第041話 欲望

『ぼ、坊ちゃま?』


電車を降りた途端カズキに後ろから肩を掴まれたエルグランディアは驚いた様子で振り返った。


「エル、お前……」


驚くエルグランディアと俯くカズキ。駅のホームで立ち止まる二人を他の客たちがいぶかし気に横切っていく。

 そんな視線など意にも介さずカズキは勢いよく顔を上げると、


「俺の足が短いって言ってんのか?!」


キーンと空気が震えるほど高々と叫んだ。

 向かいのホームで電車を待っていた客でさえ、驚愕に視線を向けている。


 呆気にとられたエルグランディアは間抜けに口をポカンと開いてカズキを見つめている。


 「そりゃあお前は足長いよ! アイドルみてーな体型だよ! 背は変わらないのに俺のズボン穿いたら寸足らずだもんな!?」


エルグランディアの肩を揺らして叫んだカズキは、彼女の肩を解放するとわざとらしく踏ん反り返って改札へ向かった。

 不格好なその後ろ姿に呆けていたエルグランディアも思わず吹き出し、小走りに後を追いかけた。


『そうですね、坊ちゃま足短いですもんね。古風な日本人体型ですもんね』

「うるせー!」


漫才のようにカズキは桃色頭を小突いた。

 くだらない遣り取り。たがそんな日常がカズキは好きだった。

 何よりもエルグランディアの笑顔が、その明るい笑い声を聞いているだけで笑顔になれる。


 だからこそカズキは考える。


 自分が本当に望むべき世界は、何なのかと。



 ◇◇◇



 その夜。ベッドで寝ていたはずのカズキは、また白い空間に立っていた。

 精神だけが存在できるこの世界であれば肉体が何処に在ろうと関係ない。

 だが今回はカズキが望んで訪れたわけではない。夢のように、気付けばそこに居たという感覚だ。


 目の前には褐色肌の女。やはりと言うべきか、いつもと同じ格好で眼の前にいる。


 けれど今日は少しだけ雰囲気が違う。人を小馬鹿にするような厭らしい笑みが今日は見られない。

 酷くつまらなそうな様子で、掌に灯した炎を指先で弄っている。


「よぉ、クソガキ。今日お前をここに呼んだ理由は分かってるよな?」


仏頂面で女が問うた。けれどカズキは押し黙ったまま答えようとしない。


「言いたくねェならオレから言ってやる。〈王〉を殺した時に願う世界。お前はそれを決めたつもりでいやがる」

「……つもりじゃない。俺は本当にエルを人間にしてやりたいと思ってる。エルが……AIVISアイヴィスが人間になれる世界を――」


「ふざけるな」


放たれた女の声が、射抜くような視線が身体を強張らせる。


「あのデカ乳を人間にして、お前に何の得がある」


炎を眺めていた女は鋭い眼光でカズキを睨めば、手の中の炎を果実のようにガブリとかじった。


 リンゴを思わせる咀嚼音そしゃくおんが白い空間に木霊こだまして、ゴクリと喉を通る。

 美味そうな音に反して女の面持ちは険しい。鋭利な視線から放たれる圧にカズキは胆を冷やした。


「メイドを生身の体にして一発ヤリてぇってか? ガキでもこさえようってのか? そんなら別に構わねェ。そいつは雄の持つ最大級の欲望だ。真っ当な願いだぜ。だがテメェは、あのメイドにそんな劣情があんのか?」


褐色の女は辟易へきえきした様子で、齧りかけの炎を使い手遊びを始めた。


「アレを人間にして得られるのは『テメェが善く見られてぇ』っつう下らねェ見栄だけだ。

 見栄を張ること自体がマジな願いならオレは何も言わねェ。だがテメェはそうじゃねェだろ。あの女が機械だろうと人間だろうと、テメェの腹は何一つ変わらねぇんだからよ」


カズキは項垂れ唇を噤んだ。

 気付かないフリをして目を背けていた本心。その奥底を、狡さを看破されていたようだった。

 

 褐色の女はまた一つ炎を齧ると、不味そうに顔を顰めた。


「いいかクソガキ。〈セカイ〉ってのは自分の欲望そのものだ。他人の意見や価値観じゃねェ、テメェだけの理不尽で利己的な欲求よ。金でも女でも地位でも名誉でも何でも構わねェ。テメェが腹の底から求めるもの……それが願いだ!」


追い打ちを掛けるよう女は言葉に圧を加えた。

 すると手の平にある炎が多数に分裂して、赤青緑黄色……とそれぞれ多様な色に変わる。


「外面は好きなだけ御綺麗に整えとけ。だがテメェを偽ることは絶対にするな。オレにだけは飾るな、取り繕うな。オレが欲しいのは、そんな薄っぺらいモンじゃねェんだよ……!」


分裂した炎がまた一つに収束されて、一つに混ざり合い赤い篝火かがりびとなって女の手の上で燃えさかる。

 その炎を一口で頬張ると、女は奥歯噛み締め眉間に皺を寄せた。


「足りねェ……喰い足りねェ! テメェの体ン中にある煮えたぎる渇望を! マグマみてぇに湧き上がる欲望をぶち撒けろ! オレの腹は、この程度じゃ満たされねェんだよ!!」


言葉がさざ波みたくカズキの脳裏に反響し、強制的に意識が遮断される。


 目を開けると、いつの間にか朝を迎えていた。窓から漏れ入る朝陽が眩しい。


 空の青い爽やかな朝だ。だがその爽快感に反比例するように気分は酷く憂鬱。


「クソ……!」


カズキは何かを振り払うように、自分の頬を平手で打った。

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