第076話 輝く羽は希望の灯火

 前のめりに落ちるカズキの体を抱きしめるよう、エーラが支えた。


「……エーラ」


か細い肩に顎を乗せ、頬が触れ合う距離でカズキが呟いた。


「貴方は、私の光になって下さるのではなかったのですか」


耳元で囁かれる儚げな声。それが虚ろなカズキの瞼を少しだけ見開かせた。


「貴方は私の篝火かがりびになって下さるのではなかったのですか。前に差し伸べて下さった言葉は嘘だったのですか」


相変わらず抑揚のないエーラの声。カズキはフッ、と自嘲気味に微笑んだ。


「ウソじゃねェよ……」

「ならばどうして、貴方は今死を受け入れているのですか」


ドクンと心臓が波打った。心の中見透かされたようで動揺した。

 けれどカズキは、再び瞼を降ろしてしまう。


「悪りぃな……でも、俺の小っぽけな火じゃあ……ここまでなんだよ。

 俺は御堂みたいに凄ぇ人間じゃねェから、アイツみたいに輝けねェ……お前の言う通り、ロウソク程度の小さい火なんだ。

 だから、ちょっと吹かれりゃあ……簡単に消えちまうんだよ」


力無くそう言って、また小さく笑うカズキを抱きながら、エーラは御堂ツルギを一瞥した。


「確かにあの男の輝きは巨大です。見目みめ麗しく放つ言葉には重みがあります。自らの感情を押し殺してなお、揺るがない。

 加えて広い視野を持っています。いずれは月明かりや太陽のように、万人を照らす大きな輝きとなるでしょう」

「……だろ」


眼を閉じるカズキは、また薄く笑った。

 嬉しかった。同時に少しだけ悔しかった。

 誇らしさと嫉心しっしんが混ざり合い、複雑な心に絡みつく。

 だからカズキは目を閉じ微笑んで、現実から逃れようとした。けれど、その瞬間。


「けれど私には、眩しすぎる」


放たれたエーラの声が、閉ざすカズキの眼を大きく見開かせた。


「外の世界と交わることもなく暗い屋敷の中に居た私にとって、熱く強いあの方の輝きは瞳を焼かれる程に眩しすぎる」


紅い視線を戻すと、エーラはカズキの耳元にそっと唇を寄せた。


「私には小さくとも温かい貴方の篝火かがりびの方が、心地良いのです」


他の誰に聞かせることのない囁く言の葉。

 相も変わらず冷ややかなその声は、消えたカズキの心に僅かな種火を落とした。


「私だけではありません。エルグランディアもスカイライナーも、皆貴方という篝火かがりびを頼りにしているのです。

 背に輝く橙色の羽は希望の灯火。だというのに、その火が倒れては不安に駆られます」


エーラの声が耳朶じだに触れる度、熱い衝動が胸の中に生まれて、目尻にじわりと涙が浮かんだ。


「でも……俺にはもう羽が無い……」


弱った心を声に変え、カズキは吐き出した。

 するとエーラはそんなカズキの襟首を掴み、体ごと持ち上げる。


「ならば私が貴方の羽になります」


まるで喧嘩か取っ組み合い。驚くカズキの間に映るのは、紅蓮の眼から流れ落ちる一筋の涙。


「私はまだ、貴方と生きたい」


言うとエーラは右手でカズキの胸倉を掴んだまま、空いた左手を上に向けた。

 その直後、空の掌に小さな火玉かぎょくが生まれる。


「それは……」


見覚えがあった。意識だけの白い空間で、褐色の女が果実のように喰らっていた炎だ。

 女がしていたのと同様、エーラはそれを一口だけ齧った。

 そうしてカズキの襟首を引き寄せれば、包み込むように唇を重ね合わせる。


「んんっ……!!」


突然の口付けにカズキは驚いた。

 だがそれ以上に衝撃的なのは、エーラの口唇くちびるから流れ込む感覚。

 舌先から伝播する電流のような刺激。全身を駆け巡る激しい激動。


 その時、緋色の粒子がエーラの体から立ち昇り、衣服もろとも光子に変わり消えてしまった。

 周囲に浮かぶ緋色の光子は、吸い込まれるようにカズキへ浸透していく。

 まるでAIVISアイヴィス機療きりょうするかのような光景にカズキは戸惑った。

 だが、それも束の間。


「あ……があ……うぅあああああぁっ!!」


直後には激しい絶叫を上げ、カズキは自分の身体を抱え膝をついた。


「あ、熱ちぃ……!! 痛てぇ……!!」


苦悶の表情を呈すカズキにあかい炎が燃え上がり、瞬く間に全身を覆い尽くした。


『坊ちゃま! 坊ちゃまぁ!!』


叫ぶエルグランディアはカズキの元へ駆け寄ろうとした。だがその腕を御堂みどうツルギの赤い腕が鷲掴んで止める。


『離してください御堂さん! 坊ちゃまとんでもない体温なんです! このままじゃ、本当に坊ちゃまが死んじゃいます!』


「なら願ったりだよ。僕が手を汚さないで済むのならそれが一番――」


――バチィ!!


痺れるよつな打音が庫内を響かせた。

 エルグランディアよ熾烈しれつな平手が御堂ツルギの頬を打ったのだ。

 つう……と唇から一筋の血が流れる。


『御堂さんは、ひとでなしです……!』


射殺さんばかりに鋭いエルグランディアの眼差し。御堂ツルギは鎧の指先で口端の血を拭った。

 

「僕はもう、〈テンシ〉だから」


叩かれた頬がじわりと痛んだ。

けれど怒りは無い。むしろ感謝していた。

自分の罪が少しだけ償える気がした。

 口端を拭った赤い血も、赤い鎧に紛れて消える。

 御堂ツルギは紅蓮の炎に包まれるカズキへと視線を戻した。


 襲い掛かる苦痛から逃げるよう、火中のカズキは背を丸めてうずくまった。


 虚ろいゆく意識。痛みすら徐々に麻痺していく。

 生温い粘液の中を浮遊しているような感覚に見舞われる。


 その先にあるのは黒く昏い、全ての色が混濁した世界。上下左右の区別もなく精神だけが躍動する。

 精神の海を漂えば、暗澹あんたんの世界に小さな明かりを見出した。


 流れに逆らいカズキは自ら動いた。けれど思い通りに体が進まない。不格好に手足を動かして、ようやくと光の元に辿り着いた。

 光は小さく儚く、拳ほどの大きさで目の前に浮かんでいる。


 伸ばしたカズキの指先が触れると、光は爆発したように広がった。

 暗黒の世界には光が満ちて、カズキも光の爆発に飲まれて消えてしまう。



 そしてカズキは、覚醒めざめた。



緋色の炎を引き裂くよう、対の光が天へと伸びる。勢いを弱めた紅蓮のほむら


 その中に立つのは、黒の鎧を纏い緋色の羽を負うカズキの姿。


 光沢放つ黒紫の鎧は白い制服を全て覆い隠すよう纏われている。しかしエーラの纏っていたそれとは違い、美しさよりもおぞましさが先に立つ。


 背にそびえる対の羽は緋色の結晶体が幾重にも連なり羽翼を成している。そのひとつひとつから緋色の粒子をたぎらせて。


 エルグランディアは一言も発さず、驚いた様子でカズキの変貌を見つめている。スカイライナーも無機質な目でじっと見守る。


 ただ一人、御堂ツルギだけは眉間に皺を寄せ苦々しい様相を呈していた。


緋羽あかはねの……〈王〉」

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