第051話 灯り

 「貴方は、何が目的なのですか」


カズキの蒼い右手に握られながら、エーラは囁くように問いかけた。


「なんだよ目的って」

「このようなことをして、貴方に何の利益があるのかと聞いているのです。マイアに頼まれたからと言って〈テンシ〉である貴方が律儀になる義務は無いはずです」


カズキが手を離すとエーラも静かに手を引き、抱く様に自分の胸に寄せた。けれどカズキは、


「知らん」


蒼い手甲型BRAIDブレイドを外し、どこか面倒臭そうに言い放った。

 予想だにしない返答だったのか、エーラは紅い瞳を見開いてカズキを見やる。


「利益とか義務とか〈テンシ〉とか、そんな難しいこと考えられねーよ。ただ俺が『そうしたい』って思うことをやってるだけだ」


「……ですが私など、マイアと違って何の取り柄もありません」


物憂げな表情で膝を抱え、エーラは力無く背中を丸めた。


「マイアは……足繁く外へ出かけては知識や情報を得て私に話してくれます。美しい服に身を包み、の淹れ方なども心得て……この屋敷から出ることもせず外を眺めているだけの私とは真逆の存在です」


先程とはまるで対照的な悲哀に満ちた横顔。そんな彼女にスカイライナーが鼻先を寄せれば、細い指が弱々しく撫でた。


「私はそれを理解しながら陽の差す外界へ出ようともしない……所詮しょせん私など暗い洞窟に生きる蝙蝠こうもりなのです。眩い太陽を見上げることは、この先もきっと無いでしょう……」


不遜な態度は完全に消え失せて、自虐的に満ちたエーラは抱えこんだ自分の膝に顔を埋めた。


そんな彼女をカズキは慰めたかった。

前を向いて欲しかった。

気の利いた言葉をかけたかった。

けれど気障きざな文句も洒落た台詞も持ち合わせていない。だからカズキは――


「俺が灯りになるよ」


――腹の奥にある想いを、声に換えて吐き出した。なんのことはない。ただそれしか出来なかっただけのこと。

 けれどその言葉に、エーラは少しだけ顔を上げた。


「お前が暗い闇の中に居るのなら、今はまだそこから出られないなら、俺がお前の光になる。

 俺に出来ることなんて、こうやってお菓子を持ってくるくらいだけど、それでお前が少しでも上を向けるならなら俺はまた此処ここに来る」


「なぜ……私などに?」

「言っただろ。ただ俺がそうしたいだけ――」


と、そこまで言いかけてカズキの体が傾いた。スカイライナーが跳びついてバランスを崩したのだ。

 ウッドデッキで仰向けになったカズキに、大型犬みたく圧し掛かりジャレついてくる。

 蒼いボディの下で弄ばれるカズキの不格好な様に、エーラは「クスクス」と楽しそうに笑った。

 そのささやかな笑顔が、カズキには堪らなく嬉しかった。


「まぁ、貴方の光など吹けば消えてしまうような矮小わいしょうなものでしょうが」

「うるへー」


起き上がったカズキも吹き出して、いつの間にかエーラと笑いあっていた。

 そんな二人をスカイライナーが不思議そうに見つめている。


「……なあ、今度外に出てみないか」


その途端エーラの表情から笑顔が失われ、また暗く影を落とした。


「それは屋敷の外、という意味ですか?」

「別に市街へ行こうって訳じゃない。すぐそこにある俺の学校とかさ」

「ガッコウ?」

「そう。生徒ひとの少ない放課後に」


エーラは俯き口籠る。まるで自分の内側と戦っているかのように。

 けれど暫し逡巡を巡らせるとおもむろに口を開いて、


「貴方が……一緒なら」


俯いたまま呟くように答えた。

 にこり、とカズキは微笑んだ。


「じゃあ、約束な」

「約束……」


呟きながらエーラは自分の左手を見つめると、小指を立ててカズキに差し出した。


「どうした?」

「人間は大切な約束をする時、こうするとマイアから教わりました」

「……ああ、指切りか」


カズキは躊躇ちゅうちょした。気恥ずかしかった。最後に指切りをしたのなど何年前だろう。

 だが自分を見つめる紅い瞳を前に、同じく小指を立てるよりほかに無かった。


 同じように小指立てた左手を差し出し、エーラの小指に近付けた。

 だが指が触れ合う瞬間、スカイライナー大きな口を開いて二人の手をパクリと包んだ。まるで『自分も』と言っているかのよう。


 カズキとエーラは顔を見合わせ、どちらからともなく笑った。

 楽しげな二人の姿にスカイライナーの蛇尾も左右に振られる。

 蒼い口が開かれた時、二人の指も離れていた。



◇◇◇



 屋敷を出ると、夜を連れ立つ夕陽が人工島を照らしていた。

 4車線の大通りに出てLTS第三支部校の前を過ぎれば長い横断歩道に差し掛かる。カズキは歩道橋を上がった。


『グル』

「ああ、ここでマイアさんを……ん?」


と、その時。カズキは唐突に振り返った。

 なんとなく気配を感じた。けれど視線の先には誰も居ない。


『グルゥ』

「悪い、なんでもない」


スカイライナーに急かされて、カズキは真っ直ぐに駅へと向かった。

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