第060話 サンドイッチと珈琲と

 「そっち行ったよ日室!」

「ぬおおおおおおおお!」


日室ひむろ遊介ゆうすけの雄叫びが、のどかな川辺に響き渡った。


 カズキの家――もとい立花たちばな泉美イズミの家近くにある小さな川べりで日室遊介は猫を追いかけていた。赤い首輪に鈴をつけた、灰色の毛並みが美しい飼い猫だ。

 雑草が生い茂る川辺で、日室遊介が猫に向かって飛びついた。けれど猫は軽い身のこなしで跳ぶと、呆気なく逃げおおせる。


「いまだ!」


今度は御堂みどうツルギが飛び掛かった。だがやはり猫は柔らかい体でスルリと潜り抜ける。


「行ったよ長瀬!」

「おう!」


最後にカズキが猫の前に立って腕を広げた。すると猫は軽やかにジャンプして、カズキの頭を踏み台に土手の上へと駆けあがった。

 へたばる三人を見下ろしながら、悠長に毛繕いする猫。それをエルグランディアがヒョイと軽々抱き上げた。


『3人ともなに遊んでるんですか。ちゃんとお仕事してください』

「……遊んでたわけじゃねーよ」


不貞腐ふてくされるカズキは愚痴をこぼし、御堂ツルギは愛想笑いを浮かべて、日室遊介はデレデレと鼻の下を伸ばしている。


 カズキ達は学校から30分程の場所にある、三景みかげ市の市営グラウンドに来ていた。


 LTSでは一般科目の授業が無い土曜日でも【総合学習日】という名目で登校が求められる。

 機療きりょうの依頼などで空けた授業の補講や特別な課題、HARBEハーブBRAIDブレイドの調整を行うためだ。


 今日は特別課題の一環として、片桐かたぎりたゆねに引率されカズキらも参加していた。

 依頼の内容は町内会のレクリエーション。

 機核療法士レイバーの理解を深めるため親交の場を持ちたいというものだ。

 無論それは建前で、若い労働力を遊び相手や雑用に使いたいという目論見があってのこと。


「お兄さん達、ありがとうね」


先程エルグランディアが捕まえた灰色の猫を抱き、品の良い老年女性が微笑んだ。

 些細な一言でも、感謝されたことがカズキは純粋に嬉しかった。


 猫と河原での追いかけっこをはじめ、ソフトテニスの相手や茶菓子配りの手伝い。パイプ椅子の設置や話し相手。やったこともないレトロゲームの相手もさせられた。愛想の良い御堂ツルギとエルグランディアは特に引っ張りだこだ。


 昼食の時間となり、カズキらは漸くと一息ついた。グラウンドの隅に設置された関係者用のテントで、パイプ椅子に座ったまま動こうともしない。


「働いてるかー、ガキどもー」


疲れ切ったカズキらの前に、立花たちばな泉美いずみがポットと手提げ袋を片手に現れた。

 緩慢かんまんな動きで立ち上がるカズキに反して、日室遊介は素早い動きを見せる。


「良かったら食べな。こんなもんで悪いけどね」


そう言って泉美は簡易テーブルの上に大量のサンドイッチを並べられた。


「嬉しいわぁ。こんなキレイなお姉さんから差し入れ貰えるやなんて、疲れも吹っ飛びますわぁ!」


先刻までの疲労感など嘘のように、日室遊介は笑顔に満ちている。

 だが泉美は「そう」と相変わらず素っ気ない。

 「いつも弟がお世話になって」などと気の利いた社交辞令など彼女は決して口にしない。ただ黙々と紙コップにアイスコーヒーを注いだ。


「ありがとうございます。頂きます」


御堂ツルギは丁寧に頭を下げて、冷たいコーヒーで喉を潤した。カズキもサンドイッチを頬張った。心なしか、店で出すものより具材が豪華だ。


「ありがと、泉美姉いずみねぇ」

「常連のじいさん達にLTSへ依頼するよう言ったのアタシだからね。様子くらい見に来る」

「そのおかげで私はせっかくの土曜日に駆り出されてるけどね」


どこから嗅ぎ付けたのか、いつのまにか珈琲とサンドイッチを手に片桐たゆねが答えた。


「ところで泉美。町会長さんが呼んでるよ」

「知らん。行きたくない」


などと我儘が通じるわけもなく、片桐たゆねに連れられ泉美は町会長の元に挨拶へ行った。


「長瀬クンのお姉さん、えらい美人やな~。あんなお姉さんおったら毎日楽しいやろ~」

「僕もそう思うよ。珈琲も美味しいし、思いやりのある素敵なお姉さんだね」

「ほんま。出来ることなら代わってほしいわ~」


シクシクと泣く真似をする日室遊介を見て御堂ツルギは楽しそうに笑った。

 カズキも同じように笑顔を浮かべる内心で、少しだけ誇らしかった。


『御堂さ~ん、ご指名ですよ~』


遠くからエルグランディアが手を振り御堂を呼んでいる。


「なんや、またあのオバちゃんらかいな」

「今度はバドミントンのお相手かな」


優しい苦笑いを浮かべつつ、御堂ツルギは珈琲を飲み干すと駆け足で向かった。


『日室さんもですよ! 自転車を修理して欲しいんですって!』

「ぐえっ」


あからさまに厭味な顔を浮かべて、食べかけのサンドイッチを流し込み日室遊介も出張った。

 残されたカズキは一人テントの下でサンドイッチを味わっていた。

 すると挨拶から戻ってきた泉美が、珈琲と紙袋を片手に隣へ座った。


「学校、うまくやってるみたいだね」

「一応ね」

機核療法士レイバーって変わり者多いでしょ」

「まあね。でも皆いいヤツだよ」


懸命に働く御堂ツルギらを見ながらカズキが答えると、泉美も同じくグラウンドの方に視線を遣った。


 同じ景色を見るカズキと泉美は、同じ珈琲を同じタイミングで飲んだ。


 優しい風が、二人の髪を撫でた。

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