6 姉と妹

 キーンコーンカーンコーン……。


「あっ、もうこんな時間……」


 門限を伝える夕方のチャイムが聞こえてきた。


 空はもう全部赤に染まっていて、月ものぼってきている。


「そうじゃな。そろそろ帰るか」


 まだ少し目の周りが赤いヤチは、そう言って立ち上がる。


「え? 帰るってどこに?」

「決まっておるじゃろう、そなたの家じゃ」

「え、それって、私の家に来るってこと?」

「なにを言うておる、そうに決まっておるじゃろ」

「えぇーーーーっ!?」


 今日何度目かのおどろき。もうおどろきすぎてつかれちゃったよ……。


「当たり前であろう? 姉妹は同じ家で過ごすものじゃろ」

「そ、そうだけど、いきなり家に入れてもらえないよ! それに、お父さんとお母さんにどう説明すればいいの!」


 自分の家に急に誰かも分からない女の子を連れていけるわけもない。


 しかも、ヤチのことを色々を伝えたって信じてくれるはずもないし、まずどう説明すればいいのかわからないよ。


「そんなの、本当のことを言えばいいだけのことじゃろ」

「絶対信じてくれないよ!」

「それじゃあ、こっそり入ればええじゃろ」

「だめだよ! 怒られちゃうよ!」


 家に入るのは無理だからここにいて、と言い出そうとしたが、少し止まった。


 ここらへんには、家っぽそうな建物は一切ない。


 ヤチも、ボロボロの着物を着ていて、それ以外服を持っていそうにもなかったし。


 もしかして、ヤチって、ずっと山の中で生きてきたの?


 もしそうなら、そのままにしておけないよ。


「……ねえヤチ、ヤチの家って、どこなの?」

「? ここじゃが?」


 そう言って指を真下に向けて今いる場所を示す。


「家だよ? 建物だよ?」

「ない。ずっと土の上で寝ておる」


 予想が当たった。やっぱりこのままにしておけないよ。


 私は心を決めて、受け入れることにした。


「わかったよ……私の家に行こ?」

「かたじけない。それじゃあ、行こうか」


 そういってうれしそうにニコニコしているヤチを見ながら、私はヤチと出会った場所にある、石の造り物の横に置きっぱなしにしたランドセルを取りに行った。


 ふと気づいた。


 そういえば私、学校から家に帰らずにすぐここへ来た。


 私は全身の血の気が引いていくのをしっかりと感じた。


 どうしよう……! 学校から家に帰らずにそのまま門限まで寄り道してるなんて、お母さん絶対怒ってる!


 いや、それよりも、心配しちゃってるかもしれないから、早く帰らないとっ!


 私は冷や汗をかきながら、ヤチのもとへとかけ寄る。


「おお、どうした? そんなに真っ青な顔をして」

「ヤチ、私がいいって言うまで、隠れていてね」

「? わかった」



***



 そのまま二人で私の家まで行き、ヤチに物陰に隠れるように言ってから、私は玄関前に立つ。


 ごくり、とつばを飲み込んで、おそるおそる玄関の扉を開ける。


「おかえり、遅かったじゃない」

「た、ただいま。お母さん」


 お母さんの声はいつもより低い。明らかに怒っているそれに、私は背筋がのけぞりそうなほどピン、と伸びた。


「今までどこ行ってたの?」

「えっと、学校帰りにそのまま遊んでたというか……」


 うまく考え付かなかった言い訳を口にしたとき、お母さんの目がギラリと光った。


「遊びに行くなら一回家に帰ってからにしなさいっていつも言ってるでしょうが!」


 ああ、今日の私は助からないな、そう悟った。



***



 そのまましこたま怒られて、「ごめんなさい。次からは絶対にしないように気を付けます」と頭を下げ、ようやく許されたあと、物陰に隠れていたヤチを親にバレないように二階の私の部屋にまで上げた。


「はははっ、母上に叱られておるそなたは面白かったな!」

「もう、笑いごとじゃないでしょ!」


 部屋に上がって、ようやく話せるようになったあと、ヤチから飛び出した第一声がこれだった。


 うぅ、はずかしい……。


「でもなんだか懐かしくなった。前世のそなたも、母上によく叱られていたものよ」

「えーっ、なにそれー」

「小さい頃は外に遊びに行く度に、からだのどこかかしこに傷をつけて帰ってきてたから、毎日叱られておったんじゃ」


 自慢げなヤチから出る話に、今の自分じゃないとはいえ自分のことのように恥ずかしくなってくる。


「もう……ほら、早くお風呂に行くよ」

「おふろ?」


 ヤチは首をかしげる。もしかして、お風呂を知らない……? 千年前って、お風呂なかったのかな。


「えっと、からだをきれいにするの。ついてきて」



***



 ヤチの手を親にバレないようにお風呂に引いて行って、からだを洗ってあげた。


 ヤチにとってはお風呂がめずらしいらしく、せわしなく動くから洗うのが大変だった。


 せっけんでわしゃわしゃって洗ってから水で流した時、汚れがすごくて流れてった水が真っ黒になっちゃってびっくりした。


 湯船につかると、水を手で足でバシャバシャやって大変だった。ヤチは楽しそうだったけど、お母さんにバレないかひやひやしたよ……。


 そしてそのあとまた親にバレないように部屋に戻って、ドライヤーで髪を乾かしてあげる。


 お風呂に入る前とはみちがえるほどきれいになって、傷んでた髪もつやつやになった。


「まさか、今になって、もう一度妹と過ごせるとはな」


 ドライヤーをかけていると、ヤチがふいに話しかけてきた。


「これも言霊の力か」

「言霊? どうして?」

「だってそなた、わらわと会う前、あのほこらに『姉ができますように』と祈ったじゃろう」

「ほこら……?」


 私は昨日のことを思い出す。


 ヤチと出会った場所にあった石の造り物。それがほこらなのかな。


 なんとなく日中のことを思い出して願っただけだけど、それに言霊の力が宿っていたとするなら。


「もしかして、『お姉ちゃんが欲しい』っていったから、ヤチと出会えたの?」

「そうじゃろうな。現に、姉妹になったであろう?」


 もし本当にそうなら、なんとなく言ったことが現実になってしまうなんて、言霊の力ってすごい。


「こんなふうに、そなたの言霊はとてつもなく強いのじゃ。普通の人の子じゃ口に出しただけで願いが叶ったりなどせん。その分、自分の言葉に責任を持たなければ、大変なことになるぞ」

「ええっ、怖いよ……」


 強いヤチの口調におされて、少し怖気づく。


 口に出せば、その通りになってしまう言霊の力。


 もし悪いことを言って、本当にその通りになってしまったら……?


 えもいわれぬ恐怖に背中がぞわっとした。


「……なあ琴葉。姉妹なのだから、昔のように呼んではくれぬか?」

「昔のようにって?」


 急にヤチが当たり前のように言うから、私はぽかんとしてしまった。


「ああすまぬ、この言い方じゃわからぬよな。そなたは昔、わらわのことを『お姉さま』と呼んでおったのじゃ」

「お姉さま!?」


 私はびっくりしてカチッ、と一度ドライヤーを止めちゃった。


 ヤチが不思議そうにこちらを見つめてきた。


 気を取り直してもう一度ドライヤーのスイッチを入れて、ヤチの髪を乾かし始める。


 昔の時代だし、もしかしたらそういう呼び方は普通だったのかな。


 でも、ちょっとその呼び方ははずかしい。


「お姉さまはちょっと呼べないかもだけど……『お姉ちゃん』ならどう?」

「おねえちゃん? なんじゃそのキッカイな言葉は」

「今は姉を呼ぶときはこの呼び方が普通なんだよ?」

「ふぅん、そうなのか。まあよい、そなたの呼びたいように呼んでくれ」

「それじゃあ……ヤチお姉ちゃん」


 すると、ヤチ――もといお姉ちゃんのからだがぴくっと反応する。


「なんか……いいものじゃな、これ」

「? そうなの? よくわかんないや」


 まんざらでもなさそうな顔をしているから、これからもお姉ちゃんって呼ぶことにしようかな。


「琴葉ー? ご飯できたわよー?」


 下の階からお母さんの声が聞こえて、「はーい」と返事をする。


「あ、お姉ちゃんの分のご飯どうしよう……」


 お姉ちゃんって言われるのがまだ慣れないのか、また少しお姉ちゃんのからだがぴくっとなる。


「わらわはなくてもよいぞ。三日間何も口にせんかったこともあるから、一日くらいどうってことな――」

「ダメ! ご飯はちゃんと食べないとダメ!」


 私の勢いにおされて、「お、おう」とお姉ちゃんは目を見開いてうなずいた。



***



 急いでご飯を食べ終わって、台所でなにかないか探したけれど、あんまりめぼしいものはなく、唯一みつかったメロンパンと蛇口で汲んできた水だけ部屋に持って行った。


「おお、戻ったか。待っておったぞ」


 扉を開けると、退屈そうにベッドに寝転がっているお姉ちゃんが出迎えてくれた。


「ごめん、これくらいしかなかったんだけど」


 私が袋を開けてメロンパンを差し出すと、お姉ちゃんはものすごく怪しんだ様子で見つめている。


「なんじゃこれ」

「メロンパン。美味しいよ、食べてみて」

「これは、ほんとに食べられるものなのか?」

「大丈夫だよ。妹がそう言ってるんだよ?」

「うぅ……」


 ずるいぞ、というようにお姉ちゃんは私を柔らかくにらんだ。


 お姉ちゃんはもう一度メロンパンに目をむきなおすと、一瞬ためらってから、目をつぶって一気にかぶりついた。


 口に入れた瞬間、お姉ちゃんの顔色が正反対になって、目をきらびやかに輝かせた。


「なんじゃこれは!? こんなうまいものがこの世にあったのか!?」

「あははっ、そんなにー?」


 リアクションがおおげさでおかしくって笑ってしまう。


 そのままどんどん食べ進めていって、すぐにぺろりと全部食べてしまった。



***



 その後一緒にはみがきをした。


 お姉ちゃんのはみがきは私が手伝った……というよりほぼ全部私がやった。


 お口を大きく開けて私に中をわしゃわしゃ、ってされるお姉ちゃんが可愛くてほほえましかった。


 そのままおうちの中のだれにもバレずに寝る準備をする。


 あいにくベッドは一つしかないから、二人一緒に寝ることになった。


「なあ、ほんとにここで寝るのか?」


 お姉ちゃんは今まで布団でしか寝たことないみたいで、高さのあるベッドは怖いらしい。


「大丈夫、落っこちたりしないよ。もし心配なら、私が外側で寝るから」

「うぅ、でも、それでそなたが落っこちてしまったりなどしたら……」

「大丈夫だよ~。私十年くらいこれで寝てるんだよ? お姉ちゃんよりも先輩なんだから」

「そ、そうか? それじゃあ、落ちないよう、頼んだぞ」

 

 そのまま、お姉ちゃんは壁側、私は外側で寝ることになった。


 電気を消して、暗い部屋の中で二人一緒にベッドに入る。


「ほら、ベッドの中、暖かいでしょ?」

「うむ。心地よいのじゃ」


 さっきまでベッドから落ちないか心配してたとは思えないほど気持ちよさそうな声で、ほほえましくなる。


「妹と一緒に寝るなど、いつぶりじゃろうな……琴葉、子守唄を歌ってやろう」

「ええ、いいよぉ。そこまで子供じゃないよ」

「そうか? 昔は歌ってやらんと寝れなかったんじゃがな」

「前世は前世でしょ? 今の私は、お姉ちゃんよりも大きいんだよ?」

「そうか……子守唄を歌っていないと、妙に落ち着かないな。なあ、せめて、頭をなでるのは、許してくれぬか? そうでもしないと、わらわが眠れそうにない」


 お姉ちゃんは、なんだか落ち着かない。


 前世の私と寝るときは、どんなふうに寝てたのかな。


「うん、いいよ」


 私はからだをお姉ちゃんの方によせて、頭を差し出す。


 ふんわり優しく手が置かれて、ゆっくり、なでられる。


 昨日会ったばかりなのに、こんなふうに何回も頭をなでられて、その度に落ち着いてしまうのは、私とお姉ちゃんが姉妹である証拠なのかな。


 そんなことを考えながら目をつぶった。


 すると、いつの間にか眠りに落ちていた。



***



 頭をなでられている。


 その感触に、心地よくまどろむ。


 そういえば、さっき寝る前にお姉ちゃんに頭をなでてもらってたんだっけ。


 だから、このなでてくれる手はお姉ちゃんの手なのかな……。


 ふと、ひざまくらされていることに気づく。


 あ、そっか。これはよく見るいつもの夢だ。最近毎日見てるなぁ。


 からだを仰向きに転がして、ゆっくり目を開けてみる。


 すると、ひざまくらをしながら頭をなでてくれるその人の顔がぼんやり見えてきた。


 ツノが生えていて、小さくて、きれいな着物を着ていて。


 ぼんやりしていたのがどんどんはっきりしていくうちに、その人が誰なのかもはっきりわかるようになってきた。


(――ヤチお姉ちゃん?)


 その人はまぎれもなくお姉ちゃんだった。


 お姉ちゃんは頭をなでながら、口を開いた。


「――は、大切なわらわの妹じゃ」


 ……どうして、名前を呼んでくれないの?


 その瞬間、世界が暗くなって、また深い眠りについた。

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