9 永遠の命

「――は……とは、琴葉!」


 呼びかけられていたことに気づき、ゆっくり目を開ける。


「ううぅ……お姉ちゃん……?」


 ぼやけた視界には、ヤチ……お姉ちゃんが映っている。


「よかった……死んでしまったのかと思ったぞ……」


 お姉ちゃんは今にも泣きそうな顔をしていて、胸をなでおろしている。


 そうだ……私、川におぼれたんだった。


 だんだん意識がはっきりしてくると、砂利の上に寝そべっていることに気づいた。背中が少し痛いや。


「すまなかった! わらわが川になど連れてこなければ……!」

「そんなことないよ……水切り、とっても楽しかったもん……。連れてきてくれて、ありがとう」

「琴葉……。そなたは本当にいい子じゃな……!」


 お姉ちゃんは私の頭をなでてくれた。


 泣きそうになっているからか、いつもより強くぐしぐしっとされる。


「それじゃあ、もう帰ろう、日も沈んできておるしな」

「そうだね……へくしゅん!」


 私は大きくくしゃみをした。


 そんな私の顔を心配そうにお姉ちゃんがのぞき込む。


「大丈夫か? 水にぬれて、からだが冷えてしまったのかもしれぬ。早く家に帰ろう」


 私は、お姉ちゃんに背負われながら家に帰った。


 私より小さいのに私を背負っちゃうなんて、とっても力持ちなんだね。


 小さな背中に心の底から安心して、気づかぬうちに私は眠りに落ちていた。



***



 次の日。


 学校に行くために、ベッドから起きようとすると。


「うぅ……」

「大丈夫か、琴葉!?」


 頭がぼーっとして、うまく立ってられなくて、へたり込んでしまった。


 今日も同じベッドで寝ていたお姉ちゃんがその様子に気づいて駆け寄る。


「おでこ、失礼するぞ」


 私のおでこに降りている髪をどかして、お姉ちゃんは自分のおでこと私のおでこをくっつける。


「……! すごい熱じゃ……! 琴葉、大丈夫か!?」

「大丈夫……じゃ、ないかも……」


 私はぼーっとする頭で、言葉を返す。


 もしかして、昨日川におぼれたから……?


「琴葉ー? なんかすごい大きい声聞こえたけど、どうかしたのー?」


 下の階から、お母さんの声が聞こえる。


 そのまま、お母さんが階段を登ってくる音も聞こえる。


「まずい、母上か」

「とりあえず、お姉ちゃんは隠れて……」

「……なにもしてやれず、すまぬ」


 悲しいお顔のまま、お母さんにバレないように、お姉ちゃんはクローゼットの中に隠れた。


「琴葉……って大丈夫!? なにかあったの!?」


 私の部屋に着いて扉を開いたお母さんは、床に倒れた私が目に入るとその目を丸くした。



***



「三十八度……風邪ひいたわね。今日は学校休んで寝てなさい」


 体温計とにらめっこするお母さんは、私の方を見直すとどこか安心した表情を浮かべた。


「大事じゃなくてよかったわ。ほんと、倒れてたときはどうしようかと」

「ごめんなさいお母さん……」

「いいのよ。けど、体調不良には変わらないんだから、おとなしくしておくこと。のど渇いてない? お水いる?」

「ううん、大丈夫だよ」

「そっか、それじゃあ安静にね。おやすみ」


 そう告げて、お母さんが部屋から出て行ったのを確認すると、ゆっくりとクローゼットの扉が開いた。


「琴葉、大丈夫か……? 死んだりしないよな?」


 私は目を見開いた。だって、クローゼットの中から出てきたお姉ちゃんが泣いてたんだもん。


「ど、どうしたの? 私は大丈夫だよ? ただの風邪だもん」

「本当か? 本当なのか?」

「そうだよ。だから安心して?」


 私は泣きじゃくるお姉ちゃんの頭をよしよししてあげた。


 昨日までと正反対で、なんだか変な感じ。


「そうか、ならいいのじゃ……。ぐすんっ、とりあえず、今は寝て、病を治すのじゃ」


 お姉ちゃんは服の袖で涙をごしごし拭いて、私に言った。


「そんなにごしごしすると、おめめ痛くなっちゃうよ? 大丈夫。ちゃんと寝て、すぐ直して、またお姉ちゃんと遊ぶから」

「本当か……? 約束、じゃぞ……?」

「うん、約束」


 私はお姉ちゃんの小指に自分の小指をからめて、ぎゅっと握って、その言葉を誓う。


 そのまま言われた通り、私は目をつぶって、眠る。


 ただの風邪なのに、どうしてお姉ちゃんはあんなに泣いているんだろう。


 死んじゃわないよね、なんて聞いてくるのも少し変だ。


 目をつぶりながら、暗闇の中でそんなことを考えていた。



***



 苦しい。辛い。息がまともにできない。


 寝転がったまま、からだを起こすこともできない。


 どうして? ただの風邪のはずなのに……。


「――チ……ヤチ、ヤチ!」


 誰かがお姉ちゃんのことを呼んでる。誰だろう。


 まぶたをゆっくりを開いて左を見上げると、着物を着たヤチお姉ちゃんが涙をうかべながら私の左手を強くにぎっていた。


 ……あれ、私の手って、こんなに小さかったっけ?


「ヤチ、死ぬな、ヤチ!」


 お姉ちゃんが、私に向かってそんなことを言う。


 ヤチはお姉ちゃんでしょ? それに、ただの風邪だもん、死なないよ。


 あれ? でもなんだか周りが暗く……。


「ヤチ! お願い、起きてくれ、ヤチ!」


 どうしてそんなに泣いてるの? どうして、私に向かってお姉ちゃんを呼ぶの?


 苦しい、辛い、怖いよ……。


「ヤチ、ヤチぃっ! うわあぁああぁぁん!」


 もう周りが完全に真っ暗になって、お姉ちゃんの泣き叫ぶ声だけがどこにも届かず響いてた。



***



「――はっ! ……っはぁっ、はぁっ……」


 息苦しさから一気に解放されて、私はベッドから飛び起きる。


 今まで吸えなかった空気を一気に吸うために自然と深呼吸になる。


 心臓も、今まで感じたことないくらい早く、ドクドクと脈打っている。


 今のは、夢? それにしては、やけに現実味を帯びていた。


「ん……? 琴葉……? どうかしたのか?」


 横で、お姉ちゃんがベッドに寄りかかって寝てたみたい。


 眠たそうな目をこすって、私をみている。


 すると私のおでこに自分のおでこを近づけてきて、ぴと、とくっつけた。


「……うむ、熱はもうないようじゃな。からだはどうじゃ? 辛いところはないか?」

「うん、もう大丈夫みたい」


 壁にかかった時計を見てみると、もうお昼を過ぎていた。


 いつも学校に行く時間に寝たから、大体六時間くらい寝てたのかな。


「のど渇かないか? 水を持ってきてやるぞ」

「あ、いいよ。お母さんに見つかったら困るし……」

「大丈夫じゃ安心せい、今はおらぬ。それに、じゃぐちとやらの使い方も覚えたしな、任せるのじゃ」


 そういえば、今までお姉ちゃんは水道を使ったことがなかったみたいだから、蛇口の使い方も昨日とかに覚えた。だから多分使いたいんだろうなと表情から伝わってくる。


 胸を張って右手でポンと叩くお姉ちゃんは、申し訳ないけどちょっと頼りなく感じてしまって、自然と苦笑いが浮かんでしまった。


「それじゃあ、お願いしようかな……」

「承った。それじゃ、行ってくる」


 お姉ちゃんが部屋を出ていくと、中は静かになった。


 さっき見た夢……どう考えても悪夢だった。


 それに、その夢にもヤチお姉ちゃんが出てきた。


 とても悲しそうに泣いていて、ぎゅっと私の左手を強く握ってた。今でもその感覚がかすかに残っている気がする。


 ぎゅっと手を握って、私に向かって、「ヤチ!」って何度も何度も……。


 ……そうだ、私に向かって「ヤチ」って呼んだんだ。


 ヤチはお姉ちゃんの方なのに、どうして?


 最近毎日見ている頭をなでられる夢でも、お姉ちゃんは私に向かって「ヤチ」と呼んだ。


 その夢は、お姉ちゃんによれば「前世の記憶」らしい。


 さっき見た悪夢も、お姉ちゃんが出てきて、私のことを「ヤチ」と呼んでいた。


 もしかしたら、この夢も、私の前世の記憶?


 もしそうなら、この悪夢は、なんの記憶なんだろう。


 そして、「ヤチ」って、誰のことなんだろう。


「戻ったぞ。どうじゃ、しっかり水を汲んでこれたぞ!」


 お姉ちゃんは自慢気に扉を開け放って、片手に水の入ったコップを持っている。


 私は、ごくりとつばをのんで、お姉ちゃんに夢のことをきいてみることにした。


「……お姉ちゃん、『ヤチ』って、誰のことなの?」

「は? ヤチは、わらわのことじゃが……」

「本当に? さっき、夢の中でお姉ちゃんが私に向かってヤチって呼んでいたの。確かこの夢って前世の記憶なんじゃないの? そうなら、お姉ちゃんはどうして私に向かって『ヤチ』って呼んでいたの?」


 私がまくしたてるようにそう言うと、お姉ちゃんはぴたりと固まってしまった。


「それに、私、ものすごく苦しい夢を見たの。息ができないほど辛くて、周りが真っ暗になって、お姉ちゃんが必死に泣いて、『ヤチ、死なないで』って言っていたの。この夢も、前世の記憶なの?」


 そのことを話すと、お姉ちゃんは顔色を変えて、私にせまってきた。


「そなた、その夢を見たのか!?」

「えっ、うん……」

「本当か!?」

「本当だよ」


 私がうなずくと、お姉ちゃんは難しい顔をして、ゆっくり目を伏せた。


 そして少しだまったまま、持ってきた水をベッドの横にある机に置くと、おもむろに口を開いた。


「……これはあまり話したくなかったんじゃが、夢で見てしまったのなら、仕方がない。話をしよう」

「えっ……」


 お姉ちゃんがこれまでにみたことのない真剣な顔で、話を始める。


「わらわが不老不死の呪いにかかったと言ったな……あれは、そなたがわらわにかけた呪いなのじゃ」


 ……え?



~~~



 今から確か千年前……わらわとそなたは、鬼の姉妹じゃった。


 わらわと二つ違いの妹であるそなたは、「ヤチ」という名前で、わらわからも、他のものからも大層かわいがられた。


 ヤチは、わらわのことを「お姉さま」と呼んでとても慕ってくれた。わらわもヤチのことが大好きじゃった。


 健気で優しい子で、言霊の力が他人よりも強い不思議な子でもあった。


 しかし、ヤチは生まれつき病弱で、からだが弱かった。


 生まれてから病に何度もかかってな、それでも、「絶対に治ってまたお姉さまと遊ぶ」と言って、その言霊が、ヤチの病を治していった。


 しかし、そんな奇跡がずっと起こり続けるわけもなく、わらわが九つ、ヤチが七つになる前くらいのころ、ヤチははやり病にかかってしまった。


 その病は当時不治の病と呼ばれておった。かかってしまえば最後、直すこともできず、そのまま死にゆくのを待つだけ。


 それでも、ヤチは「絶対に治ってまたお姉さまと遊ぶ」と澄んだ目でに言っておった。


 わらわもその言葉を信じていた。……じゃが、言霊でも、その病は治せなかった。


 そして、そのときがきた。ヤチは、その病が原因で七歳になる前に亡くなってしまった。


 昔は七つまで生きるのすら難しかったからの。それは人の子も、鬼の子も同じじゃった。


 ヤチが死ぬ間際、わらわはヤチにずっとついていた。ヤチの手をずっとにぎっておった。


 しかし、その思いも届くことはなくてな。そのときに、ヤチが。


「お姉さま、だけは……生き、て……」


 と、言ったのじゃ。


 そのヤチの心の全てが詰まった言葉には、とてつもなく強い言霊が宿った。


 そしてその言霊は、わらわに「不老不死」という呪いとなって降り注いだ。


 不老不死の代わりに、わらわの声を奪ってな。



~~~



「この通り、ヤチは、昔のそなたの名じゃ。そなたが死んだ後、そなたの分も生きようと、わらわは自分の名を捨て、そなたの名を名乗った。わらわのからだがそなたより小さいのは、九つのときに不老不死の呪いを受け、そこから一切変わってないからじゃ」


 言葉が出なかった。


 ヤチは、本当は、前世の私の名前だったの……? 他にもおどろくことが多すぎて、うまく受け入れられないよ。


 それに、私は病気で死んじゃったんだ……。


 もしかして、私が風邪をひいたとき、お姉ちゃんがびっくりするくらい泣いていたのは、このことを思い出しちゃったから?


「じゃ、じゃあ、ヤチのほんとの名前って……?」

「……とうに忘れた。なにせ千年も前の話だぞ? おぼえておらぬよ。それに、わらわはそなたの名が生きてさえいれば、よかったのじゃ」


 私の分も生きるために、自分の名前を捨てちゃうなんて、そんなの、寂しいよ……。


 それに、私が、お姉ちゃんに呪いをかけたって、本当……?


 千年もお姉ちゃんを苦しめてしまう、不老不死の呪い。


 それを、私が……。


「琴葉は、わらわに呪いをかけたと思って申し訳なくなっているじゃろう?」

「えっ……?」


 心を読まれたように言い当てられて、びっくりしてしまう。


「図星じゃな。そなたはわかりやすく顔に出るからの。そなたが気に病む必要はないぞ。なんせ、呪いをかけようと思ってかけたわけじゃないのだからな」

「……どういうこと?」

「愛する人に長生きしてほしいと思うのは自然のこと。その思いが、強すぎる言霊の力で不老不死の呪いに変わってしまっただけのこと。そなたが悪いところは一つもない。仕方のないことだったのじゃ」

「でも、でもっ! 私が、そんな、言霊の力なんて、持ってなければ――」

「そこまでじゃ」


 罪悪感に押し出されてうまくまとまらない言葉をぽろぽろとこぼしていると、お姉ちゃんの人差し指が私の口元にやってきてそれを止めた。


「あまり自分のことを悪く言うでない。言霊の力は、そなたの個性で、良いところじゃろう? ……それに、今はそなたがおるからな。こうして、もう一度出会えた妹が」


 そう言われて、うれしいような、悲しいような、よくわからないよ……。


 話していると、階段を上がってくる足音をが聞こえてきた。


「母上が帰ってきたみたいじゃな。また隠れなければ」


 そう言ってお姉ちゃんはクローゼットの中に隠れた。


 その数秒後、部屋の扉がゆっくりと開いて、お母さんが顔を出した。


「琴葉ー……お、元気そうだね、もう風邪は治ったかな」

「……うん、そうだね、もうへっちゃらだよ」


 風邪は治ったけれど、私の顔は暗いままだった。


 嘘をついちゃった。へっちゃらなんかじゃ、ないよ。

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