第045話 赤い鎧②

 「そういえば」


両手でクッキーを持ち、まるでリスみたくチビチビと削り食べるエーラへ、カズキが独り言のように声を掛けた。

 短い黒髪を揺らす少女の紅い瞳が向けられた。


「マイアさんから機療きりょうするように言われたんだけど」


言いながらカズキはスポーツバッグから蒼い手甲型のBRAIDブレイドを取り出して、自身の右腕に嵌め込んだ。


「聞いています。ですが今日は必要ありません。体にも不調は出ていませんので」

「そうなの?」

「ええ」


淡々と答えながらエーラはまた惜しむようにクッキーを齧った。

 どこか残念そうにBRAIDブレイドを外して、再びバッグに仕舞いこんだ。

 するとその時、スカイライナーが『グル』と鳴いてカズキの顔に鼻を近づけた。


「おう、帰るか」


蒼い頭を撫でてカズキは立ち上がった。だが上手く背筋を伸ばせない。

 振り返って見れば、エーラが白い制服の裾をつまんでいた。


「もう……行かれるのですか?」


不貞腐れたように顔を下げながら、その細い指先に精一杯の意思を表す。


「また来るから」


ポン、と艶やかな黒髪に左手をおけば、少女が紅く鋭い視線で睨んだ。けれど払い退けるわけでも嫌がるわけでもなく、エーラはただカズキの撫でる手に身を預けた。



◇◇◇



 交差点を割るように伸びる大きな歩道橋を上がれば、先程まで居た屋敷がそこから見える。

 コンクリートの人工島には似つかわしくない異様な風景だ。

 エーラとの別れに後ろ髪を惜しむように、カズキは屋敷を見つめながら歩いていた。


「そういえば、今日はマイアさん居なかったな」


ボツリとカズキが呟いた。するとその途端、スカイライナーが勢いよく走り出した。


「おい、ライナ!」


慌ててカズキも後を追いかける。

 しばらく走って辿り着いたその場所は、駅の近くにある緑地公園だった。

 人工島の上に作られた不自然なオアシス。その真ん中で、スカイライナーが長い首を伸ばし周囲を見回している。


 バサバサッ、と樹々から野鳥の群れが一斉に飛び立った。

 羽搏はばたたきの音が木の葉と共に舞って、カズキの視線も空に向けられた、その直後。


——―ドォオオオンッ!!


地震と紛うほどの轟音を伴い、赤鎧が現れた。


「げっ」


カズキは露骨に顔をしかめた。『グルルッ』とスカイライナーが赤鎧を睨んで唸る。


 見れば赤鎧の手にネズミを模したキャラクター型のAIVISアイヴィスが握られている。

 ネズミを擬人化したようなキャラクター。版権型キャラロイドとも呼ばれるそれは、宣伝用としてショッピングモールやスーパーマーケットなどに設置されている。


 赤く大きな手の中でジタバタと藻掻もがくネズミのAIVISアイヴィス

 その姿に、カズキの胸がズキリと痛んだ。

 苦虫を噛み潰したような様相で、カズキは手甲型のBRAIDブレイドを装着した。


(もしかしてアイツも機粒菌きりゅうきんを狙って? それじゃあアイツは――)


赤鎧を注視しながら黙考するカズキ。

 そんな彼の予想に反して、赤鎧は唐突と明後日の方角に走り出した。


「えっ、ちょっ……追えライナ!」

『グル!』


スカイライナーは赤鎧の眼前に回り込むと、行く手を阻むよう牽制した。赤鎧が右に動けばスカイライナーは左に。左に動けば右に。まるで鏡のようだ。


 痺れを切らしたのか、赤鎧は丸太のように大きな腕を振り上げた。


 スカイライナーはすかさず後ろへ飛び退き攻撃をかわした。

 赤い拳が空を切る。

 勢い余った一撃は地面に穴を穿ち、夕暮れの空に砂埃を巻き上げた。


 立ち込める粉塵が赤鎧の周囲を覆う。その間隙を抜けるように蒼い右手のBRAIDブレイドが伸びる。


――バシュッ! 


赤い装甲に触れた瞬間、青白せいはくに輝く機粒菌きりゅうきんが放たれた。

 だが寸でのところ。赤鎧はカズキの右手から逃れて機療きりょうを回避した。青い光子は夕陽の空に儚く散った。


(アイツ…)


その瞬間、カズキの疑念が確信に変わった。


 赤鎧も〈アクマ〉なのだと。


 〈アクマ〉に支配されたAIVISアイヴィスという考えもあった。

 だが赤鎧は最初にマイアを襲っていた。彼女に操られたAIVISアイヴィスならばそんな行動はしないはず。


「他にも〈アクマ〉が居るのか? それとも……」


赤鎧が〈アクマ〉であれば、カズキが機療することでAIVISアイヴィス機粒菌きりゅうきんを喰う必要は無くなる。

 〈アクマ〉に操られているだけなら、機療きりょうをすることで支配が解ける。


「どっちにしても、こいつを当てないと」


カズキは再び右腕の装甲をスライドさせた。


「ライナ!」

『グルァッ!』


掛け声と共にスカイライナーが飛び出した。白い牙を剥いて首を突き出す。

 巨躯の見た目にそぐわぬ華麗な身のこなしで赤鎧はそれを回避した。


「いいぞ、ライナ」


後ろから聞こえた声に赤鎧は勢いよく振り返った。いつの間にかカズキが背後へ回っている。

 青く輝く右腕の手甲。五指を広げて鎧に触れれば、乾いた射出音と共に光子が舞う。


 砂煙の中で光る機粒菌きりゅうきんは、瞬く間に赤い鎧の中へとけて消えた。


 動きはにぶり、赤鎧は覚束おぼつかなくよろめいた。


 赤い指の力も萎えて、ネズミ型の版権型キャラロイドが拘束から逃れた。

 飛び出すように抜け出たネズミのキャラクターを、スカイライナーが猟犬みたくくわえて捕らえる。


「よし!」


スカイライナーはカズキの元へ駆け戻った。まるで投げたボールを拾ってきた愛犬のように。


 そうしてカズキがスカイライナーの口元に手を伸ばすと大きな口が開かれ、その瞬間。

 二足歩行の版権型キャラロイドが勢いよく跳び上がりカズキの顎に強烈なアッパーを見舞った。


「べふっ!」


脳を揺さぶられたカズキは呆気なく、その場に尻もちをついてへたり込んだ。


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