第064話 外で何してるんですか

 「俺も、泉美いずみぇとは本当の姉弟きょうだいじゃないから」


その瞬間、エーラの顔から僅かばかりの苛立ちが消えた。


「……御姉弟ごきょうだいがいらっしゃったのですね」

「ああ」

「どのような御方ですか?」

「そうだな……いつもクールというか無表情で、口数も少なくて、何考えてんのか分かんない人かな。

 でも優しいよ。すげー優しい。このメロンパンも泉美いずみぇがくれたんだよ。お前と一緒に食えって」


カズキがメロンパンに視線を落とすと、同じようにエーラも自分の手にあるそれを見た。


「美味いもの食うと笑顔になるだろ。それ知ってるから、泉美姉ぇはわざわざ朝早く並んで買ってきてくれたんだよ。

 マイアさんも、お前に笑ってほしいから、色んなことを教えてくれるんじゃないのかな」


「……そうでしょうか」


手元を見つめていたエーラは、小さな口でまた甘いメロンパンを食べ始めた。

 するとその時。二人の傍でお座りしていたスカイライナーが、突然と玄関へ走った。


 少し戻ってきたスカイライナーは嚇怒かくどの様相を呈するエルグランディアを引き連れてきた。

 ウェーブのかかった桃色の髪が揺らぐほどに怒りをたぎらせて。


『坊ちゃまぁ~!! また浮気ですかぁ〜!?』

「エル!? お前どうして……」

『片付けを終えてからエルもすぐに学校へ行ったんです! そしたら御堂みどうさんしか居なくてここに来たら思った通りでした!』


まくし立てるようわめき頬を膨らませるエルグランディアは、テーブルに置かれたカップを睨んだ。


『この紅茶は?』

「エーラが淹れてくれた」

『これは坊ちゃまが好きな茶葉じゃないですね。そもそも坊ちゃまは珈琲派です』

『こーひーとは先日頂いた苦い飲み物ですね。あのように苦くて不味いものを、わざわざお飲みになるなんて」

『ふふん! それは本当に美味しい珈琲を飲んだことが無いからですよ! エルが泉美さんのお店から黙って持ってきたこの豆なら、本格的な味わいの珈琲が淹れられます!』


さも得意満面といった風にエルグランディアは煎り豆入りのキャニスターを取り出して見せた。


「黙って持ってくるなよ。というかお前、最初からエーラに珈琲を淹れてやるために来たんだろ」

『そ、そんなことないです! ただ自慢したかっただけです!』


キャニスターを突き出したまま、エルグランディアはあからさまに目を泳がせた。

 そんな姿にエーラは思わず吹き出す。


『な、なにが可笑しいんですか』

「いえ、なんでもありません。折角ですし私にそのこーひーとやらの淹れ方を教えて頂けませんか?」

『そこまで言われたら仕方ないですね! 教えてあげなくもないです! キッチンはどこですか!』


齧りかけのメロンパンと紅茶を置いて、エーラとエルグランディアは並んで居間を後にした。


(なんだかんだ言って、エルもエーラのことが気になってるんだな)


一人残ったカズキは紅茶もパンも食べ終えて、手持ち無沙汰にスカイライナーとじゃれた。

 だが不意に蒼い首がドアへ向けられた。視線の先をカズキも追えば、ドアの傍にマイアが居る。


「来ていたのか」

「お邪魔してます」


先刻までエーラが座っていたソファに腰を下ろし、マイアは机の上を見た。


「エーラが淹れたのか」

「はい」


「そうか」と呟くように答えると、マイアは飲み残したカップを取り、温い紅茶を一口含んだ。


「悪くない。ところでナガセカズキ。先日はエーラと二人で外へ出たそうだな」

「外って言っても俺の学校ですけどね。そういえば俺の学校で、この屋敷に住んでた人が居ました」

「ああ。エーラから聞いている。片桐かたぎりまことの縁者なのだろう。名を聞いた時、私も不思議な感覚を覚えた。刷り込まれた記憶というものなのだろうか」


まるで興味が無いかのよう。マイアはカップをソーサーの上に戻した。


「エーラは、外の世界で生きられそうか?」

「そう、ですね。一人ではまだ難しいかもですけど、いつかはきっと。今もウチのエルと一緒に珈琲を淹れてますよ」

「……そうか」


もつれた糸のような声に、カズキは首を傾げた。

 マイアはおもむろに立ち上がると、そのまま廊下のドアへ手をかけた。


「珈琲、飲んでいかないんですか」

「ああ。私はまた出る」

「……ひとつ、聞いていいですか」

「なんだ」

「マイアさん、外で何してるんですか」

「……さてな」


まるで熱のない返答が、カズキの背中に寒気を走らせた。

 マイアはそのまま出ていくのかと思いきや、扉の前で立ち止まり身を翻してカズキを見つめる。


「エーラを、頼んだ」


輝く銀髪と紅い瞳が、窓から差し込むオレンジ色の夕陽を反射させた。

 美しく幻想的な姿の中に垣間見える小さな微笑。けれど何故だろう、カズキはその姿に言いようのない不安を覚えた。


 扉の閉まる音だけが残滓ざんしのように、物悲しく部屋に響いて。

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