第084話 甘い

 「――それで逆上した君は教員を殴った」


顔を伏せたまま、カズキは小さく頷いた。


「今でも、時々夢に見ます。先生の胸倉を掴んで、眼鏡が吹き飛ぶくらいに、俺は……」


震える体でカズキは硬く拳を握りしめた。

 片桐たゆねは「ふむ」と鼻から息を吐いた。


「なるほどね。普通ならば傷害事件として扱われた可能性もある。

 けどその教員の心無い言葉が原因なのは明白だ。学校側としても、そんな職員の存在は表に出したくなかった。無論、君のこともね。

 だから君は退学ではなく[卒業までの無期停学]という処分となった。高等部への進学は認められず君はLTSの門を叩く、というわけだね」


俯きながらカズキは力無く頷いた。片桐たゆねは更にバインダーへ記入を続ける。


「中学校で哺乳類の解剖授業というのは珍しいが、私立の医療学校なら納得かな。どのみち医療や研究職を志すなら解剖学は避けて通れない道だしね。私も大学生の頃に解剖学を履修したよ」


「それは……分かっていたつもりです。だけど俺には、どうしても……」


「分かっているよ。それより、泉美いずみの家で暮らし始めたのもその頃かな」


「はい」


「御実家は?」


「親父と兄貴は、『長瀬家の面汚つらよごしだ』って……『どうせ下らない人間関係が原因なんだろう』って……家を追い出されました。

 その後すぐエルも家を……たぶん泉美いずみぇに連絡とってくれたのはエルなんです。二人とも何も言わないですけど……」


「そうだったんだね。泉美から『親戚を入学させてほしい』と電話を貰った時は私も驚いたよ。

 でも間違った選択ではなかったと思うな。少なくとも君には機核療法士レイバーの資質があったんだから」


明瞭な口調の片桐たゆねに反して、カズキは暗い顔を伏せたまま三度首を横に振った。


「本当に優しい奴や真面目な人間は誰かを殴ったりしません。どころか俺は、あの時……本気で実習の先生のことを……」


「……自業自得という所かな。中学生に対してその教師の言葉は過ぎていると思うし」


嘆息交える片桐たゆねのフォローも虚しく、カズキはまた力無く首を横に振った。


「先生達が言ってたことは間違ってないです。

 医療者は血も見なきゃいけないし、新薬や技術の開発には動物実験は必要だってことも理解はしてるつもりです。

 あの解剖実習だって、教科書でイラストを眺めてるより、よっぽど記憶に残りました」


まるで絵の具をキャンパスにぶちまけるかのような非原色の横顔。

 今にも泣き出しそうな、怒り出しそうな、それでいてどこか喜悦を孕み、誇らしささえ伺える。

 感情を言葉にするたび、奥底に仕舞い込んでいた激情が溢れ出す。


「でもだからって、命を笑っていいとは思えない!

 解剖が終わったマウスを生ゴミと一緒に捨てて、わざわざ生きてるのを殺させて! 先生もクラスの連中も面白半分に笑いながら!

 『解剖用のマウスは死ぬために生まれてきた』なんて言われても、俺は……俺には……!!」


少しのつもりだった。表層の説明だけで終えるつもりだった。

 なのに気付けば、押し殺していた闇が沸き上がり口を突いて出てくる。

 

 激昂するカズキを片桐たゆねは険しい表情で見つめていた。


「……君のその気持ちは決して間違ったものじゃないよ。だから気持ちを切り替えよう。過去に囚われていたって仕方が無いさ」


宥めるように、片桐たゆねはそっと肩を触れた。

 その肩を小刻みに震わせ、カズキは自嘲気味に首を振って応える。


「あの時の眼が……バケモノを見るような皆の視線が、頭から焼き付いて離れないんです……」


両の目尻に涙を浮かべ、痛苦に歪め拳を握る。それが何を意味しているのかは分からない。

 片桐たゆねは神妙な面持ちで、カズキの蒼い手甲のBRAIDブレイド一瞥いちべつした。


 ――キーン、コーン、カーン、コーン……。


「おっと、すまない。病み上がりだというのに長々と失礼したね。

 私もまだ仕事があるし、今日はこれくらいにしておこう。明日も授業はお休みだから、ゆっくり養生するといいよ」


器具やバインダーを片しながら言うと、片桐たゆねは傍に置かれているバスケットを指差し「制服はそこに」と付け加えた。


「それと、最後にひとつだけ」


器具を小脇に抱え、カーテンを開いた片桐たゆねが背を向けたまま言う。


「君は、甘い」


目もくれずに放たれた一言。鋭い刃で貫かれたようにカズキは絶句した。


 「君はまだ学生だ。だから世間は君の過ちを許すだろう。美徳と評価する者も居るだろう。

 だが生物として求められるのは優しさじゃない。種を存続していく強さだ。

 それは肉体的な頑強さであり精神的な屈強さでもある。殺すことに躊躇ためらいを持てば野生の動物は生きていけない。

 そもそも君が普段食べ残して捨てている食事と、そのマウスの遺骸は何が違うんだ。

 どちらも君という個の糧になった、その残骸じゃないのか」


怒気を孕めた声。カズキは何の反応も返せず、挨拶も無く立ち去る片桐たゆねの背中を見つめることしか出来なかった。


 まるで胸に大きな穴を開けられたよう。

 掴んでいた手を乱暴に離された感覚。崖の上から突き落とされたような絶望感。


 静けさに満ちた保健室で、カズキは一人虚空を見つめていた。

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