第044話 クッキー
片桐たゆねの部屋を後にしたカズキは、学校を出るとすぐに駅と反対の方向へ向かった。
長く大きな4車線道路に沿って南に向かう。ただでさえ人の少ないこの
そうしてカズキとスカイライナーは誰に見られることもなく、海の傍に建つ洋館へやってきた。
潮風に晒され続け赤錆浮く鉄の扉を潜って、恐る恐ると敷地を進む。
「居るかな……アイツ」
スカイライナーを後ろに従え、カズキは邸内に入らず裏庭へ続く小道に進んだ。
夕陽差す小さな裏庭。そのウッドデッキで膝を抱え海を見つめる黒髪の少女が独り佇んでいた。
ザッ……と砂を擦るカズキの足音に、黒髪の少女は驚いた様子で振り返った。
『グルッ』
顔を見るなり後ろのスカイライナーが飛び出して、座り込む少女にじゃれついた。
「よう」
カズキも片手を挙げて軽い挨拶を送った。呆気に取られる〈アクマ〉の少女は、スカイライナーの頭を撫でながら何度も紅い瞳を開閉させた。
「まさか……本当に来て下さるなんて……」
「約束だからな」
エーラの隣にカズキも腰を降ろして肩掛けの鞄を降ろした。
「それとも迷惑だったか?」
小さく笑いながらカズキが言うと、エーラはスンと表情筋を押さえて冷めた態度に戻った。
「いえ。ただ無遠慮かつ無神経な人間に穏やかな時間を邪魔されただけです」
「そいつはどうも」
もはや慣れてしまったのか。とりわけ気にも留めない様子でカズキはバッグの中から小さなの缶を取り出した。さきほど
高級感あふれる
片桐たゆねがいくつか食べているのもあって数は少ないが、エーラはまるで宝石でも眺めるかのように多種多様なクッキーを見つめた。
「これも……お菓子なのですか?」
「クッキーだよ。ちょっと良いヤツ」
そう言うとカズキはひとつだけクッキーを摘んで、包装を開いた。
チョコレート生地とクッキー生地がマーブル模様を描いているそれを口の中に放り込む。二色の甘さが混じりあって、サクサクと響く音が心地よい。
「うん、やっぱり美味い」
思わず笑みが溢れるカズキを見て、エーラは思わずゴクリと喉を鳴らした。
「い、頂いても?」
「もちろん」
待ちきれないとばかりに、エーラは白い指先を伸ばした。けれど直ぐには掴まない。決めきれないといった様子で手を動かしている。
ただエーラは包装の開け方に戸惑っていたので、カズキが代わりに剥いてやった。
手のひらに乗せられたクッキーに赤い眼を輝かせるエーラは、小動物のように小さな口でクッキーを齧った。
「甘くて、とても優しい味ですね。それに形も様々で面白いです」
「そうだな。でもクッキー食べてると紅茶が飲みたくなるんだよ」
「コウチャ、ですか?」
「飲み物だよ。美味しいやつ」
微笑みながら二つ目のクッキーに手を伸ばしたカズキとは対照的に、エーラは寂しげに
「それは……貴方がお好きなものなのですか?」
「ん、まあ好きだよ」
「そう、ですか」
そのままジャム入りのクッキーを食べ切るも、エーラは次のクッキーには手を伸ばさなかった。
「他には何か、好きなものはありますか?」
じっとカズキの横顔を見つめてエーラは問うた。唐突な質問にカズキは「へ?」と間の抜けた声と表情で応える。
「教えてください。貴方のことを」
「……いいよ」
「なぜ」とは聞かなかった。
そんな疑問など浮かばなかった。ただエーラが自分のことを知ろうとしてくれている。
たったそれだけのことが、カズキは嬉しかった。
そうしてカズキは自身のことを語った。
好きな食べ物、好きな動物、好きな色。
エルグランディアというメイドの
そんな取り止めのない話を、エーラは興味津々に聞いていた。
感動した映画や流行りの漫画、政治や芸能の話には敢えて触れなかった。エーラでも分かるような、彼女にも分かりやすい内容と言葉を選んだ。
「俺にも教えてくれないか。その……君のことを」
紅い瞳を輝かせ聞き入っていたエーラに、カズキは唐突と願い出た。
けれど〈アクマ〉の少女は表情に影を落として首を左右に振った。
「私にはお話しできることなど、何もありません。いつもこの暗い屋敷の中に居て、日課の清掃を終えれば日がな一日海を眺めているだけなのですから」
「それでいい」
間髪入れずにカズキは答えた。その素早い反応に、エーラは「えっ?」と驚嘆の声を漏らす。
「屋敷のこと、掃除の仕方、天候や景色……なんでもいい。お前の見たことや感じたことを、俺に教えてくれないか」
「……そんなことを知りたがるなど、貴方は余程お暇なのですね」
「確かに暇と言えば暇だな」
そう言ってクッキーを摘んだカズキに、エーラはつまらなそうに溜息を吐いた。
「でも、たとえ暇じゃなくても俺は君の話なら聞くし、聞きたいと思う」
「……どうして、私の話など」
「たぶん、君と同じだと思う」
真剣な眼差しのカズキに、エーラは何の反応も返さなかった。ただカズキと同じ種類のクッキーに手を伸ばし、包装を開いて一口齧った。
「甘い……ですね」
「ああ。でも俺は好きだよ、この味」
「私も……嫌いでは、ありません」
視線を交わさず、けれど肩を並べて同じクッキーを食べる〈テンシ〉と〈アクマ〉を、スカイライナーが不思議そうに見つめていた。
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