第031話 紅い瞳の少女

 「ここで何をしているのです」


若い女の声が聞こえた。


それは抑揚のない、氷のように無色透明な声。

 玄関横の小道を振り返れば、そこに少女が立っていた。


「あ…… っ」


現れた少女の姿に、思わずカズキは声を失った。


 上質な絹を思わせる黒紫色のショートヘアで、瞳はルビーのように紅く輝いている。

 吊り上がった目尻の中から覗く紅い視線。どこか蠱惑的で危なげな魅力が、カズキの意識をとらえて離さない。


 年の頃はカズキと同じだろうか。華奢な身体に纏った黒いニットワンピース。膝上丈のそれから覗く生足は新雪のように白く艶かしい。


 一体どれほどの時間が経過しただろう。数秒か。数分か。時の感覚が不自然に揺らぐ中で、それでもカズキは紅い瞳の少女から眼を離さないでいた。

 すると、その時。

 

「私を殺しにきたのですか」


はぐれた時流が、少女の一言でただされた。

 少女が発した言葉の意味が分からず、カズキは「えっ?」と間の抜けた声を漏らす。


「私は構いません。ですがも手に掛けようと言うのであれば」


瞬間、少女の醸す空気が一変した。ひりつき痺れるような感覚がカズキの全身に纏わりつく。


「貴方を、たおします」


少女の肢体が輝きを放ち、そして変わった。


 白い肌を覆う黒紫の鎧。

 背から生える闇色の羽根。夕陽に光沢映すそれは蝙蝠こうもりを連想させる。

 けれど不気味ではない。アメジストのような紫炎の色が、深い魅力を奏でている。


 黒紫の鎧は少女の両手足と首頬を歪に覆う。鋭利に尖る指先は背に負う蝙蝠羽の形と相まってひどく厳めしい。


その姿が、変貌遂げる光景が、人間ではないことを如実に物語っている。


なのに、どうしてだろう。

こんなにも視線を奪われるのは。こんなにも心臓がが高鳴るのは。


 痛いほどに打ち鳴らされる心臓。それを抑えこむように、カズキは自分の胸に手を当てた。


 紅い瞳で睨む少女はおもむろに黒紫の右手を突き出した。

 鋭利な指先にカズキも咄嗟に身構える。だが次の瞬間、少女の身体がグラリと揺れて倒れた。


 黒い羽も鎧も光の粒子と変わり消え、少女の姿は人間らしい様へと戻る。そして地に臥したまま微動だにしない。


「お……おい!」


駆け寄ってみれば少女はひどく疲弊していた。汗に塗れて呼吸は荒く、手足が小刻みに震えている。白い頬は徐々に赤みを帯びてきた。


!」


玄関扉が勢いよく開かれて、艶やかな銀髪も振り乱して白銀の女が飛び出した。

膝を付けて、息も絶え絶えの少女を抱きかかえると苦虫を噛んだように顔を顰めた。


「また喰わなかったのか……エーラ!」


白銀の女は唇を噛んだ。腕に抱く少女は、ますます苦しそうに呼吸を乱す。


「どういうことですか?」

「この症状は〈アクマ〉の体内から機粒菌きりゅうきんと呼ばれる物質が大量に放出されて起こるものだ」


その言葉にカズキは息を呑んだ。

 白銀の女の言葉を換えれば、つまり今倒れている少女は〈アクマ〉だということ。

 夢の中で聞かされた説明によれば〈アクマ〉は〈テンシ〉と相対する存在。


〈アクマ〉の中から〈王〉は生まれ、〈王〉をたおした〈テンシ〉が望み通りの世界を実現できる。


 恐らくこの少女は〈アクマ〉だろう。さきほど見せた黒い鎧姿と漂う雰囲気がカズキに理解させる。


 自分と敵対するかもしれない相手。得体も素性も知らない存在。カズキは間髪入れず膝を付いた。


「治るんですか?」

機粒菌きりゅうきんを補充できれば……しかし」


口惜しそうに女は歯軋りする。

 苦痛に悶える黒髪の少女。その呼吸が一段と荒く美しい顔は悶え歪む。

 カズキは右腕に嵌めた蒼いBRAIDブレイドの外装をスライドさせて、その掌を少女の腹部に触れ当てた。


「なにをする!」

「要は機粒菌きりゅうきんが沢山あれば良いんでしょ」


バシュンッ! と放たれた輝く機粒菌きりゅうきんは導かれるように少女の身体へと染み込んでいく。

 荒ぶっていた呼吸が次第に落ち着き、少女の肌に浮かんだ汗と赤みが引いて表情も和らいだ。


 そうせずには居られなかった。

 誰であろうと関係ない。

 考えるより先に体が動く。

 例えそれが〈アクマ〉であろうと。

 気付けばいつも手を伸ばしている。


 そして少女の瞼は、ゆっくりと開かれた。


「エーラ!」


白銀の女は強く抱きしめた。黒髪の少女は呆けた様子で細腕に身を委ねている。

 ひとしきり温もりを確かめれば、白銀の女はようやくと少女を解放した。


「礼を言っておけ。倒れたお前を、この男が治療したのだ」


安堵とも諦念とも思える溜め息を一つ吐いて、白銀の女はカズキを指差した。

 そうして少女の紅い瞳が向けられると、カズキは照れ笑いを浮かべて会釈した。


 不思議な気分だった。安心感や達成感が混ざり合ってカズキの心を浮足立たせる。

 けれど少女は素っ気ない態度で立ち上がった。


「……少し身体が冷えました。温かいものを淹れてきます」


背を向けたまま言い残して、黒髪の少女は挨拶も無く玄関をくぐった。


「すまんな。口には出さないが、あれも感謝はしているはずだ」


白銀の女も立ち上がり、少しだけ呆れた様子で閉じる玄関を見遣った。その横顔にカズキが険しい視線を送る。


「……あの」

「なんだ」

「もしかして、彼女は……」

「ああ、〈アクマ〉だ」


あまりにも淡白な回答。予想していたにも関わらず、血が凍りつくような寒気がカズキを襲った。


「そして私もな」


ニヤリと女は微笑んだ。

 不敵な笑み。

 だが美しい。

 タイトなドレスから覗く艶めかしい美脚。芸術とさえ思える肢体したい。まさに悪魔のごとき美貌。


 不安と興奮が、カズキの心臓を昂らせる。

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