第040話 エルの願い

 授業が終わり早々と帰宅の途についたカズキ達は高架モノレールに揺られ三都さんのみや駅で降車した。

 御堂みどうツルギらと別れたカズキはスカイライナーを連れて私鉄に向かう。


 この三都さんのみやの街は少しだけ変わっている。


 一見すると商業施設や飲食店が立ち並ぶ繁華街なのだが、乱立するビルには数多くの企業が事務所を構えている。役所や図書館などの公共施設も繁華街の近くに位置している。

 かと思えば有名な観光地や住宅地、風俗店街なども同じ地域に密集しているのだから節操がない。


 ひどく雑多な街。けれどそんな雰囲気がカズキはとても好きだった。


 地下のホームがかもす独特の雰囲気さえ彼にはアクセントの一つでしかなかった。

 唯一のわずらわしさと言えば、薄暗い地下の広告看板に明々と映し出されるLTSの宣伝か。


 自分と同じ格好をした白い制服姿の生徒を少しだけ恥ずかしく思い顔をしかめた瞬間。


『だ~れだっ?』


背後から明るい声が響いた。

 同時に両眼が覆い隠される。まぶたに伝わる冷たい感触背中には柔らかい感触が伝わる。

 だがカズキは振り向く素振りも見せない。


『だ~れだっ?!』


少しだけ語気が強まった。けれどカズキはやはり動かない。


『だ~れ~だぁっ!』

「痛でででででっ!! つ、潰れる!! もしくは飛び出る!! 眼球が!!」


痛みに負けて目頭を覆っていた指を払い退けた。振り返れば楽しそうに笑うエルグランディアの姿が。


「俺の眼球に何の恨みがあるんだコノヤロー」

『だって坊ちゃまが答えてくれないんですもん』

「答えるも何も、こんなことするのお前だけだろ」

『当たり前です! 坊ちゃまにこんなことする女が居たら、エルは地獄の果てまで追いかけて抹殺してますよ』


屈託のない笑顔から放たれる殺伐とした台詞。それに対する正しい反応をカズキはまだ知らなかった。


「それよりお前、こんな時間になにしてんだよ」

『お買い物です。今日お店で使ってたカップが割れちゃったんで』


そう言ってエルグランディアは虹色のロゴマークが印象的な紙袋を掲げて見せた。


 ほぼ同時に、軽快な音楽がホームに流れた。

 間もなく電車が到着して、客が乗降する。

 ラッシュ時刻にはまだ少し早い。

 カズキは二人分の空席を見つけたが、ドア際の壁に寄り掛かった。同じようにエルグランディアも手すりを持って傍に立つ。


『坊ちゃま座らないんですか?』

「俺が座ってもお前は立つだろ」

『それはそうですよ。エルはAIVISアイヴィスなんですから。それが普通です』

「だからだよ」


地下の壁に映し出される電子広告を見つめながら、カズキはつまらなそうに呟いた。


 電車は静かに動き出す。

 

「なあ、エル」

『なんですか坊ちゃま』


暗い窓に映るエルグランディアにカズキが問いかけると、桃色髪のメイドも同じような答えた。


「もしも……もしもの話だけどさ、世界を思い通り変えられるとしたら、お前ならどうする?」


一瞬驚いたように翡翠の目が大きくなる。だがすぐさま白い頬に笑みが浮かんだ。


『どうしたんですか突然。それって昔の漫画みたいにボールを7個集めると龍が出てきて願いを叶えてくれる御話ですか?』

「まあ、そんな感じ」

『それならエルは、坊ちゃまが健康で幸せに暮らせる世界になってほしいですね』

「そういうことじゃねーって。お前自身が欲しい物とか、なりたいものとかってことで……まぁ、お前は物欲とか無さそうだけど」

『それはそうですよ。エルはAIVISアイヴィスなんですから』


エルグランディアはケラケラと明るく笑った。


 長い地下道を抜けた電車が、夕陽差す地上に姿を現した。窓に映るエルグランディアの姿が陽射しの中に消える。


『でも本当は、エルにも叶えてみたい世界が一個だけあるんです。絶対に無理なんですけどね』


ワントーン落ちた声と打って変わった答えにカズキは思わず振り返った。予想に反してエルグランディアは笑っている。


「……どんな世界なんだ?」


電車が少しだけ揺れた。まるでカズキの心を表しているかのように。

 心音が、徐々に速さを増していく。

 

AIVISアイヴィスが人間になれる世界』


変わらず優しい笑みを浮かべながら答えると、エルグランディアは少しだけ視線を伏せた。


『エル、人間になりたいんです。人間になって、ずっと坊ちゃまの隣に居たいんです』

「な……なに言ってんだお前。そんなの人間にならなくても、俺は一緒に居るぞ」

『ありがとうございます坊ちゃま。その言葉だけでエル本当に嬉しいです。だけど、そういうことじゃないんです。エルは人間になって、坊ちゃまの隣を同じ速さで歩きたいんです』


頭を上げたエルグランディアの顔は柔和な微笑みを作っていた。

 けれどその表情が、カズキには堪らなく悲しく見えて次の言葉が出なかった。


 沈黙が、二人の間に静か満ちる。


 『――御景みかげ御景みかげです。お降りのお客様は足元にご注意ください。次は――』


数分後。電車は目的の駅に到着した。ドアの開放とともに周りの乗客が降りる姿を見て、カズキとエルグランディアも慌てて下車した。


『ま、そんなこと絶対に無理なんですけどねっ』


明るい言葉と振舞いで、ホームに降りたエルグランディアは鼻歌混じりに改札へ向かう。


 発車を知らせるメロディを受けて、電車は役目を果たすべく次の駅を目指し走り去った。

 それと同時にエルグランディアの背を追いかけたカズキは、メイド服の肩を強引に掴んだ。

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