第080話 マイアのゼロ

 生まれた時、私は一人だった。


 この世界に1人きりの不安。

 〈アクマ〉として存在する孤独。

 まだ見ぬ〈テンシ〉や人間への恐怖。


 食うことも寝ることも必要とせず、ただ暗い屋敷の中で膝を抱え蹲るだけの毎日。ただ只管ひたすらに世界を恨むばかりで。


 数ヶ月ほど経ったある日、エーラが生まれた。

 私は独りではなくなった。


 あの子も私と同じだった。

 欲望が無い故に何の目的も持てず、この世界で日がな一日屋敷の中に籠り切っている。


 所詮は同じ〈アクマ〉なのか。まるで鏡に映る自分を見ているよう。無性に胸が苦しくなった。


 嫌だった。だから私は会話を試みた。

 存外とエーラは耳を傾けてくれた。

 けれど話の種など数日で尽きた。


 またエーラとの会話が無くなった。

 迷いに迷った挙句、私は外に出た。


 怖くて仕方がなかった。外に出た途端に〈テンシ〉や人間に殺されるのではないかと体が震えた。

 それでも私はエーラに笑ってほしかった。あの子と繋がりを持ちたかった。


 恐る恐ると外への一歩を踏み出した。その時、自分の中に在る何か変わった気がした。


 私は外の世界をエーラに教えた。


 幸いにも私の生まれた場所は人工島らしく、人間はあまり見かけなかった。

 マンションの立ち並ぶ地域やホテルの周辺、商業施設の辺りは少しだけ人間が多かった。


 1人で歩いていると稀に声を掛けてくる人間も居た。特に男が多かった。

 これは『ナンパ』と呼ばれる行為らしく、人間の男女が関係を持つための切っ掛けらしい。生物界における求愛行動のようなものだと理解した。


 〈アクマ〉である私に求愛行動とは滑稽こっけいだが、おかげで人間たちのことを理解できた。おかげでエーラへの土産話には事欠かなかった。


 そんなある日、また男が一人私に声を掛けてきた。若い男の見た目をしていたが、それはAIVISアイヴィスだった。


 男のAIVISアイヴィスは自分を片桐かたぎりまことと名乗った。


 その名を耳にした瞬間、不思議と懐かしい、記憶を掘り起こされるかのような感覚に見舞われた。

 同時に『この男には逆らえない』という縛りのようなものが、私の意思と行動を阻害した。


 奴は私に取引を持ち掛けた。〈テンシ〉を探し出してその情報を渡すように、と。


 奴は言葉に反することができなかった。選択肢など最初から無かった。

 今にして思えば、それはAIVISアイヴィスであった頃の名残……機核三原則きかくさんげんそくという刷り込まれたプログラムなのだろう。


 加えて片桐誠は私に三つの誓約を科した。


ひとつ、〈イロハネ〉の情報は全て共有すること。

ふたつ、片桐誠に対し偽らないこと。

みっつ、片桐誠に関する情報を他言しないこと。


 その三つの誓約を具現化したのが三叉の短剣だ。

 もしもこの掟を反故にすれば、私の鎧から作られたこの刃が私を討ち殺すという。


 誓約とは名ばかり、一方的な隷従だった。


 私は恐怖した。いつこの男の毒牙にエーラが掛かるとも分からない。私が傍に居ればあの子にも危険が及ぶかもしれない。


 屋敷を留守にする時間が増えた。


 ある日、私はAIVISアイヴィスから機粒菌きりゅうきんを奪った。しかしそれが原因でAIVISアイヴィスが暴走した。

 それを止める為に私は鎧と羽を出し、足を破壊することで私はAIVISアイヴィスから逃れた。

 だが大量にエネルギーを消費した私は屋敷に帰ることもままならず、路傍ろぼうに座り込んだ。


「大丈夫ですか?」


そんな私に彼奴あいつが声を掛けた。赤馬の動物型アニマロイドを連れる青年。


 御堂みどうツルギとの出会いだった。

 

 「どこか具合でも?」

「……腹が減っただけだ」


私はつっけんどんに答えた。正確に言えば〈アクマ〉は腹など減らない。だが説明も面倒だ。それが一番適当だった。


「ああ、なるほど」


ツルギは笑顔で手を叩くと「すぐに戻ります」と言って赤馬に跨った。すると数分後に袋を片手に戻ってきた。


「どうぞ」


ツルギは私に商店の袋を差し出した。中にはペットボトル飲料と、サンドイッチと呼ばれる食料が入っていた。


「これはなんだ」

「え……紅茶ミルクティーですけど」

「飲食物か」


受け取りながらも私は口を付けなかった。飲み口の開け方が分からず、薄白い紅茶飲料をしげしげと見つめていた。

 そんな私をツルギが黙って見ていた。


「なんだ?」

「あ、すみません。貴女からは不思議な感覚がして」

「そうか」

「食べないんですか?」

「後でな。それより貴様、これも『ナンパ』というものか?」


事も無げに私が問うと、御堂ツルギは顔を真っ赤に染めあからさまに焦り出した。


「ち、違いますよ! 乗馬がてら学校の近くまで来たら、たまたま貴女のことを見かけて……あ、僕はそこのLTSの生徒なんですけど今日は――」


その時だった。さきほど機粒菌きりゅうきんを奪ったAIVISアイヴィスが壊した足を引き摺りながらまた現れた。


「暴走してる……?」


AIVISアイヴィスを一目見た瞬間、ツルギの雰囲気が変わった。柔和な笑顔は消えて緊張を走らせる。


「ブラエストギアス!」


赤馬に手を触れ叫んだツルギの身体が、眩い光に包まれた。


 そして現れた輝く粒子の羽と鎧。それが私に〈テンシ〉だと確信させた。



 ◇◇◇



 「コウチャとやらの淹れ方を、私に教えて下さいませんか」

「……なに?」


私は驚き眼を見開いた。

 気恥ずかしそうに手遊びをしながら、エーラが視線を下げて私の前に立っている。この子が私に教えを乞う姿など想像だにしていなかった。


 聞けばナガセカズキが好んで飲むからだと言う。今までずっと海を眺めていただけのエーラに、少なからず目的が出来た。


 私はそれが嬉しかった。


 ナガセカズキも足しげくエーラに会いに来てくれた。おかげであの子は明るくなった。彼が変えた。


 ナガセカズキならエーラを任せられるだろうか。あの子と共に生きてくれるだろうか。

 

 私が傍に居てはエーラもいつ片桐誠の手に掛かるか分からない。そうなる前に私は自ら死を選ぶつもりだった。

 

 これは賭けだ。

 

 私があの子の心を灯す火種となれるか。

 あの子の命を消す雨となってしまうか。


 願わくば前者であってほしい。


 それが私の望む〈セカイ〉……エーラが人間たちの中で、人として幸福に生きられる〈セカイ〉。


 そのために、私は……。

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