第4章

第043話 願いの行方

 「なるほどね。つまり君は自分の願う世界が分からないと」

「……はい」


午後の講義を終えて間もなく、カズキは片桐かたぎりたゆねの個室を訪れた。

 忙しなく手元の書類に目を通していた片桐たゆねは、突然のカズキの来訪に驚きつつパイプ椅子を取り出し珈琲でもてなした。


 まるで来賓らいひんのような待遇に戸惑いながら、カズキは昨日みた夢の出来事を伝えた。

 夢の話を教員にするなど馬鹿馬鹿しい。はたから見ればそうだが、事実カズキは深刻だった。


 妄想のようなカズキの話。だが片桐たゆねは興味津々と耳を傾けた。当然と『エルが人間になれる世界を否定された』ことも『自分の叶えたい世界が分からない』ということも。


 「……なんだか夢の無い話だね。私の若い頃なんて願い事ばかりだったけど」

「先生は今でも若いですよ」

「これはこれは。キミがそんなお世辞を言うなんて珍しいね」

「お世辞じゃないですよ。本心です」

「またまた心をくすぐってくれるねぇ。〈テンシ〉は人の心を掴む術にも長けているのかな?」


陽気な口調の片桐たゆねに反してカズキはピクリと眉を動かし目線を逸らした。

 そんなカズキの心中を察してか、片桐たゆねは立ち上がると珈琲の代わりを注いだ。


「願いが無いのならお金持ちになれる世界でも望めばいいさ。今はまだお金が必要な時代だからね」


自分の珈琲を注いだ片桐たゆねは「おかわりは?」とカズキにも尋ねたが、カズキは「大丈夫です」と断って手元にあるカップを傾けた。


「もしくは世界最高の頭脳や、オリンピックにも出場できるような恵まれた肉体……いっそ可愛い女の子をはべらせて君のハーレム王国を作るなんてのもアリだと思うけどね」


「ぶふっ!」


突拍子もない片桐たゆねの発言に、カズキは思わず珈琲を吹き出してむせいだ。


「きょ、教師の言うことですか!」

「ははは。ゴメンごめん」

「ったく……」


頬を赤らめ口を尖らせるカズキに、片桐たゆねは笑いながらペーパータオルを放り渡した。


「しかしなんだね。私には望む世界や願いが無いというより、願いを叶えることを躊躇ちゅうちょしているように見えるけどね」


ピタリと、床にこぼした珈琲を拭き取るカズキの手が止まった。


「……人を殺してまで願う世界なんて無いでしょ」


乱暴な手つきで床を拭き終えると、カズキは余ったペーパータオルを片桐たゆねにつき返した。


「殺すのは〈王〉だろう? キミの話だと〈王〉は〈アクマ〉の中から生まれる存在だ。人じゃあないはずだ」


図星をつかれてカズキは口をつぐんだ。下手な言い訳も誤魔化しも、この人の前では無意味だ。それをカズキは知っていた。


「キミはもしかして、〈アクマ〉に会ったことがあるのかい?」


だからカズキは、核心を突かれてもなお口を閉ざしたまま顔を伏せた。

 その反応を見た片桐たゆねは興奮が抑えきれない様子で、懸命に口元の笑みを手で隠している。


「良ければ……聞かせてくれないかな」


粘り付くような汗を額に浮かべながら、カズキはゆっくりと顔を上げた。



 ◇◇◇



 「――ふむ……そういうことだったのか」


パイプ椅子に座るカズキに代わりの珈琲と缶入りの高級なクッキーを差し出して、片桐たゆねは興味津々と話を聞き入っていた。


 カズキは〈アクマ〉と屋敷で出会ったことや2人の容姿など、大まかに説明した。


 〈アクマ〉は食事をしなくても機粒菌きりゅうきんを取り込むことで活動ができること。だが時折、大量の機粒菌きりゅうきんを摂取しなければならないこと。


 壊れたAIVISアイヴィスを復活させ使役し、近隣のAIVISアイヴィスを攫っては機粒菌きりゅうきんを喰らっていたこと。

 機粒菌きりゅうきんを奪われたAIVISアイヴィスは異常や暴走が生じてしまうこと。


 生まれた時からそこに存在していたこと。


 「ふむ……非常に興味深い存在だね、〈アクマ〉というのは。だけど、この地域で機療きりょうの依頼が多いことにも納得がいったよ」

「でも二人に悪気があるわけじゃないんです。ただ生きるために仕方なく……」

「分かってるよ。別にどうこうしようなんて考えてないさ」


ニヤニヤと抑えきれない笑みを浮かべながら、片桐たゆねは濃いめの珈琲を傾けた。


「ただ、その〈アクマ〉の子達には一度会ってみたいかな」

「どうしてですか」

「なに、単なる好奇心さ」


またチビリと珈琲を傾ければ、片桐たゆねはチラと腕時計に目を落とした。


「おっと、もうこんな時間か。ありがとう長瀬ながせ君。とても楽しいひと時だったよ」

「……あの、先生。このことは――」

「分かっているよ。誰にも言いやしないさ。言った所で誰も信用しないだろうしね」


どこか残念そうに微笑みながら、肩を竦める片桐たゆねにカズキはほっと胸を撫で下ろした。


「良ければまた〈アクマ〉や〈イロハネ〉の話を聞かせておくれよ。人生の先輩としても相談にも乗ってあげられるしね。ただの人間でしかない私では頼りないだろうけど」


「そんなことは……」


「フフ……それと、困ったことがあれば何でも言ってよ。これでも一応教師だからね。私に出来ることであれば力になるよ」


「あ、ありがとうございます」


先程までの訝しい気持ちが嘘のように、カズキの心は晴々とした高揚感に満たされていった。


「じゃあ……早速いいですか?」

「いいとも。なんだい?」

「それ、貰えませんか」


そう言ってカズキは片桐たゆねの机にあるクッキーの缶を指差した。

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