第042話 エルグランディアのZERO

 今のエルには坊ちゃまが全てです。


 坊ちゃまのためにお仕事をして。

 坊ちゃまのためにお洗濯をして。

 坊ちゃまのためにお掃除をして。

 坊ちゃまのためにゴハンを作って。

 坊ちゃまのためにお風呂を淹れます。


 本当は持ち主である御父様マスターを優先しなきゃダメなんです。特別な御指示が無い限りAIVISアイヴィスは所有者を離れて行動することが許されません。


 だから今エルがしてることはエラーなんです。

 エルを作ったメーカーさんや御役所の人に知られたら、エルは処分されちゃうかもしれません。


 それは機核三原則きかくさんげんそくにも違反する行為です。正常なAIVISアイヴィスがしていい行動じゃありません。


 だけど、例え廃棄されることになろうとも、エルは坊ちゃまのお傍に居たいんです。


 坊ちゃまは今のエルにとっての全てですから。


 今のエルが在るのは、坊ちゃまのお陰ですから。



 ◇◇◇



 エルが坊ちゃまのお家に納品された日、家族の皆様がお出迎えしてくれました。

 10年以上前のことですから、当時のAIVISアイヴィスは今よりもっと値段が高くて珍しいものでした。 


『初めまして。私はエルグランディアです』


エルは最初に、玄関先で皆様へ御挨拶をしました。


 坊ちゃまのお父様はまだ髪が黒々しく痩せておられて、お母様も御元気でした。


 まだ小学生だった御長男様は珍しそうに最新家電のエルを見ていました。


 皆様エルに声をかけたり、触れたりされました。


 それが普通の反応です。


 なぜならエルは人間でもペットでもない、ただの人工生体アンドロイドなんですから。


 そんなマスター達とは違い、小さな男の子がドアの陰からエルを覗いていました。


 エルがプログラムされた笑顔をその男の子に向けると、幼稚園生くらいのその子は逃げるように隠れてしまいました。

 後からお伺いすると、その子はマスターの次男様でした。とても人見知りな性格だと。


 エルは不思議でした。だってエルは『モノ』なのに、なにを恥ずかしがることがあるのだろうと。


 結局その日、男の子はエルとまともに目を合わせてくれませんでした。


 けれど三日ほど経ってから、ようやく初めてご挨拶をしてくれました。奥様の後ろに隠れながらですけど。


 1週間ほどすると男の子は初めてエルの名前を呼んでくれました。

 マスターや御家族は「エルグランディア」と正式な名称で呼ばれていましたが、男の子は長くて言いにくいのか、「エル」「エル」と愛称で呼んでくださいました。


 ある日、ご家族で夕食を囲んでいると、男の子が言いました。「どうしてエルはいっしょににごはんを食べないの?」。


 奥様は答えました。「エルは機械だから、御飯は食べないのよ」。


男の子は俯くと、少し考えてから言いました。


「でも、エルも家族なのに」


その瞬間、エルのAIがエラーを感知しました。


 その日から少しずつ、エルグランディアは坊ちゃまの『エル』になっていきました。



 ◇◇◇



「ぼく、大きくなったらエルとけっこんする」


ある日、ワンちゃんの散歩をしているエルに、お手手を繋いで歩く坊ちゃまが言いました。少し照れくさそうに、でもお日様のような笑顔。

 プログラムされていない動きがエルの人工神経と人工筋繊維を刺激しました。


『ありがとうございます、カズキ坊ちゃま。でもごめんなさい。私はAIVISアイヴィスなので、坊っちゃまと結婚はできません』


そう言ってエルがやんわり否定すると、坊ちゃまは不思議そうに首を傾げていました。


「でも、ぼくはエルのこと好きだよ」


そう言って坊ちゃまはまた明るく笑ってくださいました。

 まだ幼い坊ちゃまには「結婚は好きな相手とするもの」くらいの認識だったのでしょう。


エルに好意を寄せて下さっているのは理解できますし、好意を寄せられるのは喜ばしいことだとAIが教えてくれます。


 同時に坊っちゃまを庇護しなければ、守らなければいけないという思考回路も構築されました。これが『愛情』と呼ばれるプログラムなのだと、エルは初めて知りました。


 だけどそれは『愛』ではないことも同時に理解しました。


 その時、エルはふと思いました。


 『どうして私は人間じゃないのだろう』と。


 もしもエルが人間になれたなら、坊っちゃまを愛することも出来るのかと。


 繋いだ手から熱だけじゃない、数値化できない何かが伝わるのかと。


 その日からエルはおかしくなっていきました。


 本来AIVISアイヴィスが持つものじゃない『欲求』という衝動がエルの中で芽生えたんです。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る