第023話 おやすみ

 『ライナちゃん、なんだか少し雰囲気が変わりましたね』


キッチンに立つエルグランディアが、傍らで行儀よくお座りするスカイライナーを見て言った。

 尻尾を左右に振りながら、長い首を上にエルグランディアをじっと見つめている。


『前はこんな風にキッチンに来たりしませんでしたよね』

「そうか?」


ダイニングテーブルで緑茶を啜りながら、カズキは事も無げに答えた。


『そうですよ。ねー、ライナちゃん』

『グルッ』


エルグランディアに名前を呼ばれ、スカイライナーは嬉しそうに尻尾を揺らす。確かにその姿は本物の犬のようで、BRAIDブレイドらしからぬ振舞いだ。けれどカズキは敢えて何も言わなかった。


「ただいまー」


その時、立花たちびな泉美イズミの気だるげな声が廊下に響いた。同時にスカイライナーは飛び上がり玄関へと走った。

 リビングに入った泉美の足元で、スカイライナーがこれでもかと尻尾を振り回しジャレている。


「なんかコイツ、いつもと違くない?」

『やっぱり泉美さんもそう思います?』

「成長してるんだろ。BRAIDブレイドだし」

「ふーん」


明らかな空返事でスカイライナーの頭を優しく撫でると、泉美は飾り気のない鞄をソファに放り投げて自身も腰を下ろした。


『それでいいんですか泉美さん⁉ 色々聞きたいこと無いんですか⁉ 坊ちゃまも何か話したいことないんですか⁉』

「べつに」

「泉美ぇが聞きたいこと無いなら、俺もべつに…」

『もうっ! 姉弟じゃないのに変な所だけそっくりなんですから! ところで泉美さん、帰ってきたら手洗いしてください! いつも言ってますよね!』

「へいへい」

『返事は一回で! それとリビングのティッシュが切れちゃってるんで、洗面所から新しいのを持ってきてください』

「へーい」


長い黒髪を無造作に搔き気怠そうに立ち上がると、泉美は廊下横の洗面所へ向かった。


「……俺、やっぱりここに居ない方がいいよな」


疲れきった立花泉美後ろ姿を見て、カズキは暗い影を落とした。


『またそれですか。別に良いじゃないですか、泉美さんが「そうしろ」って言ってるんですから』

「でも俺を居候させる理由なんて無いだろ。お前は家事も料理もできるから、珈琲とトーストしか作れない泉美姉ぇは助かるだろうけど……俺は学校で店も手伝えないし、一緒に住むメリットなんて――」


ポコンッ。項垂れるカズキの後頭部を箱ティッシュが叩いた。振り返れば泉美が立っている。


「アンタ、まだそんなことグチグチ言ってんの? ホントそういう謙虚っつーかメンドくさいトコ、昔と変わってないね」

「だけど……」


パコンッ、と再び頭頂部が打たれた。紙の箱が歪にへこむ。胸ポケットから煙草を取り出した泉美は、慣れた手つきで口に咥えた。


「アンタがこの家に住むのはアタシが決めたこと。ウダウダ言うんじゃない。アンタは堂々としてればいいんだ」

「……ごめん。泉美姉ぇ」

「はいはい。この話は終わり。シケた顔してないでゴハン食べるよ」


泉美はひしゃげたティッシュ箱を渡した。


『ありがとうございます。箱ベッコベコですけど。というか泉美さん、いつも言ってますけどお部屋の中でタバコはダメですよ』

「火ぃ点いてないし」

『それでもダメです! もういい歳なんですから、いつまでも悪ぶってないで、いい加減にやめないと本当に死んじゃいますよっ! 可愛い赤ちゃん産めなくなりますよっ!』

「あーもう、うぜーうぜー。アンタは昔の静かな方が良かったわ」


唇尖らせ煙草を箱に戻すと、泉美はカズキの向かいに腰を降ろした。エルグランディアは頬を膨らませ夕飯の用意を続けている。


「カズ、あんたメシ食ったらすぐ寝な」

「え、なんで?」

「顔色悪い」

「そうかな……?」

『そういえば坊ちゃま、体温がいつもよりちょっとだけ高いですね。もしかしたら風邪のひき始めかもしれません。ご飯終わったらお風呂入ってオヤスミしてください』

「じゃあ、そうするか」


言われてみれば確かに体に違和感を覚える。なんとなく気怠いという程度だが、ほんの数時間前に死ぬ思いをしたのだ。

 エルグランディアや泉美に余計な心配をさせまいと黙っていたが、身も心も疲弊しきっている。


 早々と夕食を終え寝支度を済ませると、カズキは早々とベッドに潜った。

 スカイライナーも部屋へ入れば、飼い犬のように足元で体を丸める。これも初めてのことだった。


 その姿がカズキに過去を思い出させた。

 それは温かく優しい懐古感。けれど抉るように胸を突き刺す。

 

「おやすみ……ライナ」


奇妙な感覚に見舞われながら、カズキはそっと瞼を降ろした。

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