第032話 生物として当然の行い

 「そういえば、まだ名前を聞いていなかったな」


古びた洋館の玄関前。白銀の女が険しい表情のカズキに尋ねた。

 カズキは右腕のBRAIDブレイドに触れながら逡巡しゅんじゅんしつつ口を開いた。


長瀬ながせです……長瀬ながせ一騎カズキ

「そうか。私の名はマイアだ」


笑みもなく答えると女は静かに右手を差し出した。握手を求めているのはカズキにも分かった。反射的に右手を出して応えたが、装着している手甲型のBRAIDブレイドに気付いた。

 

 戸惑いつつもBRAIDブレイドを外しバッグの中に仕舞う。同時にHARBEハーブも停止して身体強化の補助を失った。

 

 生身の右手同士が二人を結び付ける。

 細くたおやかな女の手。優しい熱が肌を伝わる感触は、人間のそれと何ら変わりない。


「ナガセカズキ。貴様は〈イロハネ〉のルールを理解しているか?」

「〈アクマ〉の中から〈王〉が生まれて、そいつを殺した〈テンシ〉が好きな世界を創れる……」

「そうだ。だが貴様は先ほどエーラを助けた。あれが〈アクマ〉なのは貴様にも分かっていたはずだ」


白銀の女――マイアはそっと手を引きつつカズキに問いかけた。

 図星を突かれてカズキの肩がビクリと震える。


「私がお前に特殊な気配を感じた様に、お前も我々に違和感を覚えたはずだ。違うか」

「……その通りです」

「ならば何故助けた。エーラが〈王〉である可能性もある。そのまま殺していれば貴様は願いを叶えられたはずだ。いや、それ以前に〈アクマ〉など貴様にとって未知の存在。助ける道理がどこにある」


感情を含めず言いながらマイアは重厚な玄関扉を開いた。招かれるような仕草にスカイライナーが小走りに侵入する。


「あ、おいライナ!」


止める間もないスカイライナーに、カズキは呆れて肩をすかせた。

 仕方なくカズキも館の中へ足を踏み入れる。


「助ける理由とか、イチイチそんなこと考えて動けるほど俺の頭は良くないです」

「どういう意味だ」

「気付いたら体が動いただけって話です」


カズキは「はは」と乾いた笑いを浮かべた。

 立ち入った邸内はひどく薄暗い。照明が無いからだ。けれど廃屋のような錆臭さや埃っぽさはない。清掃されているのが一目で分かる。


 マイアが白いパンプスを脱ぎ揃えるのを見て、カズキも同じように靴を脱いで上がった。スカイライナーは大人しく三和土たたきで待機している。


「コイツはここで待たせた方が良いですか?」

「構わん。そのまま連れてこい」


許可が出ると同時にスカイライナーは尻尾を振ってかまちを跨ぎマイアの後ろについた。


「ナガセカズキ。貴様は〈王〉を殺した時、どのような〈セカイ〉を創るつもりなのだ」


言われてカズキは唇結び、「うーん」と腕組みして目線を下に降ろした。


「どうした」

「なんというか、よく分からないんです。誰かを殺してまで創る世界なんて、あるのかなって」

「なにを言う。貴様も元は人間。人間とは欲望の塊のようなものだろう。ならば世界を思いのまま変革する力など、誰もが求めるものではないのか」

「否定はできないですけど………だからって見ず知らずの他人を殺すのは違うと思います」


「貴様ら人間は、生きるために他の命を食らっているのにか?」


廊下を進むカズキの足がピタリと止まった。まるで石になったみたくマイアの顔が見れない。


「……聞くべきことではなかったようだな。だが安心しろ。欲望は決して悪ではない」

「悪?」

「己と種の存続は生物の根源的な願い。人間はそこに未知への渇望があるだけのこと。

 しかし、だからこそ人間は他種を圧倒しこの地球の頂点に君臨している。欲望の大きさとは即ち生物としての強さだ」


単調と並べられるマイアの高説にカズキは苦い愛想笑いで返した。


「そんな小難しいこと俺は考えたこともないです。学校とか家のこととか、今日を生きるので精いっぱいで。腹が減ったら飯を食うし眠くなったら寝る。それだけです」

「そうか」

「そうです。マイアさんだってそうでしょ?」

「いや。私達は食事をしない」


その言葉にカズキは「え?」と驚き足を止めた。


「正確には食事によるエネルギー代謝を行わないのだ。我々〈アクマ〉に生物としての欲求は存在しない。食い、眠り、交わる……生物として当然の行いを〈アクマ〉は生きるために要せん」


さも当然のように言い放ち、マイアは薄暗い廊下をまた少しだけ進んだ。


「呼吸と水だけで生命維持に必要なエネルギーは得られる。疲労や多少の傷も時間を掛ければ癒える。故に睡眠も不要。

 雌雄の性的な区別は認識しているし生殖器のような器官も有しているが、繁殖能力は無い」


不意に立ち止まると、マイアは寂しげに飾られた一輪の花を摘みあげた。名前も分からない白い花を、クルクルと回し鼻先に寄せる。


「音は聞こえる。香りも分かる。目も見える。触れれば感じ口に入れれば味も分かる。だが嗜好や趣向などは理解し難い。物質的な何かを欲しいと思ったことはない」

「でも、二人とも綺麗な服を着てるし、俺より難しい言葉を知ってるじゃないですか」

「言語はこの世界に生じた時から扱えていた。今着ているものは、この屋敷に元々あったものだ」

「………」

「そんな顔をするな。所詮我らは遊戯の駒。〈王〉を生むための道具に過ぎんのだ」


手に持っていた花を瓶に戻した瞬間、白い花弁が一枚だけ散り落ちた。

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