第048話 缶珈琲

 「ふぁ~、よぉ寝た……前の授業が体育やて理解してほしいわ……」


背伸びと共に大きな欠伸あくびをかます日室ひむろ遊介ゆうすけを先頭に、カズキらは席を立った。


 他の生徒らもせきを切ったようにホール後方の扉から退出していく。まるでラッシュ時に乗る電車のようだ。


「でもお前、よく先生に注意されなかったな」

「日頃の行いやね」


皮肉を交えたカズキの苦言など意にも介さず、日室ひむろ遊介ゆうすけはあっからかんと笑った。


「そういや長瀬ながせクン、これから片桐かたぎり先生の所に行くんやろ? アレやったらボクら食堂とかで待っとるで?」

「いや。日室は今から僕とトレーニングだ」


御堂みどうツルギの提案に寝ぼけまなこの日室遊介は一瞬にして瞳孔を開いた。錆びついたような動きで日室遊介が振り向くと、御堂ツルギが威圧的なオーラを放っている。


「日室はもう少し鍛えた方がいいよ。体力が付けば授業中に疲れて寝ることもないしね。大丈夫だよ、少し身体を動かす程度だから」


嫌がる日室遊介の首根っこを掴むと、御堂ツルギは惚れ惚れするような笑顔で体育館に連行する。

 囚人と看守のような二人を見送り、カズキはスカイライナーとエルグランディアを連れて南館の教員部屋へ向かった。


 だが訪れた片桐かたぎりたゆねの個室ドアには[外出中]の表示がなされている。ついでに『すぐ戻るからね♡』と、自分をデフォルメしたイラスト付きのメモを添えて。


「先生いないのか」

『みたいですね』

「しゃーない。戻ってくるまで待つか」


事もなげに言うとカズキは個室隣の談話スペースに行き、設置されている丸テーブルに腰掛けた。

 ガラス張りの大きな窓からは、デルタアイランドの薄ら寒い景色が広がっている。


『ここで待つんですか? 食堂とか行かないですか坊っちゃま?』

「なんでわざわざ」

『お腹空いてないかなって』

「自販機ならあるだろ」


カズキは壁際に設置されている飲料水の自動販売機を顎で示した。

 種類は豊富でないが、茶や珈琲など最低限の飲料は揃っている。


『じゃあ、お腹が空いたらこれ食べて下さい。エルは先に帰りますから』


メイド服のエプロンポケットから個包装のドーナツを2つ取り出し、カズキに差し出した。


「サンキュ。お前は話聞かなくていいのか?」

『片桐先生がいつお戻りか分かりませんし。晩御飯の用意しなくちゃですから』


別れを惜しむように擦り寄るスカイライナーの頭を撫でて、エルグランディアは笑顔で手を振り階段を降りた。

 貰ったドーナツをポケットに仕舞い、カズキは窓に映る景色を眺めた。


(アイツ、今もあそこに居るのかな……)


不自然と海に浮かぶ人工島。古暈ふるぼけた倉庫やビルが乱立する中で異彩を放つ〈アクマ〉の館。

 物思いにふけるよう頬杖をついていると、ピトリ。うなじに冷たい何かが触れた。


「うおっ!」と驚き振り返れば、片桐たゆねが悪戯じみた笑顔を浮かべ缶珈琲を片手に立っている。


「なーにを黄昏たそがれているんだい」

「べ、別に黄昏たそがれてなんかいませんよ」


首筋をしきりに撫でながら、カズキは恥ずかしそうに顔を赤らめ目線を合わせない。そんな子供じみた姿に片桐たゆねは柔和に目を細めた。


「ごめんね。待たせちゃったかな」

「いえ」


そそくさと立ち上がるや、カズキは片桐たゆねと共に個室へ向かう。

 もはや手慣れたようにパイプ椅子を出して、カズキは腰を降ろすと、片桐たゆねが先ほどの缶珈琲を手渡した。


「あ、どうも」

「待たせたお詫びだよ。それじゃあ、機療きりょうの件について話してもらおうかな」

「はい。昨日学校から帰る途中のことで――」


缶珈琲を開けないまま、カズキは昨日の出来事を打ち明かした。

 島内の公園で赤鎧と遭遇したこと。

 擬人化ネズミの版権型キャラロイドを握りしめていたこと。

 版権型キャラロイドが自分に襲い掛かってきたこと。

 版権型キャラロイド機療きりょうすると、赤鎧は何をするでもなく去ったこと。


 「――ふむ、確かにそれは不可解だね」


興味津々と聞き入っていた片桐たゆねは、カズキと同じ銘柄の缶珈琲を傾けた。


「キミの教えてくれた〈アクマ〉の特性が事実なら、ネズミの版権型キャラロイドは既に機粒菌きりゅうきんを奪われた状態だと考えられる。暴走状態だったのがその証拠。だがそうすると赤い鎧が終始握りしめていたことが疑問だよね」


薄い色の口紅が付いた空の缶を、片桐たゆね傍は見向きもせずにゴミ箱へ投げ入れた。


「赤鎧は……〈アクマ〉に操られたAIVISアイヴィスなのかも」


ポツリと呟くようなカズキの答えに、片桐たゆねは「ほお」と不敵な笑みを浮かべた。


 ゾクリと背筋が寒くなる微笑に、カズキは誤魔化すように缶珈琲を開けて喉を潤した。

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