第054話 アイスと学校

 灰色の空の下。庭を後にし小道を抜けて、カズキとスカイライナーはするりと鉄門を潜った。

 振り返るとエーラは玄関先で苦虫を噛んだような顔で、敷地と外の境目を見つめている。

 どうしてもあと一歩が踏み出せずにいるのだ。


「ほら」


不安をあらわにする〈アクマ〉の少女へ、〈テンシ〉の少年が優しく手を差し出された。

 伸ばされたカズキの左手紅い瞳が怪訝そうに見つめつつ、エーラはぶかぶかの制服から覗く細い指先を添える。


 カズキが腕を引けば、エーラはその勢いに乗ってヒョイと一足に敷地を飛び越えた。敷地から歩道へ、そこに深い穴でもあるかのように。

 

 歩道に立ったエーラは恐る恐る顔を上げた。


 屋敷前の歩道から見える景色など、庭から見えるそれと大差ない。

 けれどエーラの赤い瞳は、まるで別世界に降り立ったかのように輝いていた。


 見慣れたはずの空と海。にも関わらず〈アクマ〉の少女にはまるで違う景色のように映って見えた。

 感動と希望に小さな胸が躍り、不安と恐怖が心を震わせる。


 カズキは繋いだ手を離そうとした。けれどエーラは強く握り返して小さく左右に首を振って返す。

 言葉はなく笑顔で応えたカズキは、そのままエーラの手を引いてLTS第三支部校へ向かった。


 道中、エーラは何の変哲もない道路や標識、歩道のタイルや道端の雑草にも興味を惹かれた。

 キョロキョロと忙しなく目を動かし、気になれば足を止める。おかげでカズキらが学校に到着した頃には夜のとばりも下り掛けていた。


「手、放すぞ」


白い指からカズキの左手が擦り抜ける。戸惑いながらエーラは背中に隠れるよう続いた。


 校門から噴水の広場を抜ける。噴き上がる水のエクステリアにエーラの視線は釘付けられた。


 中庭へ行くと花壇には色とりどりの花が咲き誇っている。カズキには名前も知らない見慣れた花も、エーラは愛おしそうに眺めた。


 西側の人工海岸へ向かうと全面ガラス張りの五角形型ホールが現れた。その大きなガラス板をエーラはポカンと見上げている。


 海沿いの外庭にある屋根付きのベンチへエーラを座らせると、カズキは隣の食堂でバニラモナカのアイスクリームを一つ買って戻った。

 ブロックが連結したような構造のモナカアイスを二つに割り、エーラと二人で分け合った。


 半分割されたアイスを不思議そうに見つめながら、小さな口でモナカの端を齧った。

 口に入れた瞬間、冷たい感覚に驚き固く目を閉ざした。けれどその甘さにすぐ笑みが漏れる。


 南校舎の工作室や視聴覚室ではBRAIDブレイドの調整や自習する生徒が僅かばかり居残っていた。

 途中、何度か教師や生徒とすれ違ったがエーラを「部外者だ」と指摘する者は居なかった。


 薄ら明るい照明のもと、カズキ達は三階の談話スペースに座った。雨雫の付着する大きなガラス窓からは人工島デルタアイランドと海、そして〈アクマ〉の屋敷が見える。


「どうだ、外は」

「……悪くはありません」


円形のテーブルに腰かけ、島の夜景を眺めながらエーラは答えた。


「いえ、私の想像以上です。とても広く人間も沢山いて……言葉では表せません。自分が本当に小さな世界にうずくまっていたのだと、思い知らされるようです」


暗い窓に映る〈アクマ〉の少女。その表情は、悲哀とも喜悦ともとれない不思議なものだった。


「そうかな」


だが何気ないカズキのその声に、エーラは勢いよく振り返った。同じ円卓に座るカズキの横顔もまた空虚に美しい夜景を眺めている。


「こんな小さな人工島、その気になれば一日で全部見て回れる。だけど本当の世界は一生かかっても見て回れないくらいデカいし変わり続ける。

 すぐそこの市街だって俺の知らない場所のが多いし、いつの間にか知らない店が出来てたりする」

「………」

「だけど俺は、別に地図に載ってる世界の全部を見たいとは思わない。自分に必要なだけの〈セカイ〉があれば、それでいい」


窓の外を見ていたカズキは、映り込んだ視線越しにエーラへ微笑みかけた。

 安心させたかった。けれどエーラは微笑どころか表情筋ひとつ動かさない。


「……私は――」


白い制服に身を包む紅い瞳だけが、カズキを真っ直ぐに見つめている。


「――私は、貴方の〈セカイ〉に在りますか?」


真っ直ぐな視線。答えなど決まっている。

 カズキは返す刀で口を開いた。

 けれど、その瞬間。


「あれ、長瀬ながせ君?」


突然の呼びかけに言葉は喉の奥でつかえた。振り返れば階段に片桐かたぎりたゆねが立っている。


「おやおや~、長瀬君も隅におけないな~、女の子とこんな時間まで――」


同席するエーラの姿に気付き含み笑い浮かべるも、直後には眼を見開いて言葉を失った。


「エーラ……?」


「たゆね……お嬢様?」


片桐たゆねの口をついて出た名前。それに呼応するようエーラも赤い瞳を広げて呟き返す。


 静けさに包まれる二人の時間が、渦を巻いて動き始めた。

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