第050話 紅茶とドーナツ

 それはまるで夢想する乙女のように。ドーナツの甘い味と香りに包まれたエーラは、赤らんだ頬で虚空を見つめる。


 それを見ていたカズキはもうひとつドーナツを差し出せば、エーラは赤い瞳を一層と大きく見開き手を伸ばした。

 だが包みを破こうとする手を止め、抱きしめるように両手で包み込む。


「食べないの?」

「………」


顔を覗き込むカズキを遮るよう、エーラはプイッと背中を向けて押し黙った。

 

 静寂が二人の間に流れ込む。


 けれど妙な気まずさは覚えない。何故か心地よい穏やかな時の流れ。


 少なくともカズキは、そう感じた。


 そんな居心地よい不思議な時空を引き裂くように、ガラリと窓を開ける音が走った。驚いたカズキは素早く後ろを振り返る。


「来てくれたか」


居間に続くウッドデッキの掃き出し窓が開かれ、マイアが覗いていた。

 スリットから覗く生脚が目の前に突き出されて、カズキは顔を赤くなり下を向いた。


「お、お邪魔してます……」

「そうかしこまるな。それより茶を用意した。二人とも中に入れ」


淡白な声で告げるとマイアは室内に戻った。

 何も言わずエーラもマイアの後に続けば、それを追うようスカイライナーも部屋の中へ侵入する。

 少しだけ迷いつつ、カズキは玄関まで回り居間へ入った。他人の家に庭から入るのは、なんとなく咎められた。


 相変わらず邸内は薄暗い。だが今日は以前となにか違う。


「……イイ匂い」


クンクンと小刻みに息を吸えば、芳ばしい茶葉の香りが鼻腔をくすぐった。

 その香りに誘われるよう居間へ進むと、ローテーブルに洒落たカップが3つ並んでいた。


 マイアとエーラが既に座っている。カズキも一人用のソファに腰を下ろせば、エーラの隣に座るスカイライナーが隣に寄った。


 立ち昇る香気とカップの中で輝く薄紅色の液体。間違いなく紅茶だ。

 以前は白湯さゆを飲んでいた二人だというのに、一体どういう心境の変化か。


「い、いただきます」


恐る恐ると目の前の紅茶を啜った。

 砂糖もミルクも入っていないストレートティー。その仄かな苦みと上品な香りが、カズキの内側を満たしていく。


「マイア」


エーラが呼びかけた。見れば先ほど受け取った未開封のドーナツを差し出している。なぜか頬を赤らめ顔を逸らして。


「それは?」

「先程……いただきました」

「……私にくれるのか」


顔を上げずエーラは恥ずかしそうに頷いた。

 小刻みに震える手に握られたドーナツ。マイアは何か察したように微笑みそれを受け取ると、透明な袋から取り出し3つに割って。エーラとカズキに差し出した。


「いいんですか?」

「もとはお前のものだろう」

「じゃあ…」


割られたドーナツを受け取って一口に放り込むと、懐かしい甘みが広がった。

 マイアもドーナツを齧り、エーラは勿体無い風にチビチビとんだ。抑えきれないように白い頬が緩み、すぐ紅茶を飲むと小さく吐息を漏らす。


「このという飲み物と一緒に食べると、また違った味わいがありますね」

「そうだな。甘いものには紅茶だな」

「外の世界には、色々なものがあるのですね……」


まるで遠くの自分に囁きかけるよう。そんなエーラの横顔にカズキは何も言えなかった。

 口の中で消えていく甘味を名残惜しそうに、紅茶も飲み干して、空になったカップを下げるとエーラは居間を出た。


「そういえばマイアさん。赤い鎧のAIVISアイヴィスのこと、何か知ってますか?」

「……なんのことだ」


赤く鋭い視線がカズキの心臓を貫いた。加速する鼓動を抑えカズキは肚に力を込めた。


「はじめてマイアさんと会った時に居た……赤くてデカい鎧みたいなヤツです。あの赤鎧、もしかしてマイアさんが操ってたんじゃないですか?」

「なぜそう思う」

「なんというか……あの赤鎧は普通のAIVISアイヴィスと違う感じがしたんです。意思を持ってるみたいに」

「そうか」


カズキとは裏腹に淡々と、形の良い胸を支えるようマイアは腕組みした。


「お前の言う通りだ。私はあれに力を与えた。僅かばかりのな」


悪びれも躊躇ためらいもせず答えるマイアに、カズキの脳裏には不安がぎり嫌な汗が浮かんだ。


「でも最初に会った時………マイアさんはあの赤鎧に襲われてましたよね?」

「それは違う」


カズキの言葉を断ち切るよう、マイアは言い放つ。


「あの日、私が機粒菌きりゅうきんを喰らった別の機械が暴れ出した。あの赤い鎧は暴走する機械を抑え込んでいただけだ」


決して感情を込めないマイアに、カズキは立ち込める思惑を押し殺して「そうですか」とだけ返した。


「そんなことよりもナガセカズキ。エーラに機療きりょうとやらを施してくれないか」


マイアは掃き出し窓から見える庭を見やった。ウッドデッキに座り、エーラとスカイライナーが夕焼けの海を眺めていた。


「わかりました」


鞄を手に立ち上がると、マイアに会釈して玄関から裏庭に向かった。

 玄関側の小道から現れたカズキを見て、エーラが振り返った。隣に座るスカイライナーも尻尾を振りカズキを待っている。

 

 蒼い頭を撫でながらエーラの隣に座ると、蒼い手甲型のBRAIDブレイドを取り出し右手に装着した。


「手、出して」

「なんですか唐突に。いかがわしい行為をなさるおつもりですか。まさか隠そうともせずそのような言動に走られるとは呆れを通り越して驚きですね。

 差し出したこの手を一体どのようにもてあそぶおつもりですか。気持ち悪くて戦慄せんりつしてしまいます」

「いやキッチリ手ぇ出してるじゃねーか。いっこも震えてねーし」


線の細いエーラの腕。白い指先に右掌を触れ当てると青白い機粒菌きりゅうきんが彼女の全身を包み、溶け入るように細い体へ吸いこまれた。


「……貴方は、何が目的なのですか」


自分の手に触れる蒼い手甲を見つめながらエーラは強めの口調で囁いた。


 光り輝く機粒菌きりゅうきんが、季節外れの雪みたく融け消える。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る