷子になるよ!」


 小走りの小夜を朝陽が追いかけた。

 すぐに入場できなかったのは、ゲート前で写真を撮っていたからだ。四人一緒に入っているものもあるが、あささよの比率は圧倒的に高かった。撮影中も目の保養になったため、待ち時間の不満はない。しかし、休日に走らされるのだけは勘弁してもらいたい。

 正吾のそばで風が巻き起こる。


「小夜! こけるから止まれ!」


 距離が開きかけていたものの、晃太朗はすぐに小夜の隣に並んだ。


「はしゃぐ気持ちは俺も同じだ。だから、足を挫いて楽しめなくなることだけはやめてくれないか?」

「ご……」


 小夜は、足を止めて謝ろうとした。言い終わらないうちに晃太朗が抱きしめる。


「捕まえた」


 朝陽と正吾にピースする。脇腹をさすりながら朝陽に追いついた正吾は、彼女の異変に気づいた。急に走ったことを考慮しても、顔が赤くなりすぎている。風邪を隠していたのかもしれない。

 額に手を当てると、思ったほど熱を感じられなかった。


「冷たすぎるんだけど! つきっ!」

「死んでもいいわ?」

「略してないし。とりま、心配してくれてありがと。いつもの発作だから、放っておいてよかったのに」


 甘いシーンを友達と一緒に見られない乙女ゲーマーか。


「あと一押しなんよ、溺愛ルートは。もう逃がさないとか、お前危なっかしいんだよとか、そんなボイスでヒロインに囁いてくれん?」

「変な女」

「クールキャラに多いんだわ、そのセリフ! 朝陽の彼氏が神な件」

「ライトノベルのタイトルにありそうだ」


 正吾は歩き始めた。すでにチケット料金を消費し、閉園まで身が持たなくなりそうだ。三人と約束を交わす。別行動をするときは相談、戻ってきたときは報告と連絡をすると。

 一人の旅行ではないのだから、決まりはいる。正吾の言い分に全員が賛成した。修学旅行の引率より規模は小さいが、憧れが叶ったようで嬉しくなる。


 ライドの乗車を待つ間、再び写真を撮った。四人の距離は縮まっていた。スタッフにえしゃくをした朝陽の耳元で、正吾は疑問を吐露した。


「こういう写真は、絶叫したときに撮るものだと思っていた」


 アトラクションの出口で購入できるシステムは、ちゃっかりしていると思う。


「可愛く写りたい要望に答えた的な? 朝陽は待ち時間が楽しいから気にしないけどね」


 通路で姫の指示を聞き、一行はライドの搭乗口に着く。ベルトコンベアが運ぶのは、四人乗りの車両だ。朝陽が小夜と乗ってしまっても構わなかったが、仲介人としての役割は覚えていたらしい。正吾の隣にぴったりと体を近づけてきた。


「うちらが宇宙の平和を守っちゃうよ!」


 スタッフ以上に朝陽の闘志は熱かった。背中越しに、小夜と晃太朗の声が聞こえる。本物の戦士さながらの盛り上がりようだ。


 小夜には言わなかったが、このアトラクションは回転系が駄目な人にとって酔いやすい。勢いに乗ったままカーブを曲がるせいで、遠心力を体全体に感じさせられるのだ。

 大きく下降する浮遊感は、足を踏ん張れば気が紛れる。だが、暴走したコーヒーカップを制御できるのは、神のボタンだけだ。


 酔い止めを服用していればいいな。祈っているうちに、四人を運んだ宇宙船は銀河へ飛び出して行った。

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