第021話 羽

 そっと瞼を開けば、カズキの精神は白い空間から引き戻されていた。

 虚げな瞳で見えるのは冷めきった灰色の現実。


 黒い高架の天井と汚れたアスファルト。横たわるスカイライナーと仁王立つ赤鎧。


「これが……俺の世界……」


倒れるカズキは右手のBRAIDブレイドを見つめた。

 気のせいだろうか。騒がしかった雑音は掻き消されたように、今は何も聞こえない。自動車の走行音や人工海岸を打つ波音さえも。


「俺の願う世界……」


静寂のなかで、カズキは己に問いかけた。心の奥底に沈む願いを汲み取ろうとするも、巨大な自我が邪魔をする。

 怖い。痛い。苦しい。つらい。逃げ出したい。

 あらゆる負の感情が複雑に入り組んで、思考の中に迷宮を作り出す。

 それは幾重にも絡み合う糸の中から、たった一本の真実を手繰り寄せるような感覚。


『グル……』


スカイライナーの声が聞こえた。ボロボロに打ちのめされてなお、立ち上がろうと震えている。

 痛々しいその姿は、カズキの脳裏に黒い過去をフラッシュバックさせた。


 冷たく横たわる大きな犬。

 腹を裂かれ臓器を晒す白ネズミ。

 鮮血に塗れた白衣と両手。

 丸眼鏡から覗く不気味な笑み。

 刺さる奇異の視線。

 罵声を浴びせる白髪交じりの男。


 灰色の映像がカズキの心を蹂躙する。まるで体の中を見えない蟲が這いずり回るような感覚。

 それを誤魔化すように、生身の左手で自分の胸を思い切り殴りつけた。

 痺れる痛みが広がって、奇妙に蠢く感覚を少しだけ和らげた。


「ライナ……」


苦々しい様相で項垂れるカズキは、記憶の中の自分と戦い奥歯をギリリと軋ませた。


「俺、弱いよな……臆病で見栄っ張りで……だけど力も無いから何も言えない。

 できない言い訳を探して、他人の顔色を伺って、変わりもしない過去に後悔して……」


一筋、カズキの頬に雫が流れた。それを隠すように右手のBRAIDブレイドで拭うと、弱々しい笑顔でスカイライナーを見やった。


「だけど、お前と居る時は自分らしく在れた。俺の全部をお前にだけは隠さずに生きられた……だから俺は、お前と……」


痛む身体を押し殺し歯を食い縛り力強く、カズキは地面を這うように蒼い右手を伸ばした。


「そうだよなライナ。俺の願いは、もう……!!」


最後の力を振り絞り伸ばした右手がスカイライナーの装甲に触れた。


 直後、カズキの体から強く眩い光が放たれる。


 それはまるで夕焼けのような橙色。陽光のごとくカズキを覆う光は、すぐにスカイライナーへと伝播された。


 眩い光を全身に受けようともカズキは驚かない。なぜだろう、そうなることを知っていた。


「……スカイライナー」


その名をカズキが口にした瞬間、光は勢いを増して広がった。

 拡大する光の渦にカズキも飲み込まれ、輝く世界が彼らを包む。


 数秒、発光が徐々に収縮してその姿が露となる。


 蒼い鎧を身に纏う、長瀬カズキの姿が。


 蒼い鎧はまさにスカイライナーそのもの。

 左腕を長い首が覆い、先端には狼とも龍とも思える頭部。

 胸を覆う蒼いプレート。繋がる背面装甲には二つのスリットが刻まれている。

 右腕の手甲型BRAIDブレイドはそのままに、蛇を模した銀色の尾は腰に巻かれて。

 まさにスカイライナーを着ているような風貌。


「………」


カズキは左腕に視線を落とした。手首を返すよう意識すれば、スカイライナーの首も同じように。


「ありがとう、ライナ……」


目を閉じたカズキは大きく息を吸い込んだ。

 心音は極めて穏やか。先ほどまでの焦りや恐怖が嘘のよう。腹の奥がくすぐったい、高揚感にも似た感覚が湧き上がる。


 その時。カズキの背がオレンジ色に輝いた。


 サアアァ……と、響かない音を伴い、装甲背面に刻まれた2つのスリットから光の粒子が放射状に広がっていく。


 それはまるで、輝く羽のように。

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