10 昔と今

 もう風邪は完全に治ったから、次の日から学校に行くことになった。


 あの話をした後のお姉ちゃんは、ずっと悲しそうだった。


 いろんな気持ちが混ざって、複雑だよ。


 でも、お姉ちゃんがあの暗い顔のままなのは嫌だ。


 だから、なにかできることがないか考えてるんだけど、全然思いつかない。


「おはよ、琴葉ちゃん!」

「美嘉ちゃん、おはよう……」


 朝の教室で、美嘉ちゃんが話しかけてきた。


 自分でも自分が暗い顔をしているのがわかった。


 仲直りしたのに、これじゃあまた美嘉ちゃんを心配させちゃうよ。


「琴葉ちゃん、やっぱり、まだ悩みごと解決してないの?」

「うん……」


 私は、前の美嘉ちゃんの言っていたことを思い出す。


「いつでも相談してね」と言ってくれたけれど、やっぱりお姉ちゃんのことは相談できない。


 ……でも、少しだけなら。少し嘘をついてしまうことになるけど、相談できるかもしれない。


 それに、大切な友達だもん、頼りたいよ。隠し事をしたままにもしたくない。


 私は心を決めて、美嘉ちゃんに少し嘘を混ぜて相談してみることにした。


「美嘉ちゃん……実はね、知り合いに妹を亡くしちゃった人がいて、その人がとても悲しんでるんだけど、なにか元気づけられたりしないかな」

「そう、なんだ……」


 美嘉ちゃんは予想していたのと少し違ったものだったのか、それを聞くと少しおどろいて、そのまま考え込んでしまった。


 やっぱり、少し難しい相談だったかな……。


「妹さんを亡くした人は、とても悲しんでいるわよね」

「そうだね」

「それじゃあ、妹さんの思い出話を聞いてあげるのはどうかしら? 妹さんがいなくて寂しいなら、妹さんの楽しい話をすればいいのよ! ……どう、かしら」


 美嘉ちゃんは少し不安そうに聞いてくる。


 私はそれを聞いて少し考える。


 ……いいかもしれない。お姉ちゃんは前世の私の話をするのがとても楽しそうだった。


 楽しい話であれば、お姉ちゃんがあんな暗い顔しなくてもすむかもしれないし。


「ありがとう、美嘉ちゃん、そうしてみるね!」

「そ、そう? ……役に立てたなら、よかった」


 私がようやく笑って返せると、美嘉ちゃんは照れくさそうにはにかんでいた。



***



 放課後、私は一目散に家に帰って、お姉ちゃんのところへと駆けた。


 部屋の扉をせわしなく開けると、マンガとにらめっこしていたお姉ちゃんがビクッと飛び上がってこちらを見た。


「おお、どうした、琴葉?」


 勢いよく扉を開けたからおどろいたのか、お姉ちゃんが目を丸くしている。


「お姉ちゃん、前世の私との思い出話、できるだけいっぱい聞かせて!」

「あ、ああ。構わぬが……どうしたのじゃ?」


 お姉ちゃんはまくしたてる私の言葉に圧されて、困惑している。


「別にどうもしてないよ。さ、聞かせて!」


 そうして、ベッドの上に二人で座って、私には覚えのない、二人の思い出話が始まった。



***



「――といった感じでな、そなたは全身虫に刺されて帰ってきたんじゃ」

「えー、私さすがにそこまでしないよぉー」

「そうか? 今でもやりかねん気はするがな」


 前世の私との思い出話を語るお姉ちゃんの顔には、どんどん笑顔が増えていった。


 私自身も、知らない思い出が増えていくようで楽しい。


 なんとかなったみたい。ありがとう、美嘉ちゃん。


「ふと思い出したがあのほこら、実は、千年前からあるものなんじゃ」

「えっ、そうなの!?」


 私とお姉ちゃんが出会ったあのほこら。


 苔が生えていて、ものすごく古びていたけれど、まさかそこまで古いものだったなんて。


「そうじゃ。とはいっても、今も昔も、あの場所を知っているものはそうそうおらんがな。千年前も、わらわとそなたしか知るものはおらんかった。じゃから、あそこは二人の秘密の場所だったんじゃよ」


 二人の秘密の場所……なんだかいい響き。


 もしかして、あそこでお姉ちゃんと出会ったのも、二人しか知らない秘密の場所だったからなのかも。


 引き合うように、あそこで出会ったのかな。


「あの場所はわらわにもよくわからないくらい不思議な場所でな……そなたの言霊の力が、一番強く発揮される場所でもあった」

「そうなの?」


 私は思い返してみる。


 確かに、お姉ちゃんができますように、と言ったのはあそこだし、お姉ちゃんが声を出せるようになったのも、あそこの近くの桜に囲まれた場所だ。


「鬼のすみかを追われたときも、わらわは隠れ家としてあそこを選んだ」

「……鬼のすみかが終われた?」


 全く知らないことが出てきて、首をかしげた。


「ああ、そういえば言っておらんかったな。わらわが呪いを受けた数百年後、鬼は人間によって退治されたのじゃ」

「えっ、退治!?」


 びっくりした。


 それって、鬼退治ってこと? おとぎ話でしか聞いたことないよ。


 なんだか、少し怖くなってきたよ……。


「鬼はあやかしだと、いつか言ったな。人間にとって、鬼は恐怖の存在だったんじゃ。だから、退治しにきた」

「で、でもでも、お姉ちゃんの話聞いてる限り、鬼って、なにも悪いことしてないよね?」


 そういうと、お姉ちゃんはこくりとうなずいた。


 とても悲しそうに目を少し伏せて。


「ああ。じゃが、悪いことをする鬼がいないわけじゃない。悪事をはたらくものがいるのは、人も、鬼も、同じじゃ」

「そんなっ、少しの悪い鬼のせいで、みんなが退治されちゃったの?」

「まあ、そういうことになるな」


 そんなの、ひどいよ。


 ほかのみんなは悪くないのに、とばっちりだよ。


「仕方なかったんじゃ。鬼は人よりも力が強く、人には見えない不思議なものだって見えた。言ったじゃろう? 鬼はあやかしだと」

「でも、それがどうして……」

「人の子にとっては、自分より強い存在は恐怖でしかなかった。だって、なにをされるかわからんじゃろう。だから、先手を打って退治することになり、退治された鬼はすみかを追われ、やがて鬼も少なくなって……今はもう、わらわ以外おらん」

「そんな……」


 どうして、お姉ちゃんはこんなにも優しいのに、きっとほかの鬼も同じように優しいよ。


 退治なんかしなくても、こうやって仲良くなれるよ。


 どうして、どうして、といろんな感情がおり重なって、なにを言えばいいのかわからなくなった。


 お姉ちゃんは、妹を亡くしただけじゃなくて、千年の間に、仲間もいなくなってしまったんだ。


 お姉ちゃんの寂しさは、一人で背負うにはあまりにも重すぎるよ。


「だから、あのほこらを隠れ家にしたのは、あそこに行けばもう一度そなたに会えると思ったからかもしれぬな。現に会えておるのだから、不思議じゃな」


 そういうと、お姉ちゃんは私に微笑みかけた。


 昨日までの暗さは、今は少し薄らいでいた。


 ……私はお姉ちゃんの妹として、お姉ちゃんの寂しさ、私も一緒に背負えるかな。


 それにしても、昔話を聞いていても、お姉ちゃんの本当の名前は一切出てこない。


 私はお姉ちゃんと姉妹だけど、正直、前世の私と比べると、まだ少し壁を感じてしまう。


 本当のお姉ちゃんの名前を知ることができたら……もしかしたら、仲良くなれるかなと思ったのだけど。


 私はもう一度聞いてみることにした。


「ねえお姉ちゃん、お姉ちゃんの本当の名前、ほんとに忘れちゃったの?」

「……ああ、微塵も覚えておらぬ」


 そう言うお姉ちゃんは、どこか遠いところを見てる。


 本当に、忘れちゃったの……?


 悲しいような、寂しいような、なにかがぬけ落ちてしまった、そんな感覚がした。



***



 思い出話が終わった後、私は一人で外に出てきていた。


 お姉ちゃんの本当の名前をどうにかして知ることができないかを探すために。


 だって、誰にも名前をおぼえてもらえないなんて、悲しいもん。


 私は今、桜の道を通って、またあのほこらの前へと目指していた。


 お姉ちゃんの思い出話に出てきた、私の言霊の力が一番強く発揮される場所という話を信じて、そこで願えば、なにかがてがかりはつかめるんじゃないかと思って。


「……あった」


 苔むした、石の造り物。


 私は一縷の望みをかけて、その目の前にしゃがむ。


 そして、まぶたを閉じて手を合わせる。


「――お姉ちゃんの本当の名前が知れますように」


 そう、言葉に出した瞬間。ぐらっと世界がかたむいた気がした。


 目の前がぼんやり暗くなって、立っていられなくなって……ドサッ。


 私はその場に倒れ込んだ。


 どこか、遠い場所に行くみたいな感覚とともに。



***



 やわらかい。


 あたたかくて、いいにおいで。


 おだやかに流れていく時間が心地いい。


 頭に感じる、ふんわりとした感触。


 この雰囲気に覚えがある。


 どこか懐かしい感覚のするそれは、夢だ。いつも見る、お姉ちゃんにひざまくらで頭をなでられる夢。


 まぶたをゆっくり持ち上げる。


 ぼんやりとしてない、鮮明な景色に、なぜか違和感を感じる。


 見たことのない木造りの室内が、目の中に飛び込んでくる。


「……あれ?」


 なんだかいつもと違う。


 下を見ると、ひざまくらがあって、頭は今もずっと優しくなでられ続けている。


「どうかしたのか? ヤチ」


 ヤチ、と声をかけられて、仰向けになる。


 そこには、ツノを生やして、着物を着た女の子……私のお姉ちゃんの顔があった。


 やっぱり、いつもの夢なのかな……でも、なんだかおかしいな。


 いつもは、こんな会話なんてしなかったのに。


「うーん、ヤチお姉ちゃん……?」


 ねむい目をこすりながら、からだを起こす。


 私がそう言うと、お姉ちゃんはぽかん、とした顔で口を開く。


「なにを言っておる、ヤチはそなたじゃろう?」

「……え?」


 予想だにしなかった答えが返ってきて、固まってしまった。


「もしや、わらわの名を忘れたのか? そなたの姉の、チトセじゃぞ」


 その瞬間、私はほこらにした願いごとを思い出した。

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