第074話 人間の中で生きる

 逸らした目線の先に映るのは、力なくうずくまるエーラの背中。

 唇噛み締めたカズキは偃月刀えんげつとうを握り構えた。


「……僕と戦うつもりなのか長瀬ながせ。君は世界や人類の危機より自分の感情を優先するのか」

「……」


答えられなかった。御堂みどうツルギのように明確な意思も強い野心も、カズキは持っていなかった。

 故に自分の想いを言葉に変えることが出来ない。行動にさえ確信が持てない。


 だからカズキは何も答えず誤魔化した。

 己の心さえも。


 「……そうか」


押し黙るカズキを前に、御堂ツルギは落胆したよう呟いて答えた。


 次の瞬間、カズキは宙を舞っていた。

 目にも止まらぬ速さで動いた御堂ツルギが殴り飛ばしたのだ。

 攻撃をことも躱すことも、意識の外に消えていた。


 分からなかった。


 怒りや憎しみなどという原色の激情ではない。

 身体に走る痛みが、悔しさが、恐怖が、辛苦が、記憶が、疑問が、不安が……頭の奥で混ざり合って思考を阻害した。


 薄汚れたコンクリートの上を転がり、暗い天井を見上げ、カズキは右手に拳を作ってはほどくことを繰り返している。


 体よりも先に、心が限界を迎えていた。


 それでもカズキは歯を食いしばり、偃月刀えんげつとうを支えに立ち上がった。

 正義や信念などと高尚なものではない。ただ体が動いた。


「……」


満身創痍のカズキを前に、御堂ツルギは三叉の槍を動かした。その矛先は蹲るエーラに向けられる。


「や、やめろ!!」


焦燥が体内を奔る。カズキは飛び出した。

 それを予期していたかのように御堂ツルギは渾身に槍を薙いだ。

 かろうじて防ぐも、カズキはいとも簡単に弾き飛ばされてしまう。


「がはっ……!」


よろめくカズキ。

 御堂ツルギは追い打ちをかけた。

 槍で打ち、殴り、蹴る。

 一方的どころではない。甚振いたぶられていると形容するが正しいほどに。


 反撃は出来なかった。御堂ツルギの猛攻に隙が無いうえ、カズキは迷っていた。

 自分が今、成すべきことに。


「……ハッ……ハァッ……ハァ……!」


息をするのも困難なカズキに対し、御堂ツルギは至って平静。「ふぅ」と小さく呼吸を整え、汗も浮かべない。


「無駄だ長瀬。もう諦めてくれ。君じゃあ僕には勝てない。せめて君達は苦しむことなく、終わらせてあげたい」

「それは……エーラもか……」

「ああ、そうだ。全ての〈アクマ〉に〈王〉の可能性があるのだから」


息も切れ切れ、体は重い。それでもカズキは虚勢交じりに眉を吊り上げる。

 だが汗塗れの顔にはあからさまと疲労の色が濃く伺える。震える足を誤魔化すよう、カズキは意識的な怒りで己を奮い立たせた。


「可能性だかなんだか知らねェけど、そんなモンで人を殺してんじゃねェよ! 

 〈アクマ〉がなんだって言うんだ! マイアさんやエーラが、お前に何かしたのか!」


「なにかしてからでは遅いんだ!! マイアの力を見ただろう! 

 AIVISアイヴィスを暴走させ意のままに操った! あれが〈アクマ〉の能力だ! 人間を凌駕する力だ!」


「だからって、それが殺す理由になるか!!」


カズキは偃月刀えんえげつとうを掲げ、先端に具わるスカイライナーの口を開いた。

 先から迸る粒子と結晶の刃が消えて、御堂ツルギの右腕に頭部が獣の如く食らい付いた。


「人間以上の能力がなんだ! AIVISアイヴィスを操るからなんだ! 〈アクマ〉だって、人間ひとの中で生きられる!!」


「出来るわけが無いだろう! 彼女達は人間と違う! 生まれも、考え方も、持っている力も! 

 そんな異質が、人間の中で等しく生きられるはずがない!!」


御堂ツルギは右腕に力を込めた。偃月刀えんげつとつごと引き寄せられたカズキは腹に膝蹴りを食らう。


「ぐはっ!!」


制服の下に着込んだ強化スーツ•HARBEハーブを突き抜ける衝撃。硬い床上に転がり血反吐を撒く。口のなかに広がる鉄の味が、粘りつくようにカズキの舌と喉を犯した。


『坊ちゃまっ!!』


エルグランディアの不安げな声が、倒れるカズキに発破をかけた。

 偃月刀えんげつとうにしがみつき、鈍痛に耐えて立ち上がった。


「……どこが違うんだよ」


カズキは口元の血涎を右手甲で拭った。

 背に迸る粒子の羽が再び輝きを増す。

 

「楽しかったら笑って、喜んで……辛かったら悩んで、苦しんで、泣いて……お前が護りたがっている人間と〈アクマ〉の何が違うってだ!」


「……違う! 〈アクマ〉は人間に無い能力を持っている! その存在も計り知れない! 仮に人類を絶滅させるような能力を持つ〈アクマ〉が現れたらどうするんだ! そうでなくとも今後〈アクマ〉は確実に増えていく!」


叫ぶと同時、御堂ツルギの背に宿る白羽が輝きを増した。明々と放たれる光は日差しのように眩しく。


「天秤に掛けてみろ! 世界と〈アクマ〉、どちらが重いかは一目瞭然だ!」


その言葉を聞いた瞬間、カズキの意識が一瞬間だけブラックアウトした。


 暗黒に包まれた意識の中。白く不気味な眼が幾つも現れ、カズキを取り囲むよう見つめている。

 そして響くのは嘲笑のような忌み声。


 1秒にも満たない僅かな時間。けれどカズキの額に浮かぶ汗は数と勢いを増して呼吸も荒ぶる。

 煌々こうこうと輝く御堂ツルギの白羽に対して、カズキの背に負う橙色の羽は酷く小さい。


 汗を拭うべくカズキは右手を見た。血糊が手甲にこびり付いて黒く穢れている。

 それがまた、カズキの心を闇に染めた。


「う……うあああああああああ!!」


絶叫と共にカズキは走り出した。羽は瞬く間に燃え盛り劫火のように煌めいている。

 けれど、次の瞬間。


 ――シュアアアァ…。


泡沫が弾けるように粒子の羽が消え去り、カズキの身体は光に包まれた。

 纏っていたスカイライナーが別離して元の姿に戻り力無く床を転がる。

 カズキも前のめりで倒れ、冷たいコンクリートの感触が肌を伝わった。


「な、なんで……ライナ…」


横たわり動かないスカイライナー。

 生身となった左手を伸ばすも届かない。体を動かそうにも力が入らない。


『坊ちゃま!! 大丈夫ですか!?』


思わず駆け寄ったエルグランディアがカズキの体を起こした。

 顔は大量の汗と砂に塗れている。異常なほど早い心拍。高熱帯びる肌には赤い発疹が浮かんでいる。


欠乏症けつぼうしょうだ」


戸惑う二人に御堂ツルギが答えた。そうなることを知っていたように平然と。


 朦朧とするカズキの意識には、雑音のように御堂ツルギの言葉が流れ込んだ。

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