第072話 愛してる

 目の前の現実に思考が追い付かない。

 呆け震えるカズキの足元で、マイアの白い肌と服が血の赤に侵されていく。


「マイア……マイア!!」


血塗れのマイアを抱きかかえ、エーラが何度も呼びかけた。

 声を失っていたカズキも我に返り、偃月刀えんげつとうを構え三叉の短剣が飛来した庫外へ身を返した。けれど、


「や、やめろ……」


今にも走り出しそうなカズキを、弱々しいマイアの声が繋ぎ止めた。


「マイアさん……そ、そうだ早く医者に診てもらわないと! 俺の学校に連絡して先生に……!」

「無駄だ……私はもう、助からん……見ろ……」


小刻みに震えるマイアが腕を擡げると、輝く粒子が蒸気のように噴き出している。

 見覚えがあった。スカイライナーとの融合を解除した時、同じような光子が発せられていた。


 昇華するその光は徐々に数を増していく。まるで彼女の存在を光と共に気化するように。

 霧の如く儚い希薄なマイアの手が、愕然と戦慄わななくエーラの頬を撫でた。


「そんな顔をするな、エーラ……これは私の、願いなのだから……」

「マイアの、願い……」


複雑な面持ちで言葉を返すエーラに、口端から血を流しながらマイアは小さく頷いた。

 だが流れ落ちるその鮮血さえも徐々に粒子化し、色は失せて存在が薄まりゆく。

 

 紅く虚ろな瞳でマイアはエーラを見つめながら、薄く透ける指先で、そっと黒紫こくしの髪を撫でる。


「すまないエーラ……私の独り善がりなに……お前は迷惑していただろう。

 だが、お前のことを……妹のように想っていたのは本当だ……信じろとは、言わないが……」


立ち昇る粒子は輝きを増し、反してマイアの存在は薄まっていく。

 文字通り消えゆく最中さなか、マイアは優しい笑みと瞳をカズキを向けた。


彼奴あいつは……お前と同じ輝きをもっていた。けれど彼奴は……私だけの光でなかった……空に輝く白月のような光……」


もはや目に映らないほど消失したマイアの右手が、カズキに伸ばさる。


「頼むナガセカズキ……お前がエーラの〈セカイ〉を照らす光に、篝火かがりびになってくれ……」


 触れることも叶わない指先。けれどカズキは存在を伝えるように右手の鎧で握り返した。


 小刻みに震えるカズキの指先と眼差し。そこから伝わる真摯な想い。

 安堵の微笑を浮かべたマイアは、もはやかすみほどの瞳でエーラを見つめた。

 

――愛してる、エーラ……。


音にもならない薄れた声。だが放たれた言葉は確かにカズキらへ届いた。

 けれどそれが最期。マイアの全てが粒子となって虚空に散り消える。

 跡には衣服さえ残らない。まるで彼女の存在を混源から消し去ったかのよう。


「私もです……姉さん……」


返された虚ろの声。もはや届かぬ言の葉が、カズキの心を荊棘いばらのように突き刺した。


 唯一この世界に残ったのは、マイアを刺した三叉の短剣。彼女の横たわった場所にそれだけ凛然りんぜんと転がっている。


 数瞬か数刻かも分からない沈黙。

 座り込み項垂れるエーラを、カズキ達もただ神妙な面持ちで見守ることしか出来ないでいた。


 するとその時、床を転がる三叉の短剣がひとりでに浮かび上がった。

 驚くカズキらを尻目に短剣は割れた窓から外へ飛び出した。

 

 追うようにカズキも窓の外へ視線を遣れば、赤鎧がそこに居た。

 燃えるように赤い巨躯の鎧が、その手に短剣を掴んでいる。


「……お前かああぁ!!」


倉庫を震撼させる程の怒号。嚇怒かくどの形相と共にカズキは偃月刀えんげつとうを振り構えた。

 すると赤鎧は窓の横に移動し、壁の向こう側へ姿を消してしまう。

 

「逃がすか!!」


鬼気迫るカズキは偃月刀えんげつとうを振り上げ、追う姿勢を取った。


 自分の内に迸る感情。爆発するようなエネルギーに、ただ今は身を委ねたかった。


 だが煮えたぎるような想いとは裏腹に、頭はやけに冷ややかだった。

 だからカズキは次の瞬間、踏み出した足を止めることができた。

 扉の向こうに捉えた姿。


 呆然と立ち尽くす、御堂みどうツルギの姿に。


長瀬ながせ……君がマイアを……いや、君はそんなことをする奴じゃない。分かってる。これは彼女の意思だ。ああ、そうだ……だから僕も……!」


精悍な眼をギラつかせ、御堂ツルギは右手を体側に伸ばした。だが鉄扉の影に隠れて手首から向こうが見えない。


「ブラエストギアス!!」


御堂ツルギが叫んだ。同時、その肉体を眩い光が包みこむ。

 数秒の後、眩い発光が収まると、そこに在るのは人でなかった。


 カズキの目に映るのは、赤い鎧を身に纏い純白の光子を背に宿す〈テンシ〉の姿。


 カズキのそれとは異なり、肉体のほぼ全てが鎧に包まれている。

 丸みを帯びて均整のとれた装甲からは、怒る御堂ツルギの素顔だけが晒されて。


 鮮血のような鎧に反して、背負う光子の羽は新雪の如く美しい。


 まさに天使と呼ぶに相応しいその姿が、カズキの心と体を凍り付かせる。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る