第087話 スカイライナー

 空を駆け回れるくらい、強くて元気な相棒で居てほしい。


 だから、そう名付けた。


 本当はその頃に好きだった車の名前からもじっただけなのかもしれない。

 オフクロに連れられて初めて乗った電車もそんな名前だった。


 子供の頃の記憶なんて曖昧あいまいだ。今はもう真実なんて分からない。


 それでも、アイツが俺の相棒であることに違いはなかった。


 たくさん遊んでたくさん走った。散歩にも毎日連れて行った。飯を用意して芸も教えた。

 家に来た頃は幼稚園生の俺より小さくて、アイツのことを弟みたいに思っていた。


 けどすぐに俺よりデカくなって、いつの間にか背中に乗れるくらいに成長した。

 そんなデカい図体をして性格はビビりだった。

 家の中ではイタズラするくせに、外へ出ると借りてきた猫みたいになっちまう。内弁慶ってヤツだ。


 そんなアイツが、俺は大好きだった。


 だけど次第にアイツとの時間は減っていった。

 嫌いになったわけじゃない。飽きたとかそういうわけでもない。

 なのに散歩へ行くのも、飯を用意するのも、いつの間にかエルの役目になっていた。


 親父も兄貴も、それが当然のように何も言わなかった。俺もそうだ。


 一緒に遊ぶ時間はあった。

 美味いメシを食わせてやる余裕もあった。

 広い公園で一緒に駆けまわる元気もあった。


 だけど俺は学校や習い事を理由に離れた。

 好きでもない世界にしがみつこうとして、自分を取り繕ろうことに躍起になっていた。


 気付いた時はもう遅かった。

 事故だった。


 エルから連絡を受けた俺は学校のテストもすっぽかして、泣きながら動物病院に駆けつけた。

 悔しかった。なにもかも。

 全部許せなくて、この世界の全てに腹がたった。


 でも一番ムカついてたのは、自分自身だった。


 もっと一緒に居てやればよかった。

 一緒に遊んでやれば。一緒に寝てやれば。一緒に走ってやれば……そんな考えが頭の中を巡った。


 悔しくて涙が止まらない。

 悲しくて涙が止まらない。


 俺はうまれて初めて“命”を知った。


 オフクロが死んだ時は何の実感も無いまま、時間だけが過ぎていたから。

 

 だけどこの時の俺は中学生。押し寄せる悲しみも湧き上がる後悔も全てが俺を飲み込もうとする。


 生き返ってほしいと何度も願った。

 

 人間も動物も関係ない。近いのに遠い、大切な何かが消えて二度と戻らない。

 人形のように固く冷たく、動かなくなったアイツを抱きしめながら俺は泣き喚いた。


 親父が仕事から帰ってきた時、亡骸を見て放った第一声は『学校を早退したそうだな』だった。

 兄貴は「友達と遊ぶ約束があるから」と言って、親父より遅い帰宅だった。


 二人は違う〈セカイ〉の人間だった。


 その翌日。霊園に着いてもまだ泣いていた俺は、いよいよ『いい加減にしろ』と親父に怒られた。

 兄貴はいつの間にか居なくなっていた。


 暑い日だった。嫌味なくらいに空は晴れていた。

 遺骸は焼かれ、煙突から白い煙が空へ駆けのぼっていった。

 蒼く澄み切ったこの空を、アイツが走り回っているようだった。


「いつかまた一緒に走ろうな……スカイライナー」


 空を見上げる両の眼から、また涙が溢れた。



 ◇◇◇



 それから半年後。マウスの解剖実習があって、俺は事件を起こし実家を追い出され、LTSに入学することとなった。


 入学説明会でAIVISアイヴィス機療きりょうするためのBRAIDブレイドは自分でデザインするのだと知り、俺は真っ先にスカイライナーの姿を思い浮かべた。


 けれどこの右手でスカイライナーに触れていいのか不安だった。


 人を傷つけた悪の右手。


 だから俺は手甲型のBRAIDブレイドも同時に作った。


 この右手は誰かを傷つけるためのものじゃない。救うことができる。


 俺の左手に居るスカイライナー相棒に、それを見ていて欲しかった。

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