第070話 私が強くなれたのは

 閉ざしていた抜き身の自分を無防備にさらけ出したかのよう。

 言葉を紡ぐ度に見えない闇が心をむしばむ。


 けれどこれが、今のカズキに出来るだった。


 顔を腫らしながら不格好に涙を垂れ流し、声に乗せて撃ち出される想いの丈。

 それは確かにマイアの胸へ見えない穴を穿った。けれど白銀の指先は、再びカズキの眼前へ突き付けられる。


「もう一度だけ聞くぞナガセカズキ。貴様はどのようにエーラを守る。お前自身がこの世界で痛苦を味わったと言うのならば、そんな世界で〈アクマ〉のエーラがどうして生きていけると言うのだ」


ギラリと白く光る鋭い指先。張り詰めるような紅い視線。

 カズキは答えない。否、答えられない。

 腹の奥底に隠していた無防備の自分を晒したことで、思考能力が失われていたから。けれど、


「生きていけます」


口籠るカズキに代わり、響いたのはエーラの声。

 驚くマイアとカズキが振り向けば、黒紫こくしの鎧纏うエーラが静かに歩み寄っている。


 「屋敷の中しか知らない〈セカイ〉では人間達と共に生きることなど想像もできませんでした。けれど今の私は外の〈セカイ〉を知りました。

 私は……私自身と、私の生きる〈セカイ〉を変えられたのです」


真っ直ぐにマイアを見つめ語りながら、エーラは鎧と羽を消して人間らしい姿へと戻った。


 それに呼応するよう、カズキに突きつけた白銀の腕が降ろされる。

 同時、人間型ヒューマノイドもエルグランディアを解放して、何処かへと立ち去った。


『坊ちゃま!』


一目散にカズキへ駆け寄るとエルグランディアが強く抱きしめた。エーラは静かにカズキの隣でマイアと向き合う。


「すまなかったなエーラ。怖い思いをさせた」


何も言わず、エーラは左右に首を振って応えた。

 次いでマイアの赤い視線が、カズキを抱きしめるエルグランディアへの向けられる。


「お前も、巻き込んですまなかった」

『謝るならまず坊ちゃまに謝ってください! こんなに沢山怪我させて!』

「ああ、そうだな。すまないナガセカズキ」

「いや……俺は別に……」


何と答えて良いか分からず恥ずかしそうに頭を掻くカズキに、人が変わったかのようにマイアは優しい微笑を浮かべた。


「本当にすまない。お前達にしたことを許されようなどは思わん。

 だが私は知りたかった。お前がエーラと共に生きていける存在かどうか」

「俺と……」

「礼を言うぞナガセカズキ。お前のおかげでエーラは強くなった」


そう言うとマイアは静かに頭を下げようとおもむろに腰を曲げようとしたが、しかし。


「私が強くなれたのは、貴女のお陰です」


念の込められたエーラの一言が、マイアの動きをピタリと留める。

 呆気に取られるマイアの元へ、エーラはゆっくりと近づいた。

 鼻先を付き合わせる二人の〈アクマ〉が、互いの赤い瞳を見つめ合う。


「知っていました。貴女がいつも私のことを気にかけ案じてくれていたこと。私を楽しませようと足繁あししげく外へ出て話題を探して下っていたことも。なにも知らない私に、外の世界を教えてくれたのは他でもない貴女です」


揺らぐこと無い紅の視線が、震える紅い眼を捉えて離さない。


「貴女の優しさが嬉しかった。貴女の教えてくれる外の世界はとても楽しかった。

 そんな貴女を私は尊敬しています。誇りに思っています。

 けれど同時に、貴女が羨ましくて、悔しくて、なによりも自分自身が腹立たしくて……だから今まで一度も言葉に出来ませんでした」


鎧を解いたエーラの左手が静か伸ばされて、マイアの長い銀髪をなぞる。柔らかな指先が頭を撫で、肩を撫で、背を撫でる。


「ありがとう、マイア」


そして最後に、そっと身を寄せ優しくマイアを抱きしめた。


「冷たい海風に晒されようと、雨露にこの身が濡れようと、貴女の優しさがいつも私を温めてくれていました」


それはまるで自分の存在を伝えるかのように。

相手の存在を肯定するかのように。

此処に居て良いのだと教えるように。


 エーラは頬を寄せ、白銀の鎧ごと抱きしめた。


 けれどエーラの肌の温もりはマイアの鎧に遮られてしまう。

 だからエーラは、囁きかけるように幾度となく「ありがとう」を繰り返した。


 さながら春の日差し。

 凍てついた小川が解かされるように、押し殺していたマイアの感情も溶けて赤い瞳から溢れ出す。


 涙の時雨しぐれは、いつしか驟雨しゅううへと変わる。


 美しく均整な顔を涙で歪めながら、マイアは強く強くエーラを抱きしめ返した。

 

 むせぶマイアの涙音が、庫内に反響して一層と騒がしい。けれど誰ひとりなだめない。


 気付けば二人を隔てる白銀の鎧も、眩い光と変わり消え失せていた。

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