第069話 孤独と不安

 白銀の鎧纏うマイアの鋭利な指先が、カズキの首元に突きつけられた。


『坊ちゃま!』


咄嗟に駆け寄ろうとするエルグランディアを、傍のエーラが引き留める。

 琴線のように張り詰める渦中、鬼気迫るマイアを前にしてもカズキは動こうとしなかった。


「なぜ構えない。なぜ逃げようとしない。臆してすくんだか」


「……だって、理由が無いから。マイアさんと喧嘩する理由なんて、俺には……」


弱々しい声と面持ちで、カズキはマイアの冷たく紅い瞳を見た。

 するとマイアは平静な表情を僅かに崩し、ギリリと奥歯を軋ませた。


「私の話を聞いていなかったのか。私は〈アクマ〉でお前は〈テンシ〉。それが理由だ」

「……そんなの理由になりません。そんな訳の分からないことで、俺は……」

「ならば、貴様が納得するだけの理由があれば良いのだな」


そう言うとマイアは突きつけた腕を鉄扉へ向けた。

 すると直後、倉庫の外から片腕を欠いた人間型ヒューマノイドが音もなく現れる。

 人間型ヒューマノイドはエルグランディアの背後に回ると、欠けた腕の先端を突き付けた。

 刃物のように尖る破片が、エルグランディアの傷一つ無い喉に突き触れる。


「エル!!」


叫ぶカズキと同時にエーラも身構えた。

 けれど誰も動けない。

 ただ一人、マイアを除いて。


「お前に争う意思が無かろうと戦わなければならない時もある。今みたく他の〈アクマ〉や〈テンシ〉が貴様の縁者を人質にとった時、貴様は一体どうするつもりだ」


白銀の鋭利な指先が再びカズキに狙いを定める。


 答えるのは簡単だった。

 頭では理解していた。


 拳を握り振り上げれば良いだけのこと。

 構えた偃月刀えんげつとうで薙げばいいだけのこと。


 けれどカズキには出来なかった。

 

 胸の中に渦巻く黒いもやが、脳からの指令を阻害しカズキの体にブレーキを掛ける。

 だからカズキは肩を落として項垂れると、


「……わかりません」


自分に嘘を吐いた。


 そんな弱々しいカズキの姿を前に、マイアの表情から普段の冷静さは消えて憤激の様に代わった。

 ギリリと奥歯軋む鈍い音が、再び耳朶じだに触れる。


「ふざけるな! 貴様にとってエーラはその程度のものなのか! そうして懊悩おうのうしているだけで何が守れる! 顔を上げて戦え!」


初めて響くマイアの怒声。カズキの鼓膜と肌が否応なく震えた。

 マイアは白銀の腕を突き出して、カズキの髪を掴み強引に顔を上げさせる。

 だが紅い眼に映るのは、覇気も失いしおれる弱々しい〈テンシ〉のつら


 その姿が、さかるマイアの怒りに油を注いだ。


 銀色の拳を振り上げ、力任せにカズキの頬を殴りつける。

 よろめくカズキの口から血の唾液が飛んだ。

 打たれた頬がじわりと痛む。それでもカズキは拳を握らない。偃月刀えんげつとうを振るわない。

 今度は腹に膝蹴りを喰らった。カズキの体はくの字に曲がって、嗚咽と血反吐が撒き散らされる。


『坊ちゃま!!』


必死に身を乗り出すも、人間型ヒューマノイドに拘束されたエルグランディアは微動だにできない。

 出来ることと言えば、カズキがなぶられる姿をただ苦悶の様相で見ているだけ。

 

 何度殴られ、何度血を流しただろう。ようやくとマイアの手が止まった。

 顔を腫らし血を流すカズキは、尚も力なく立ち呆けている。

 痛々しいその姿にエルグランディアは耐えきれず視線を逸らした。

 鮮血滲む白銀の手甲。肩で息をしながら、マイアはズタボロのカズキを睨む。


「なぜやり返さない……なぜ避けようともしない!」


先程よりは冷静さを取り戻したか、声量は落ち着いているが紅い瞳は怒気を孕んだまま。

 そんなマイアに反してカズキは、


「だってマイアさん、本気じゃないから……」


痛々しく腫れた顔をでもって、不細工に微笑んで答えた。


 そんなカズキの姿に眉をひそめながらも、おぞましい怪物でも目の当たりにしたかの如く、マイアは美しい顔を引きらせた。


「それに、俺……マイアさんの気持ちが、分かるから……不安とか、苦しさとか全部……」


押せば倒れそうなほど弱々しい。反してマイアは憤怒を重ねる。蒼の鎧から覗く襟首を掴み、強引に引き寄せた。


戯言ざれごとを言うな! 私のことを何も知らぬお前が、人間が私の苦衷くちゅうなど理解できるものか! そのような安い言葉で、私をたばかれると思うな!」


震撼するる程の威圧感に、然しものエーラでさえ表情を強張らせた。けれどカズキは悲哀混じる笑みを浮かべたまま視線を下げた。


「一人って……独りぼっちって怖いですよね」


吹けば消えるようなカズキの声。マイアは気を削がれたように目を丸めた。


「周りのヤツらが、みんな俺のこと笑ってるんじゃないかって……馬鹿にしてるんじゃないかって、俺のことおとしめようとしてるんじゃないかって……そんな風に考えちまって……」


表情に影を落としながら、カズキは自嘲気味な笑みを浮かべた。二人の〈アクマ〉が呆ける一方、エルグランディアだけがうれいの様相を呈している。


 「でも周りは俺の気持ちなんかどうでもよくて、楽しそうに笑って、喧嘩して、馬鹿やって……独りだとそんなことも出来なくて……。

 俺も一緒になって笑いたいのに、怖くて……羨ましくて……だから、皆は俺のこと嫌いなんだろうって勝手に思い込んで……自分を誤魔化してた。

 だから何も変わらなくて、結局ずっと独りで……なんで俺ばっか、こんな思いしなきゃいけないんだろうって……世界を恨んでばっかりだった」


小刻みに揺れる肩。赤く腫れた頬に一筋の滴が流れる。それはすぐに数を増して、雨のように両の眼から降り注いだ。


「でも、LTSに入って俺の〈セカイ〉は変わった。御堂みどう日室ひむろがいて、片桐かたぎり先生がいて……本当に嬉しかった。この学校では頑張ろうって思えた」


マイアの手が緩んで掴んでいたカズキの襟首を解放した。

 カズキは蒼い手甲で涙に潤む目頭を擦ると、涙と腫れでひしゃげた笑顔を浮かべてみせた。


「人は、変われると思うから。自分を変えることも、周りを変えることも。ほんの少しの切っ掛けで自分の〈セカイ〉は変わるから……」


 複雑な心音は、声と変わって尚も震えた。

 それはマイアに向けた言葉なのに、鏡の如く自分の体の奥深くへ滲む。

 

 閉ざしていた抜き身の自分を無防備にさらけ出したかのよう。

 言葉を紡ぐ度に見えない闇が心をむしばむ。


 けれどこれが、今のカズキに出来る戦いだった。

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