第086話 焔羅王《ほむらのおう》

 眼を閉じると無限に白い空間が広がっていた。

 意識だけが実存するその場所に、カズキは今もまた佇んでいる。


「よぉクソガキ。今日もしけたツラしてやがるな」


眼の前には色香を漂わせる褐色肌の女。相変わらず妖艶な笑みを浮かべて、男勝りに胡坐あぐらをかき頬杖をついている。


「俺は〈王〉になったんだな。それも〈魔王〉に」

「ああ、そうだな」

「アンタには最初から分かってたのか?」

「さてな」


いつものことだ。カズキが何を問いかけても、望む答えは返されない。けれど不快には思わない。

 褐色の女は頬杖のまま続ける。

 

「どうやら、お前の願う〈セカイ〉は見つかったみたいだな」


「もう意味がないけどな」


「関係ねぇよ。聞かせてみな」


自虐的に、けれど明るく笑うカズキに対して女は挑発的な笑みを浮かべた。

 その紅い視線に導かれるよう、カズキは深呼吸をしてかは真っ直ぐに瞳を返した。


「俺は……篝火かがりびになりたい」


「篝火?」


「ああ。俺は自分が正しいと思うことを成したい。目の前で困っている人が居るなら、助けられる命があるならこの手を伸ばしたい。

 だけど俺にはそんな大層な力は無いし、自信も無い。俺は小さな蝋燭ろうそくの炎みたいなものだから、少し吹かれれば簡単に消えちまう。

 だけど皆が居てくれれば俺は変われる。

 俺のことを信じてくれる人達と、俺のこと好きでいてくれる人達が俺の炎を強くしてくれる。

 だから、その人達を照らして温められるだけの炎――篝火かがりびに俺はなりたい。

 そんな〈セカイ〉を、俺は創りたい。

 大切な人の悲しむ顔や苦しんでる姿を見るのは、もう嫌だから」


そう言ってカズキは右手に拳を握りしめ、ゆっくりと解いた。

 すると掌には小さな炎が揺らめいている。小さくも暖かい火が、穏やかな表情を照らした。


「俺は御堂みどう片桐かたぎり先生みたいに頭が良いわけでも特別な何かを持ってるわけでもない。

 月や太陽にはなれない。誰かを導いたり、誰かの憧れになることなんて俺には出来ない。

 だけど、そんな空の光も暗い洞窟の奥までは届かない。だから俺は、そこに居てくれる人の篝火かがりびになりたいんだ」


放つ声に比例して、手中に灯る炎が少しだけ輝きを増した。

 女は「ハンッ」と鼻を鳴らして嘲ける。


「報われねぇぜ、そんな〈セカイ〉。洞穴から抜けりゃあ篝火なんざ用無しよ。月明りや陽光には到底及ばねェ。

 たとえその瞬間はテメェにすがろうと、手前勝手に消されて捨てられるのがオチだ。

 またクソみてーな思いを繰り返すことになるだろうぜ。黒髪姉ぇちゃんに泣きついたみてぇによ」


「……確かにそうかもしれない。俺だってあんな思いをするのは嫌だ。

 だけどこの手があるのに、差し出さずには居られない。見て見ぬふりなんて俺には出来ない」


明瞭かつ淀みの無い声に女は「クククッ」と楽しそうに笑った。

 するとカズキの掌中で揺らめいていた炎がひとりでに動き手繰り寄せられるよう手に収まると、女は果実のようにそれを齧った。


「フン、なんだコイツぁ。甘ったるくてフワフワして量も少ねェ。まるで菓子だぜ、こりゃあよ」


憎まれ口を叩きながら、女は味わうようにゆっくりと咀嚼そしゃくし嚥下する。


「〈セカイ〉ってのは詰まるとこ欲望よ。本当ならもっと重くてデケぇ、丼メシみてぇに食いごたえのあるもんだ。なのにテメェの〈セカイ〉ときたら繊細で脆っちい。まるで駄菓子だぜ」


もう一度、女は大きく口を開いて炎を食らった。


「けど嫌いじゃあねェな……悪くねェ味だぜ。お前のこの篝火かがりびってヤツはよ」


綻ぶように笑いながら、手の中のそれを愛でるように女はまた炎をひと齧りした。


「ありがとう」


唐突に放たれたカズキの言葉。

 女の飄々とした態度が崩れて、一瞬だけ目を見開かれた。けれどすぐにまた怪しげに笑んで前屈みに頬をつく。


「なに言ってやがる。無様に泣き喚きながらテメェの運命を呪ってたじゃねぇか」


「確かに現実は辛いことばかりだし、苦しいことも沢山ある。それでも今の俺があるのはアンタのお陰だし、俺の〈セカイ〉も見つけられた。

 だから、ありがとう」


そう言ってカズキは小さく笑った。女は一瞬ポカンと呆けた顔を見せたが、すぐに「ククク」と楽しそうに笑ってみせる。


「本当にバカ野郎だ、テメェはよ」


「俺もそう思う」


同じく砕けた笑顔で微笑み返すと、カズキはおもむろに踵返して背を向けた。


「愛してるぜ、カズキ」


含みもった声が背中越しにカズキを撫でる。カズキは背中越しに首を返した。


「俺も愛してるよ、焔羅王ほむらのおう……ああ、神様とか運命って呼んだ方がいいのかな」


「好きにしな」


その瞬間、褐色の女は嬉しそうに笑った。

 カズキの存在は徐々に薄れゆく。


 ――忘れるなよカズキ。オレは……お前だ。

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