第053話 雨と傘

 「ああ……燃え尽きたぜ……真っ白にな…-」


放課後のロッカールーム。上半身裸のまま、カズキは壊れそうな笑みを浮かべていた。


 カズキと御堂みどうツルギは片桐かたぎりたゆねの準備を手伝わされたうえ、学年主任から非道パワハラとも思える徹底的な指導を受けた。その結果がこれだ。


「今日はいつにも増してご機嫌斜めだったね」


タオルで身体を拭う御堂ツルギの笑顔も引き攣り、流石に疲れの色を見せている。


 トレーニングに参加していた生徒はカズキと御堂ツルギを含めたったの3人。もとより激情を隠さない教師だったが、参加生徒が少なかったことに一層と神経を逆撫でされていた。


「雨の日は体育館を使う生徒も多いはずなのにね。僕らが行かなかったら、あの怒号が1人に集中砲火だもんね」

「だろうな」

「片桐先生も、あれで色々と気を使ってるんだよ」

「……偶然だろ」


腰を重く立ち上がると、カズキはジャージを鞄に詰め込んだ。それからアンダーウェアのHARBEハーブを着込み、その上に白い制服を羽織る。


「じゃ、お先」

「えっ? 一緒に帰ろうよ」

「悪い。ちょっと用事」

「そっか。残念。お疲れさま」

「おう、お疲れ」


御堂ツルギに見送られてロッカールームを出ると、スカイライナーが行儀よく待っていた。

 蒼い頭を撫でると銀色の尾が左右に振られる。


 外に出ると雨は弱まり、地面を打つ音も心地よく穏やかになっていた。


「これくらいなら、いいか」


曇天見上げて呟くと、カズキは傘もささず学校を後にした。

 下校中の生徒はまばらで、皆当然と駅に向かっている。けれどカズキはその流れに逆らうよう、ひとり屋敷のある方に向かった。


 鉄門をくぐり抜けて裏庭へ行くと、案の定エーラは居た。

 短い黒髪を潮風に揺らして、少女の紅い瞳は今日も波騒ぐ海を見つめている。

 頼りない小さなひさし屋根だけが、彼女の細い体を雨風から守っていた。


 嬉しそうに尻尾を振って駆け寄るスカイライナーは雨粒に濡れるボディで擦り寄った。

 エーラは嫌がることもなく、蒼い頭や首を撫でて露を払う。


雨のこんな日でも此処ここに居るのか」

「どこに居ようと私の自由でしょう」

「風邪、ひくなよ」


カズキもウッドデッキに腰を降ろした。そこから見える荒い波と曇天に、言い様のない恐怖を感じる。

 そんなカズキの横顔を、エーラの紅い瞳がじっと見つめていた。


「あ、悪い。今日はお菓子持ってきてない」

「それは由々ゆゆしき事態です。許せません」

「なら、今から一緒に買いに行くか?」


その瞬間、エーラの紅い眼が大きく見開かれた。


「前に約束したろ。外に行くって」

「それは……そうですが……」

「まだ怖いか、外に出るのは」


スカイライナーを撫でる手も止まった。カズキの言葉にエーラはムッとして唇を尖らせた。


「……行きます」


存外負けず嫌いなのだろう。人間臭いエーラの振る舞いにカズキは笑みを浮かべて、白い制服を脱ぐと差し出した。


「ウチの学校、外部の人でも割と自由に入れるから大丈夫だと思うけど、一応な」

「よく分かりませんが、この服をを羽織れば良いのですね」


白衣のようなその制服にエーラは袖を通した。小柄な彼女にカズキの制服は大きく、袖口からは爪先しか見えない。

 袖口を鼻先に寄せると、エーラは小さな鼻をスンスンと動かした。かと思えば真顔で押し黙る。


「おい、せめてなんか言え」

「独特の匂いがします。ですが我慢しましょう。贅沢は言えません」

「………」


唇を真一文字に結び、HARBEハーブ姿のカズキは先ほどのジャージを取り出して羽織った。

  エーラはサンダルを履いて庭に降りる。コートのように丈の長い制服は彼の膝下までスッポリと覆い隠した。


 天を仰ぐと、浅黒い雲からはまだ少しだけ雨が降っている。カズキは鞄から折り畳み傘を取り出して開き、エーラに差し出した。


「使えよ。濡れるだろ」

「貴方はどうするのですか?」

「俺は傘使わない主義だから」

「ならば私も必要ありません」

「でも濡れるぞ」

「雨は、嫌いではないので」

「……そっか」


カズキはまた傘を仕舞った。


 嬉しかった。

 目の前にいる誰かと自分に共通点のあることが。

 

 たとえどんな些細なことであっても。

 自分が受け入れられるかのような。自分が認められるかのような。


 そんな心地よくもむず痒い感覚が、カズキの胸を高揚させた。

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